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ツイン・ピークスはなぜ「よくわからない」のにおもしろいのか

 連休を利用して、ずっと観たかったデヴィッド・リンチ作の海外ドラマ『ツイン・ピークス』の続編『ツイン・ピークス The Return』を全話鑑賞した。(シリーズとしては第3シーズンにあたり、ソフト化の際には『ツイン・ピークス:リミテッド・イベント・シリーズ』と改題されたりもしているが、本投稿ではThe Returnで統一する)

 全話観終わって、稚拙ながらも感じたことがあったので書いておくことにする。いかにもそれっぽいタイトルを付けたが、このドラマはわたしのチープな言語力、文章力では表現できないくらい奥深く、難解な作品なので、一ファンの個人的な感想として受け止めてほしい。

 あと作品内の考察を積極的にするわけではないので、そういうのを期待されている方はもっと適切なサイトを見ていただくと良いかと思います。

ツイン・ピークスの概要

 一応『ツイン・ピークス』とは?を簡単に。といっても一言で紹介できるような作品ではないので、ここはいさぎよくWikipediaのお力を借りるとする。

 『ツイン・ピークス』(英語: Twin Peaks)は、1990年から1991年にかけてアメリカ合衆国にて放映されたテレビドラマ、および1992年に公開された映画、および2017年に放送されたテレビドラマ。製作総指揮はデヴィッド・リンチとマーク・フロスト。
 FBI特別捜査官デイル・クーパーの活動を主軸として、架空の田舎町ツインピークスの日々を描く。パズルのような人間関係が織り成す物語は連続殺人事件捜査のミステリーを導入部として、性や麻薬、虐待といった日常生活と隣り合わせの暗部から、社会問題、環境破壊、宗教、超常現象、宇宙など幅広い題材とともに展開し、1950年代風の音楽と北ヨーロッパを髣髴とさせる茫漠とした映像、そして古今東西の名作の引用を背景にして描かれる。
 テレビ・シリーズは、パイロット版が21.7%の視聴率、33%のチャンネル占拠率を上げた事からも分かる通り、大ブームを巻き起こし、世界各国へ飛び火した。(ーWikipediaより)

 いわゆる社会現象になった作品であり、日本でも大流行したらしい。リアルタイム放送時にギリ産まれたぐらいのわたしは、ある程度大きくなってから父がハマっていたことを知った。

 当時一緒に観ていたであろう母親から「意味不明な作品よ。途中から小人とかが踊りだすんだもん」という意味不明な感想を聞いて本作に興味を持つのだが、結果的に第2シーズンまでイッキ観したのは2015年のこと。そこからまもなく2017年に向けて続編が制作されることが発表されたときは、文字通り両手を挙げて歓喜したものだ。いや〜タイムリーだった。

「よくわかる」と「伝わる」の絶妙なバランス

 そんな楽しみにしていた続編『The Return』。TVシリーズで明かされなかった謎は解明されるのかとわっくわくで観たのだが、結論としてはすべての謎は解明されなかった。というか、最終回のラストシーンで思いっきり新たな謎の奈落に突き落とされた。

 投げっぱの謎だらけだし、相変わらず意味不明な描写も多いし。マクロ的には本作を「よくわからない」という評する人はいるだろう。

 でもやっぱり抜群におもしろい。わたしはそう思う。久々に続きが気になりすぎて手が止まらない現象だった。じゃなぜよくわからないのにおもしろいのか?わたしなりの結論は「よくわからない」なかの絶妙な「伝わる」のいい塩梅が、観る側に快楽をもたらすと考えている。

 デヴィッド・リンチ作品にはよくあることらしいのだが、本シリーズではそれっぽい意味深なシーンなのに本編にまったく寄与しない描写がいっぱい出てくる。もしかしたらリンチ監督自身からすれば、すべてのシーンに意味があるんだ!と思ってるのかも知れないが、残念ながら凡人には伝わらない。こういうシーンの積み重ねが「よくわからない」を生む。

 一方で、表現や演出は前衛的かつ芸術的なので一見面食らうが、落ち着いて考えるそのシーンのメッセージが伝わる、わかりやすいシーンが織り交ぜられている。そのわかりやすいシーンが作品の世界観の軸となるし、物語を進めるキーになっている。なのでそこは「伝わる」わけだ。

 リンチ監督の場合、その「よくわからない」と「伝わる」の差がかなり絶妙で、ぼーっ観ていたら、その違いを認識することができない。でもちゃんと噛み砕くと「伝わる」シーンのメッセージははっきりわかる。その塩梅がうまい。

 つまるところ、わたしたちは"考察のタネ"をもらって喜んでるんだと思う。「あのシーンはこういう意味ではないか?」「いや、このシーンに意味はないよ」こんなふうにあれこれ作品について考える刺激は、得も言えぬ快感だ。

 別に自分自身が思いつかなくてもいい。今はネットを開けばいくらでも考察サイトがある。それを読んで「なるほど。こういうことだったのか〜」とウンウン頷くのでも脳汁プッシャーだ。(わたしなんかは典型的そのタイプである)

 そして、当然であるがその"考察のタネ"はすべて説明されるともらえない。考える余地がないからだ。解がない「よくわからない」と解がある(であろう)「伝わる」がほどよく織り交ぜられているからこそ、もらうことができる。

 これはツイン・ピークスに限らず、クリストファー・ノーラン作品も、エヴァも、浦沢直樹作品も、HUNTER×HUNTERも一緒。「謎とか割とぶん投げるし、よくわからないまま終わる、けどおもしろい」みたいな作品はのき並み持ってる共通要素なんじゃないかと。

 むかし、村上春樹さんの『1Q84』を読んだとき大学院の先輩と会話した内容を思い出す。わたしにとって『1Q84』は初の村上作品であり、そのおもしろさに驚愕する一方で、最後にすべての謎が解明されないモヤモヤ感に強く憤りを感じており、その愚痴を先輩にぶつけていた。「なんでこんな中途半端な作品が世界中で人気なのかわからない!途中まではめちゃくちゃおもしろかったのに!!」と。当時のはわたしは「よくわからないけどおもしろい」を割り切れなかったのだ。

 そのときの先輩の回答がなかなか印象的で、「これくらいが丁度いいむずかしさなんじゃない?『ちょっとよくわらない。謎もいっぱい含んでるけど、そんな作品を(ある程度)読み解けるオレ、すげぇ!』みたいな優越感と読んでる感を読者に与えてくれるんだよ」だった。なかなか納得したのを覚えている。今思うと村上春樹もいい塩梅なのかも。

 さいごに誤解をうまないように伝えておきたいのだが、「よくわからない」と「伝わる」のバランスが上手く取れているからといって必ずしもおもしろい作品になるとは限らない。というか、多分ならない。

 そのバランスが成り立つだけでの前提となる世界観、魅力的なキャラクターとかとか多くの要素が必要だと思うし、そんなたくさんの要素を巧妙に料理する各作品の監督、著者、クリエイターの皆様にはほんとうに頭が上がらない。特に今回25年の時を経て(わたしはそんなに待ったわけではないが)新たな刺激と快楽をもたらしてくれたリンチ監督には心から感謝の意を伝えたい。

 


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