シ・ニンジャの一人称とメディアミックス
先日掲載された【スレイト・オブ・ニンジャ】にて、ヤモト・コキに憑依していたアーチニンジャ「シ・ニンジャ」の一人称が「私」であることが判明した。また、ヤモトにシ・ニンジャのソウルが憑依した際の台詞「今から私はアタイだ」を裏返した「今からアタイは私、か」という台詞もあり、ヤモトの一人称は「アタイ」、シ・ニンジャの一人称は「私」と明確に区別された形となる。
ところで、Twitterを検索すると、「ヤモトの一人称は元々『私』だったが、(一人称が『アタイ』の)シ・ニンジャに憑依されたことで『アタイ』となった」という解釈が複数見られる。気になったので、この機会に少し調べてみた。
「アタイ」という一人称について
ザ・ヴァーティゴ=サンによると、「アタイ」は原文では"Me is ..."と書かれているらしい。理由は彼にもよく分からないとのことだが、その字面から醸し出されるアトモスフィアから推測するに、これはティーンネイジャーの喋り方をカリカチュアライズしたものではないかと思われる。
ただし、『ニンジャスレイヤー』の公式アカウントのTwilogを検索すると、「アタイ」という一人称はヤモトしか使っていないことが分かる(ダイハードテイルズの作品『ブーブス・バンド』シリーズの前口上にも出てくるが、基本的には忍殺と関係ないので除外)。また、第1部から作中時間で十数年が経過したAoM(第4部)でもヤモトは変わらず「アタイ」を使っており、どちらかと言えばヤモトというキャラクターのユニーク性として機能している所もある。
原作の描写
本放送版
再放送版
上に挙げたのは【ラスト・ガール・スタンディング】より、ヤモトにソウルが憑依した瞬間のヤモトとシ・ニンジャとの対話のシーンである。ここでは「アタイ」と「私」が混在しておりパッと見ややこしいが、再放送版ではテキストに加筆修正が施され、所々に「……」が入っている。これはヤモトとシ・ニンジャの台詞を分けるための措置と思われ、これに則って分かりやすく表記すると以下のようになる(ヤモト=ヤ、シ・ニンジャ=シ)。
シ・ニンジャが「アタイ」を使っているのは、彼女のソウルがヤモトに憑依し、両者が交わったことを示しているのだろう。そういう意味では、一連のやり取りはヤモト=シ・ニンジャのソウル憑依者の自問自答ともいえるのかもしれない。
メディアミックスの描写
ただし、メディアミックスにおいてはこれとはまた異なる描写がなされており、解釈に幅を生んでいる。
「ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン」第3話では【ラスト・ガール・スタンディング】のヤモトとシ・ニンジャとの対話のシーンも描かれているが、その際の台詞は以下のように振り分けられている。
見ての通り、アニメでは一人称が「アタイ」の台詞はシ・ニンジャ、一人称が「私」の台詞はヤモトが発しており、冒頭に挙げた一人称変化説を採っていることが分かる。これは原作の描写とは異なるものの、ニンジャ化に際しての変化を描くための表現技法としてはあり得る形だろう。
こうなると音声メディアのオーディオドラマでの描かれ方も確認したい所だが、残念ながら自分は現在所持していないので、持っている方にはぜひご教授いただきたい。
ちなみにコミカライズ版(無印)ではこのように描かれている。これも読み手によって解釈が分かれそうだが、コマ割りから「今から私はアタイだ。存分に使え」という台詞はシ・ニンジャのものと推測され、これは原作の描写とも合致する。
別の解釈の検討
この記事を書いている最中に、「ヤモトの一人称は元々『私』だったが、(一人称が『アタイ』の)シ・ニンジャに憑依されたことで『アタイ』となった。しかし、今回ヤモトからシ・ニンジャのソウルが分離した際、逆にシ・ニンジャの一人称がヤモトに引っ張られて『私』になった」という解釈を思いついた。
しかし、【スレイト・オブ・ニンジャ】では「さあ使え。私の力。存分に使え」が「シ・ニンジャの言葉」と明言されている他、【デッド! デダー・ザン・デッド!】#14には「私は……アタイだ!」という台詞がある。これは文脈的に「自分はシ・ニンジャその人ではなく、ヤモト・コキというニンジャである」という意味が込められていると考えられ、やはりヤモトの一人称は元々「アタイ」であると考えるのが妥当なように思われる。
「今から○○は○○だ」系の台詞の比較
パンク・ニンジャ(スーサイド)
ダイコク・ニンジャ(デスドレイン)
ゼウス・ニンジャ(アガメムノン)
レイケン・ニンジャ(ストライダー)
グエン・ニンジャ(フォレスト・サワタリ)
シ・ニンジャの「今から私(シ・ニンジャ)はアタイ(ヤモト)だ」という台詞には、あくまで主導権はヤモトの側にあるのだというシ・ニンジャの奥ゆかしい気質が現れているのではないかと思い、他のリアルニンジャの台詞と比較してみたが、おおよそ善良とは呼べなさそうなダイコク・ニンジャが「今から私はお前だ」と言っていたり、逆にタロウイチ(ストライダー)の主人の死について「残念」と述べる奥ゆかしさを持つレイケン・ニンジャが「貴方は私になります」と言っていたりと、この辺はあまり意識して書かれているわけではないのかもしれない。また、グエン・ニンジャはサワタリとの対話の中で彼を突き放すような台詞を述べているが、「グエン・ニンジャ」自体が特殊な成り立ちのニンジャであることから、これは例外的なケースだろう。
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