わたしは地方の片隅で、ジャージを着てパチンコをまわしていた

わたしはきっと、夢をみていた。東京。あの街へ行けば、わたしは何者かになれるのではないかと、ずっと思っていた。

今思えば、わたしの東京との接点はインターネット、だけだった。Twitterで東京の人と気軽に絡む瞬間、わたしは地方の福岡の小さなアパートの一室にいることを忘れてしまう。それが何より面白くて、夜な夜な、毎晩深夜までTwitterを眺めていたのが10代の終わる頃の話。大学一年生の頃の話。

あの頃、地方からインターネット越しに見た東京は、毎日が刺激的なように映った。Twitterで見つけた人たちに、バイト代をためては毎月東京まで会いに行った。
 

東京のように日々多くの人に溢れているということは、それだけ気が合う友人を多く見つけられる可能性に溢れているということだと思っていた。偏差値の高い大学が集まった東京には、きっと教養の豊かな人間がたくさんいて、高校時代に読んだマイナーな文豪の本を語り合える、そんな仲間が見つかるのだろうと思っていた。

わたしの住む福岡には、なにも面白いものが無かった。なにも面白いひとがいなかった。いや、正確に言えば少なくとも、わたしの目には入らなかった。
人は言う、いるけどあなたが見つけられないだけなんじゃあないの?

 
いや、違う。面白いひとはすべて、東京へと取られてしまうのだ。大学進学の時点で、東京を選ぶのだ。福岡に残った面白さのある人は、東京に対してムキになって突き進んだりしてしまって、それはひどく白々しく見えたのだった。

東京にはあって、福岡にはないものがある。そんな感覚が毎日、胸に募った。

福岡で盛り上がろうという集いも、東京のマネにしか見えなかったし、ユニークさには欠けていて、なにより規模が小さい。福岡は、劣化版東京にしか見えなかった。今もなお、少しそのように見える部分はある。

東京でそこそこなんだけれども、大成はできない。そう判断した人が東京から移住するぶんには、目立ちやすくいい街、だとは思ったけれども。


人生で初めてパチンコをうった、麻雀をうった、大学時代だった。
仲間に黒い軽を運転してもらい、深夜のドンキホーテへと向かった。くだらない話をしながら、都市高速を駆け抜けた。お腹が空けば、国道沿いのジョイフル(九州を中心に展開する安いファミレス)に行けば良い。別に大学の周りに、渋谷や新宿、銀座があるわけじゃない。大学の最寄りにある店は、だってドン・キホーテだ。ジャージ姿で通学することにも、すぐに慣れてしまった。

 

うっかり、福岡の大学へと進学してしまったことを、わたしはあの頃も、そして今もとても後悔している。九州でトップの大学へと行けば、それなりにきっと気の合う友人もいるであろう。
そう思ったのもつかの間、入って2ヶ月、わたしはもうこの大学で気の合う友人を見つけることはないだろうと諦めた。勤勉で素晴らしい友人が溢れていた。でも、中学時代に背伸びしてニーチェを読んだひとにも、三島由紀夫の美しさに打ち震えたひとにも巡り会えなかった。その諦めは、卒業した今もなお消えない。この後悔はいつまで続くのだろう。

 

卒業後、わたしは東京に入る隙を感じなかった。福岡というつまらない地で生きてきたわたしは、とても頭がぼんやりしているようだった。東京で生きていたとしても、人混みにさらされて鈍化した頭では、同じような状態だったのかもしれない、とは思いつつも、やっぱり福岡からは東京にいまさら、行けない。

わたしは、福岡を出る勇気を持てなかった。新卒のまま、地元の企業にそのまま就職し、これでいいのだと諦めていた。東京に、行きたかった。でも大学を24歳で卒業したわたしには、もう遅いのだとなぜか信じて疑わなかった。

実は、それなりに居心地もよくなっていたのだ。ジャージでドン・キホーテに行くこと、イオンで服から映画まですべてを済ませてしまうこと、若くして子供を産んだ同級生が「わからない」と言って年金や税金の書類を片手にわたしに聞いてくること、EXILEを口ずさむ友人の旦那がとび職をしていてケガしたというのに労災という言葉さえ知らなかったこと。すべてに慣れていた。

 

インテリぶりたいくせに、地方のマイルドヤンキー文化に染まっていたわたしは、どうしたらいいのかわからなくて、結局地元を愛することが正解のように思えて、福岡を出られなかった。

わたしの中途半端なインテリぶろうとする精神は、東京ではきっと、ひどくダサいものであろうし。


この前の9月。ふとしたきっかけで、東京の男にいざなわれて、わたしは東京へと来た。神保町の大きな出版社の机の上で、やりたかった原稿を書く仕事をしている。踏み出せば、とっても簡単だった。

そしてこんなにも憧れていた東京は、予想通りだった。毎日が刺激的で、踏み出しさえすればすぐに会いたい人に合うことができる。チャンスにあふれている。

東京に疲れて、地方に行くことを正解だというひともいるであろう。だけども、わたしは東京へ来ることが正解だった。その証拠に、人生こんなにも穏やかな気持ちで過ごせていることは初めてなのだ。趣味や気の合う友人に、初めて会えたのだ。

 

地方への未練は、これがもうさっぱり無い。福岡へ帰る気は今、さらさら無い。わたしは、福岡のぬるま湯にいることで、守ってもらっていた。でも踏み出してみれば、きついことも多いがあの場所に固執する理由は無かったのだと気付かされる。(そりゃたまには帰省はしたいけれどね)

いま、東京人のふりしてハイヒールを鳴らして歩いている銀座。シャネルのバッグはまだ真新しい。こんなわたしが、ジャージを着てEXILEを友人と口ずさんで、パチンコをまわしていた。

……と、いうことを、東京にいるとわたしはすっかり忘れてしまいそうだ。

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