8年目だ。
今年の3月11日は、頭が重く、少し痛い。
2日後のことが少しプレッシャーなのかもしれない。
8年目の311、これを私の新たな節目と思い定めているのが影響しているのだろう。

私の場合、あの日について、
年を経るにしたがってじいっと強く向き合うようになった。
努めてそうしていると言ってもいい。
自分のことばで語りうるスタンスが顕かになったし、そうしていきたい想いがある。
それに、あの日以来自分が深く深く傷ついたこともようやく自覚し始めた。
たとえ東京の自宅マンションのテレビの前で、その瞬間を体験したとしてもだ。



今年の3月11日は、あの日亡くなった方々のそれまでの時間を追体験するような心持ちが強く、頭をもたげるにも重たく感じる。
朝起きて、御飯を食べながら父母と何気ない会話をし、午前中は悠々とスマホをいじりながら、それぞれの時間をその日通りに過ごされていたんだろうな、と。
そして14じ46分。

2011年3月11日は私が生まれ直した日だ。
生まれ/直す。そう思えばこうして今言葉をつむいでいることにすら不思議さを感じる。

8年前の311直後から数年は只々ぼやぼやとしていて、
自分の武器に自覚がなく、だからこそ
自分の語りうる言葉をもてぬ日々だった。
そしてそういう自分に振り回されるがあまり、
確たる熱意・核たる使命感こそあれ
ただただそういう己をもて余すばかりで
理性を以て何か事をはじめるまでには至らなかった。
正直に言えば、こうして自分の想いやその変遷をきちんと述懐するのも今が初めてだと思う。

「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」を立ち上げてから、ようやくだ。
この1年ほどで自分で自分自身を見出だしてようやく、
改めて強く強く「私は311に生まれ直した人間だ」という自覚を強くしている。
…線引きをしないともっていかれそうだ。
年々悲しみが深くなる。

こないだもそうだった。
午前の日課。
わが家のネコ、2匹分のうんちを猫砂からとりだしながら
突然に大きな悲しみが襲ってきた。
ちょうど朝、「まもなく8年」とか「復興助成の期限迫る」とか、そういうニュースを見たからかもしれない。
ニュースとして、日常の中のただの「点」として知ったり思い出したりする分にはいい。
ただ実際はそうではない。
同じ時間軸、同時代に、
突然たくさんの方々が波にさらわれ亡くなっていったこと。
そして今尚、ここ岩手からそう遠くない場所 ――半径30km圏内に、
8年もの間、誰も住んでいないという厳然たる事実があること。
それに気が付いたとき、心底悲しくなってしまって涙が出てきた。
なぜここだったのだ?

8年前の直後より、最近のこういうふとした瞬間に、
こうして自分の原点に半ば乱暴な力でぐっと引き戻されることが増えたように思うがどうか。
そうは言いながら、ネコのうんちの臭さに現実にかえるのだから笑ってしまった。


昨年は3月半ばを過ぎた頃、
突然思い立って気仙沼の海まで車を飛ばした。
岩ヶ崎の先に立ち、そして、海の向こうの人々にあいさつをしてきた。
「願わくは、未来の人の役に立てますように」
ようやくまっすぐ向き合えた心地がして、晴れ晴れとした気分だった。

今年も時間を見つけて海へ行こう。
そして日々の自分の言葉たちを、
理性と情感どちらもたずさえて、光ある方へつかっていこう。
そのことばの積み重ねを誠実に続けることが、今の私ができることだと思っている。

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