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花を咲かせるということは

今年もまた、芍薬の花が咲いてくれた。
レモン色がクリームにとけたような淡いイエロウ。
小ぶりな印象に加えて、花びらもまちまちなのが何となくおぼつかないが、私はこの芍薬にとても愛着がある。

うちにきてまだ4年目だ。
鉢植えではなく、直植えをした。
曾祖父の代から愛でられてきた樹々の間の、
比較的陽当たりがいい場所に植えたのである。
私のひざより少し背が高いくらいだった。

まわりにはしぶとく生き抜いてきた数多の草木が繁茂している。
そのどれもがのびやかに生きるままに生きたらいい。
植物にも強いものと、強くないものとがいる。
この環境が味方になるかどうかなど、人の知恵では知り尽くせない。
けれどもなるべくなら、その中であっても君には頑張ってほしい。
「負けるなよ」
と思いながら植えたのだ。


はじめの1、2年は花が咲かなかった。
夏の盛りを過ぎ、まわりの植物の旺盛さが落ち着きはじめたあたりに
ようやく目に入ってくる。
ひょろひょろとした茎と葉に心もとなさを覚えつつ、
「おまえ、まだ生きてたんか、えらいえらい」
と声をかけた。
来年は咲くといい。
ふた冬を越えたとは、根付きからしっかり出来ている証拠である。
形には見えずとも、確かな焦らぬ仕事ぶりに私は大いに勇気を得た。

そして去年。初めて花を咲かせてくれた。
おもちゃのスーパーボウルくらいのまん丸いつぼみをつけてくれていたときは本当に嬉しかった。
茎葉と同じ色をした翠玉だ。
とたんに私の宝物になり、開花を今か今かと心待ちにした。
辛抱がつづいた自分の境遇と重なり、早くこの花の明るいイエロウを見たかった。
つぼみが硬かったのか、茎の先にぼんぼりつぼみをつけてから開花するまでに、
思っていたより時間がかかったことは記憶にある。
半月ほどかかったろうか。
花がひらくのを待ち望む時間は、「じれったさ」とはまたちがう感情がある。
ただひたすらに「心待ち」を楽しむのだ。
私の心は、あなたが咲くのを待っています。
たったそれだけのこと、それだけの時間に至福を感じる。

そして今年も咲いてくれた。また会えた。
ありがとうと思った。

つぼみであった頃、ちょっとだけ手助けをしてやった。
来たばかりの頃に比べたら、ずいぶん背がのびたことを喜んだのもつかの間、
茎は細いままであったので、つぼみをつけたとたん、重さで前に傾いでしまった。
前日風が強かったこともあるかもしれない。
花などつけようものなら、どうなるか。
土くれをつけて伏せる花びらを想像できた。
そこで、庭の端からちょうどよい長さの支柱を見繕い、
茎のそばにぶすっとさして、ワイヤーで固定してやったのだ。
自然にそう形であれば、少しだけ手をかけてやるのも悪くないなと思った。

芍薬は支柱を頼りにしながら頭をもたげ、
地中の底からぐいっと自らを押し上げた。

そして、見事に花を咲かせたのだ。
品格があるかと問われればまだまだ不格好だが、
それでもやはり、庭の隅の方に在っても、目に止まるものがある。
夕暮れ時などは特に可憐だ。
まわりの草木が闇に沈み、暗い銀緑色になるころ、
この芍薬だけはぼうっとひとり、青白い火の玉みたいに庭に浮かんでいる。

陽の光のもとでは弱々しいようなイエロウは、
朝、昼、夕、夜と太陽の傾きとともに、
まるで繭糸のようにまだ何色にでも染まりうるのだ。
それがこの芍薬の所在なさであり、そして魅力でもある。

植木屋で購入したときについていたタグを思い出す。
〈楊貴妃〉という立派な名のつく品種だった。
写真では、橙に近い濃いイエロウで、その名を語るにふさわしい堂々たる風格だった。

ところが君はというと…?

緑がかった淡いイエロウ。


やわらかな〈春キャベツ〉である。
それも小玉の。
それで、ふふふ、といつも笑ってしまう。

母は、写真と全然ちがうと言って釈然としない様子だった。
確かに植木にしては高い買い物だったから
言いたくなる気持ちもわからないでもない。
私だって、〈楊貴妃〉たる花が咲くものだと思っていたのだから。


それでもポンと出てきた自分の言葉が我ながらしっくりときて気に入っている。

「あれが咲くだけで嬉しいんだから、私はそれでいいんだよ」

かばうわけでも説得するわけでもなく、ただ口をついて出た。

そうか。
私と〈春キャベツ〉はいつの間にか、
とてもいい友人になっていたのだな。


来年も顔を出し、花を咲かせてくれたなら、
〈春キャベツ〉もきっと、私にこう言うにちがいない。

「今年も会えたことが嬉しいんだから、それでいいよね」

もうまもなくすれば花びらが散るだろう。
けれど季節がめぐればまた、同じようなやりとりをくり返す。

ひとときの花の友が、生活のまん中にあるのも悪くない。

また会おう、やわらかな芍薬よ。

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