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「受け継ぐ」ということ

「受け継ぐ」とは何か、わかった日だった。

2015年~ カグラ・メグル・プロジェクト。
2018年~ 100年先へ、プロジェクト。
岩手の民俗芸能のプロジェクトを始めて5年目に入る。
5年目か。まだまだペーペーである。

民俗芸能に対して情熱的か、夢中であるかと聞かれると案外そうではなくて、
結構クールなスタンスであることを自覚している。
けれど、共同体にとっての芸能の役割であったり、
そしてそれがこの先どうなっていくのかということにすごく興味があり、
関係者の方々と一緒にアクションを起こしつつ、
これから先をずっと見つめ続けたい想いがある。

昨日も、一関市川崎町で「カグラのミカタ」の撮影があった。
神楽の見方であり、
神楽の味方であり、
神楽を知らないあなたの味方。
Eテレや民放バラエティの情報伝達のフォーマットを参考にしつつ、神楽のことが楽しく学べる映像コンテンツだ。

ここでの私の役割は、企画やコンセプトづくり。
けれど、企画が進んでいくにつれ、
地元の方々が次から次へと関わってくれるいいスパイラルが起きているので、それで私は一歩身を引きつつ、
わくわくしながらそばにいる。それが楽しい。

撮影現場はいつも和気あいあいとした明るい雰囲気で、
その心地よい空間の中に全身どっぷり浸かるようにして、
ただニコニコしながらいる。

そして、昨晩のこと。
笑いがたえず順調に進む撮影風景を眺めながら、
突然ぽつりと思った。

「いいなァ」

何の他意もなく純粋に、ただそう思った。

これ以外の言葉は全く必要なく、ただただ、
この地域の未来にとって、こりゃいいぞ。

それだけがぴたりとわかった。
課題とか、やる意味とか、今後のビジョンとか、まわりからの反応とか、
そういった喧しく煩わしい言葉はここでは何の意味もない。

ただ、「いい。」

こういうつなげ方もありだよな。

うんうん。いいぞ。

受け継ぐとは、
「受ける」と「継ぐ」と書きます。

「受ける」と「継ぐ」のあいだに、
今の担い手である私たちの意志、そして熱意が必要なのです。

これは最近ある冊子のために書き上げた文章の一節ですが、手前みそながら、この言葉を思い出した。

「受ける」と「継ぐ」のあいだに、
その当事者である方たちが
ただシンプルに「いい。」と思える一手があること。

それさえあれば、未来につながり、
ここにおいては、その選択に善し悪しの仕分けは野暮である。

これでいいじゃないか。

これがいいじゃないか。

撮影風景を眺めながら、
このことに気が付いて、ひとりムフフ、
としていた晩でした。

最前線でがんばっている仲間たちに伝えないと、だな。

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