読書感想文(111)青山美智子『木曜日にはココアを』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

ふと「そういえば今日は木曜日だなぁ」と思ったので、積読になっていたこの本を手にとってみました。
今もコメダ珈琲でココアを飲みながら、この記事を書いています。

感想

心が温まる素敵なお話でした。
この本は12章から成り、同じ世界観の中でそれぞれのお話は独立しています。
その中でもあちこちの人間関係が繋がっていて、人のご縁は良いものだなと思いました。
私自身、人とのご縁はかなり恵まれているように感じており、感謝しています。
これについて、単に運が良いのだと思っていたのですが、最近は自分の心がけが報われている部分もあるのかもしれないなと思いました。勿論、運による部分は必ずありますが、少しでも良いご縁に恵まれるように徳を積んでいきたいです。いや、良縁の為に徳を積むという考え方がそもそも邪ですね笑。でも徳を積むことはきっと他の人にとってプラスになるので、そうなったらいいなと思います。

この作品の特徴として、色が印象的でした。多分最も目立っていたのはオレンジでしょうか。緑の絵も印象的ですね、ブレスレットも緑でした。他にも赤(糸、血)、青(ショーツ)、黄(卵焼き)などなど。
人それぞれ様々な色を持っていて、どれも素敵です。
人間って十人十色だよね、なんて言うつもりはないのですが、それを見事に色で表現している作者は、色に対する感性が鋭いのだろうなと思います。

五感ってあるじゃないですか。
人によって、その鋭さが違っていて、その人の特徴の一つになっているのではないかと思います。
私は「聴覚>味覚=視覚>触覚=嗅覚」くらいかなぁと思っています。
いわゆる「障害者」は他の感覚が鋭かったりもしますよね。
これを作品の方で考えてみると、例えば最近流行りの『鬼滅の刃』もそうですよね。炭治郎は嗅覚、善逸は聴覚が優れています。
この『木曜日にはココアを』は特に視覚、それも色に対する感性が優れているではないかと思ったわけです。それ以外の視覚要素が細かく描かれていたイメージはそれほど無いのですが、これは五感それぞれの中でもさらに要素を細分化できるということかもしれません。或いは私の感性が追いついていないだけかもしれません。
余談ですが、第六感というのは五感の一つ或いは複数がある水準に達すると発揮されるものなのかなと考えています。例を挙げると、村田沙耶香『コンビニ人間』の主人公は聴覚を主として第六感を働かせている場面があります。

この作品を読んで初めにいいなと思ったのは、次の場面です。

「いつもの場所です。好きなところにいるだけで、元気になることもあると思います」
 ココアさんは大きな目をさらに大きく見開き、空いたばかりの席をびっくりした表情で振り返った。
 そして次の瞬間、ふわあっと雪が溶けるみたいに笑った。
「ありがとう。そうかもしれませんね」

P19

これぞ恋に落ちる瞬間というやつです。
主人公は既にココアさんに恋をしているのですが、本当に恋に落ちるというのはこういうものを言うのではないでしょうか。
恋に落ちる瞬間を上手く描いている作品といえば、越谷オサム『階段途中のビッグ・ノイズ』を思い出します。ギターを持った主人公、何か始まるのかなと期待しているような女の子、思わずアンプを使って演奏、拍手して駆けていく女の子。『階段途中のビッグ・ノイズ』は他にも沢山良い所があるのでオススメです。

 なんで、なんで。なんで卵焼きくらい満足に作れないのだろう。
 子どものころから一生懸命勉強して、大学生になったら一生懸命就職活動して、会社に入ったら一生懸命仕事して、ずっと優秀だ優秀だと言われてきたのに。

 仕方ない、私はずっと、逃げてきた。大嫌いな家事と自信のない育児を輝也に一切まかせて、仕事に逃げてきた。みんながなんでもなくできることができないコンプレックスから逃げてきた。

P38

これは結構わかるなぁと思いました。
私はどちらかというと家族にアホだアホだと言われて育ちましたが、いわゆるお勉強でつまずくことなく、それなりにすんなりと生きてきました。
けれども、皆が当たり前のようにできることができないことは山ほどあって、自信を失いがちです。
特に料理は私も2ヶ月後には初めての一人暮らしを始めるので、辛くなるかもしれません。あとはオシャレなんかも苦手です。
それでも私がそれほど追い詰められないのは、「まあやればできる」 と楽観的に考えていたり、「人間って得意不得意があるよね」と受け入れられているからかもしれません。この登場人物ほどはエリートコースを歩んでこなかった私は、その分恵まれているのかもしれません。
でも、苦手でもいつかはやってやるぞと思っています。そんな風に懸命に生きている間に、人生って終わっていくのかなぁと思ったり、その前にどこかのタイミングでふっと考え方が変わって落ち着くのかもしれないなぁと思ったり。

「がんばったね。素敵なお母さんじゃないか。ちっともダメじゃないよ。朝美のそういうまじめで純粋なところ、好きだよ」

P43

将来結婚したら、こんな風に言えたらいいなと思います。

「……永遠の愛って、難しいことですか」
(中略)
「そうね。とても難しいことでもあるし、とても簡単なことでもある。愛そうと決めて愛するのではないからね。愛は本来、すこぶる自由なものよ」
(中略)
「だから結婚式でわざわざ誓いたがるのかもしれないわね、人間は」
動物はわざわざ誓ったりしないのに。

P99

「永遠の愛」というテーマは昔から考えられていると思いますし、私も考えたことがあります。私の中では「永遠であるかどうかを証明することはできないが、それを信じることはできる」といった程度の結論に留まっています。ただ、「愛そうと決めて愛するのではない」というのは確かに頷けるところがあり、忘れがちであるようにも思うので、心に留めておきたいなと思います。

赤い糸。それは、小指と小指をつなぐたよりない一本のことではなく、互いの体の中をかけめくまる血のことなんじゃないだろうか。あらかじめ結ばれた線を手繰り寄せるのではなく、いろんな出来事を重ねながら、それぞれの中で脈々と流れるたくさんの赤い糸を共鳴し合っていく。そんなスペシャルな相手を、人はみな探し続けているのかもしれない。

P102

とっても素敵な考え方だなと思いました。余談ですが、102は私の誕生日です。誕生日の数字は自分の数字である、というのは小川洋子『博士の愛した数式』に書いてあったことです。
自分の心に響いた一節が、自分の誕生日に重なると少し嬉しくなります。

50年後、どうなっているかなんてわからない。
だけど今、50年後も一緒にいたいと思う。
そう願える人が隣で笑っている、この瞬間よりも大切なものなんてない気がした。
きっと、そんな時間が私たちを作っていくのだ。

P103

とても端的に恋愛の在り方が書かれているなと思いました。
私は恋愛をなかなか始められない方なのですが、その原因の一つが将来一緒にいられそうにないな、ということがあります。
50年後も一緒にいたいと思える人と、一緒に生きていけたらいいなぁと思います。

「僕は恰好良くなりますよ。約束します。今は地味に思えるかもしれないけど、年をとったときに必ず、ロマンスグレーのいい男になりますから」 

P113

このぐらい言い切れる自信が欲しいなぁと思います。
私はもう少し手前、30代から40代辺りに焦点を定めて良い男を目指しています。理由は子育て等で一番夫婦が支え合わなければいけないかなぁと思っているからです。でもその前後も二人で色々と楽しめるように考えてはいます。

彼が「マスター」と呼ばれることを好む理由が、なんとなくわかった気がした。誰かのために、何かのために、彼は起点となって人を動かすのだ。マスターと出会わなかったら世に放たれることのなかった光が、たくさんあるのだろう。
でも考えてみたら、多かれ少なかれ、誰もが誰かにとってそういう存在なのかもしれない。きっと知らずのうちに、わたしたちはどこかの人生に組み込まれている。

P179

これはすごくよくわかるなぁと思いました。
私が人とのご縁に恵まれている話は最初の方に書きましたが、本当に色んな経験をすることができました。
一方、私も色んな人に多かれ少なかれ影響を与えているなぁと思うようにもなりました。これは確か平野啓一郎『マチネの終わりに』で、主人公のギタリストが若き天才ギタリストの演奏を聴き、その人と話した後に自分の影響力の無さについて考えていた時、考えたことです。新井素子『チグリスとユーフラテス』でもさらに続けて考えましたが、結論として、私は「人生のノルマクリア達成しているなー」くらいに考えるようになりました。
まだまだ自分の人生を価値あるものにしていくことはできるし、そうしていきたいと思う一方、別にもう十分やってるんだからほどほどにね、とも思っています。こういう部分で落ち着く場所は人によって違うのだろうなと思います。

おわりに

感想が思ったより長くなってしまいました。
作品の感想というよりは、いつも通り連想のような文章となってしまいましたが、まあ自分らしくてこれでいいかなと思っています。
的確なレビューは恐らく他の人がしてくれています笑。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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