読書感想文(106)湊かなえ『Nのために』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回読んだのは先日読んだ『告白』の作者・湊かなえの作品です。
『告白』を読んだ後に友人がオススメしてくれたので早速読んでみました。

感想

この本を紹介してもらった時にも確かちらっと聞いた気がしますが、『告白』と同じように徐々に真相が明らかになっていく構成でした。この形式は作者の得意な手法なのかもしれません。
登場人物達それぞれが勘違いをし、すれ違いを起こしています。そしてこれは巻末「解説」にも書かれていますが、恐らく最後まで事実を皆知らないまま、そしてそれでも「Nのために」なっているのなら良いと思っています。
この点に関しては少しわかるなぁと思います。相手の利になるよう自分が動いている事を相手に知らせる必要は無い、むしろ知らせない方が良いとさえ私は思っていました。最近は少し考えを改めようかなとも思っていますが、このお話はまさにそうした余計な(?)配慮が招いてしまった悲劇とも言えます。そんな警告としても捉えられるなぁと私は思いました。

今回読んだ湊かなえ作品は二作目です。
そして感じたのは、どちらの登場人物達もちょっと妄想的というか、盲目というか、そんな風に感じました。いや、的確に周りの状況を把握することはできていると思うのですが、その後の行動或いは行動判断が異常です。しかしその行動原理はきちんと作中に書かれており、極端ではあるけれども、私とは育ってきた環境が違う故に考え方も違う人々が描かれています。そして、極端な人は現実にも確かに存在しています。
そういった人を描くことは確かに意味があることである、というのは、文学通信の動画で小川洋子さんが仰っていた「作家は一番後ろを歩いている」(すみません、うろ覚えです)という点から思います。また、もっと具体的なレベルでは宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』に近いのかなと思います。
また一方で、登場人物達を極端だと表現しましたが、その本質は程度の差こそあれ世の中によくあることなのだろうとも思います。現実で登場人物達のように極端な行動を取らないのは、育ってきた環境等によって育まれた行動原理が違うからに過ぎません。
では極端な(悪い)行動を取らないようにするために必要な行動原理というのは何なのでしょうか。かなり大きな問いですが、これを明確にできれば色んな問題に対処しやすくなるような気がします。今回はとりあえずこのくらいにして、頭の片隅に入れておきます。

また少し話を戻して、極端な行動を取る登場人物達は、お互いに理解し合える部分があるように見えます。
それはこれまで他の人と分かり合えなかった分、少しでも分かり合えば過大に考えてしまうからかもしれません。そしてそれが思い通りにならなくなった時、それまで積み上げてきたものが壊れてしまいます。この点は、奇しくも昨日感想文を投稿した島本理生『大きな熊が来る前に、おやすみ』に通ずる所があるように思います。
そしてこれも現実でよくあることだと思います。これについては私は特によく当てはまるかもしれません。
普通の人って(普通ってなんだとは思いますが、上手い表現が見つからないので)、上記のような齟齬を恐らく何回も繰り返して、そして人間の考え方なんてバラバラだということを悟っていくんですよね。私も頭ではわかってるのですが、そもそも「他人とわかり合えたかも!」という経験が少ないせいで、多分心がついていっていないような気がします。

さて、少し話が逸れたのでまた作品に戻ります。
巻末「解説」にも書かれているように「本書は本質的に恋愛小説」です。
そして本文中にも「愛」について時折書かれているので、いくつか言及しておきます。

まず「灼熱バード」の感想を言い合う場面で、「究極の愛とは何か」という問いについて。
「罪の共有」という一つの主張が出されていますが、これはまだまだ抽象度が低いように感じます。何の為の「罪の共有」なのか考える必要があります。ただし、作品内の場合は具体的なエピソードと関係してくるので、それだけ強烈な経験であるということなのだと思います。
次に登場人物の思考が書かれているところです。

誰かに愛されたいなんて思わない。愛されるための努力なんて絶対にしない。それがいかに愚かな行為であるかということは、痛いほど身にしみている。

P200

これも経験によって生まれた哲学ではありますが、まだまだ色んな要素を分解できていないのではないかと思いました。後に言及される「一人で生きていく力」を求める気持ちは、愛される為の努力が愚かな行為であると考える故に起こるものだと思います。
自分に当てはめて考えると、多分私は愛する側にまずなります。その後、愛する人がどのように変わっていくのか、という点は昔いくらか考えたことがあります。勿論人によるのですが、中には作中登場人物のように「愚かな」状態になってしまう人もいるでしょう。恐らくそういう人は自分とは合わないだろうな、と思っていました。
しかし今こうやって改めて書いてみると、自分の方が変わることもできるんだなという当たり前の事に気づきました。
作中の例で言えば、ある登場人物とその母と弟が別の家で生活を始めた時、兄弟で母の部屋を掃除して寝かしつけます。その人物は後に「それが良くなかったのかもしれない」と考えます。「寝る場所くらいは自分で用意させるべきだったのだ。お姫様は床に臥せったまま、いつまでたっても起き上がろうとしなかった。」と続きます。
どこまで人の為に行動して良いのか、どこまで自分自身でやるべきなのか、やらせなければならないのか。
これは私がかなり昔(小学生か中学1,2年生頃)に考えた理想の恋愛の形、即ち「お互いが相手の事を思い遣れば自分の事を考える必要なんてない」という哲学を根底から揺るがすものです。まあ既に経験的な点からも古い理論だと位置付けてはいるのですが、これは「自分の事は自分でやるべき」というありがちな主張に対するアンチテーゼであり、一応残しておきたい考えです。
でも、先程自分が変わるという選択(即ちわかりやすく言えば、無償の奉仕ではなく自立を前提とする、といったところでしょうか)を考えてみると、やっぱり「自分の事は自分でやるべき」なのかなぁと思ってしまいます。
かなり根本的な行動原理に一石を投じることができたのはとても面白いことですが、根本的であるが故に慎重に考えたいと思います。今回はひとまずこの辺りにしておきます。多分読者の多くを置いてけぼりにしている気がしますし……。

最後に一つだけ、「灼熱バード」は結構傑作じゃない?と思ったのですが、どうなんでしょうか。プロの視点から見ればやはり一次選考落ちなのでしょうか。割と夢中になって読んだのですが……。

おわりに

今回も『告白』同様、先が気になり過ぎて夢中になって読みました。
湊かなえ作品は多分好きなので、これからも色々と読んでみたいです。
今の所オススメされているのは『ポイズンドーターホーリーマザー』『山猫珈琲』『花の鎖』の三作です。
いつになるか未定ですが、そのうち読むと思います。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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