読書感想文(65)トルーマン・カポーティ作、村上春樹訳『ティファニーで朝食を』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回はオードリー・ヘップバーン主演の有名な映画の原作です。
ちなみに映画は観たことがありません。

読んだきっかけは、知人のオススメです。
だいぶ前に買ったのですが、久しぶりにその人に会う予定があったのでその前に読もうと思って読み始めました。

感想

この作品には全部で4篇の作品が収録されています。
本のタイトルになっている「ティファニーで朝食を」が中篇、「花盛りの家」「ダイヤモンドのギター」「クリスマスの思い出」が短篇です。

全体の印象としては、まだまだ理解しきれていないなと思いました。
どの作品もなんとなく惹かれるところはあるのですが、それを上手く説明できません。

退屈な結論だけど、要するに『あなたが善きことをしているときにだけ、あなたに善きことが起こる』ってことなのよ。いや、善きことというより、むしろ正直なことって言うべきかな。規律をしっかり守りましょう、みたいな正直さのことじゃないのよ。(中略)そうじゃなくて、私の言ってるのは、自らの則に従うみたいな正直さなわけ。卑怯者や、猫っかぶりや、精神的なペテン師や、商売女じゃなきゃ、それこそなんだってかまわないの。不正直な心を持つくらいなら、癌を抱え込んだ方がまだましよ。だから信心深いとか、そういうことじゃないんだ。もっと実際的なもの。癌はあなたを殺すかもしれないけど、もう一方のやつはあなたを間違いなく殺すのよ。

「ティファニーで朝食を」で一番印象に残ったセリフの一部です。
この女優は天真爛漫で、名刺に「旅行中」と書くほどの自由っぷりです。
こういう自由さって大人になるにつれて自然と消えていってしまうように感じます。
これは恋愛に例えて考えることもできるのですが、しっかり書くと長くなるで簡潔に書くと、スタンダール『恋愛論』の言葉を借りて趣味の恋と肉欲の恋を現代の男女関係に当てはめたようなものです。読者或いは将来の自分がこれで理解できるのか不明ですが、まあよしとします笑。

この天真爛漫な点について、訳者あとがきで次のように書かれます。

『ティファニーで朝食を』のホリー・ゴライトリーがどのような結末を迎えたかは、作品の中では明らかにされていないが、たとえどのような状況に置かれたにせよ、彼女が「いやったらしいアカ」や幽閉への恐怖から完全に逃れることができるようになったとは、信じがたいところである。主人公の「僕」がもう一度ホリーに会いたいと思いながら、そのことにもうひとつ積極的になれないのは、イノセンスの翼を失ってしまった彼女の姿を見ることを恐怖するからだし、おそらくそうなっているのではないかという予感があるからだ。彼はおとぎ話の一部としてのホリーの姿を、永遠に脳裏に留めておきたいのだ。それが彼にとってのひとつの救いになっているからだ。

なるほど、言われてみれば確かにその通りだと思いました。
「訳者あとがき」を読んでからこれに気づいたという点でも、やはりこの作品を理解しきれていないなと思います。
ただ、そのイノセンスというものに自分も憧れを持ち、そしてやはりそのままであってほしいと思っているのだろうと思います。

「花盛りの家」にもやはりイノセンスが見出されます。「ダイヤモンドのギター」は正直どうかわかりませんが、「クリスマスの思い出」にも見出されます。
その点を踏まえた上で、もう一度この作品を読み直した時、どのように読むことができるのか楽しみです。

また、141ページには「ティファニーで朝食を」における重要な人間関係が明かされます。これも再読する際には確認しておきたいです。

おわりに

分量も文章も読みやすいのですが、少し難しかったです。
まだまだ若いのでこれから色んな作品を読んで、この作品もいつかもっと深く理解できるようになりたいと思います。

というわけで、最後まで読んでくださってありがとうございました。

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