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丈夫な日本と「世界の終わり」のサブカル史【前編】

台風大丈夫でしたか。みんな言ってますけど、改めて無事ですか。停電等まだまだ被害が続いている方々の一刻も早い復旧をお祈りしております。

今回の台風話題になったのが「地球最大規模」っていう触れ込みですよね。最初フレーズ聞いたとき

「え?『2012』の話してる?って思いました。」

そんな設定最近だとフィクションでもやらないよって感じですよね。何だその安易すぎる設定はっていう。

そういうディザスターものの映画や、もしくはここ最近のアニメ作品に多い設定が、

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っていうやつです。

ヒーローとセットで「世界を救う」という文言がついてくるように、救われなきゃいけないほど終わりに近づいた世界というのは、サブカルチャーの中で古くから親しまれてきたものです。

そんなサブカルと切っても切り離せない、「世界の終わり」像の歴史と現在について、今日はお話しようと思います。

70年代から振り返って、現代に「セカオワ」がもたらして「世界の終わり3.0」ともいうべき「世界の終わり」像までお話していきます。よかったら是非。

「シラケの70年代」

こと日本アニメにおいての「世界の終わり」を語る上で切っても切り離せない文化的、歴史的背景として、「東西冷戦」と「核兵器」があります。

え~今日はそういうお硬いテーマか~、もう今日疲れたしやっぱアライのnoteやめてYoutube 見て寝よ、って思ったあなた!もうちょっとまって!そんなに難しい話はしないから!!

東西冷戦が激化する少し前の日本では、すでに戦争によって日本中、世界中に知れ渡った「核兵器の恐ろしさ」から、フューチャリズムが低い状態が続いていました。

あ~もうすぐカタカナ使う~やっぱやめてYoutube (以下略)

フューチャリズムを噛み砕いて言うと、

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って風潮だったということです。

「銀河鉄道999」などに代表されるような、たくさんの未来像を提示しつつ、「でも技術って人を幸せにするのか?」というテーマの作品が作られた時代でした。だから999ってメカメカしいイメージじゃなくてファンタジーのイメージなんですよね。

もう一つ同時期の時代性として紹介しておきたいのは「シラケ」の風潮です。

「シラケ」を簡単に言うと学生運動や抗議デモが沈静化して

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ってなっちゃったってことです。

俺らが同頑張っても世界は変わらないし、日常が続いていく、そんな感じの「シラけた」目線をもつ若者が増えていったのが、この時期です。

ここじゃない、どこかへ

そんな中で激化していった「東西冷戦」は、日本のサブカルチャーに大きな変化をもたらしました。

同時期80年代のアニメ、漫画作品は大きく分けて2つの流派に分かれます。

1つは、「シラケ」の文化の延長上、

「どうせ世界は変わらないのだから、これからも続いていく『終わらない日常』を謳歌しようよ

という派閥。こちらは「うる星やつら」に代表されるようなラブコメディが相当します。

「ダーリン浮気は許さないっちゃ!」と何度言われても、「どうせラムちゃんから愛される俺の日常は終わらない」から、ちょこちょことした浮気を繰り返していくわけですね笑。

そして、この反対側に立ったのが、

そうはいってもそんな『終わらない日常』から脱却したい、ここじゃないどこかへ行きたい

という欲求が生み出した

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を描いた派閥。

この「核戦争」は、まさしく「東西冷戦」によって引き起こされるかもしれなかった「バンバン核兵器が飛び交うやばい戦争」を指しています。そしてここで描かれるのが「世界の終わり」です。

つまり、ここでの世界の終わりは「世界全体」の終わりであり、もっと言えば「自分のうちと外と内を含む世界の終わり」です。どうしてこんな言い方をしたかは後に説明します。

この時期の作品に「ナウシカ」「AKIBA」「北斗の拳」があります。ナウシカはまさしく核戦争が起こったあとの世界を描いていますからね。「AKIBA」は東京オリンピック2020を予言していたと話題になっていましたね。

そして、「共同性」とはどういうことかを説明します。

転生したら日本現代社会だった件

ここで紹介したいのが、「転生戦士」の存在です。

当時若者の間でキャッチーだったもののの一つに「オカルト」があります。月間「ムー」(僕らと同世代はケロロ軍曹と新海誠作品でおなじみ)に代表されるような、未確認生命体やUFOなんかを楽しむ文化ですね。

そして、「前世の記憶」というのもまた、キャッチーなオカルト文化でした。先程紹介した「ムー」の読者ページで、

「前世で魔法戦士として魔王と戦った方」

「前世でゾディア連合軍として戦っていた方」

などが文通相手として募集されていたんだそうです。このように

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というのが80年代の典型的中二病患者の姿だったようです。

構図として「転スラ」と逆なのが面白いですよね。

そして、なぜ転生戦士たちがそうやって仲間を募っていたかといえば、「来たるべき核戦争(終末戦争)に備えるため」なんですね。これがまさしく「核戦争前後の共同性」にあたります。

ナウシカも、核戦争後の世界を生き抜いて行く話、ですから十分に「共同性」がありますね。

サブカルとオウムと自殺マニュアル

そしてこの80年代から、次の年代への変化を語る上で切っても着れない存在なのが「オウム真理教」です。

「オウム真理教」は非常にサブカルチャー的な存在なのはご存知だったでしょうか。

様々な宗教や神話のモチーフを採用していることはもちろん、「宇宙戦艦ヤマト」に登場する放射能汚染を除去する「コスモクリーナー」と呼ばれるものが教団内にあったり、宣伝ビデオの内容が「ナウシカ」に酷似していたりと、多分にサブカルチャーの影響を受けていたんです。

そしてその教義の中心となっていたのが「世界は終わりに向かっており、来たるべき核戦争(と同等の終末=ハルマゲドン)に備えて、修行によりみんなで自己を高めよう」というものでした。

これも「核戦争前の共同性」とまさしく言えるものです。

そのご、90年代に入り、冷戦も終わりに向かうと、そのような「世界の終わり」とサブカルチャーの関係にも変化が訪れます。

1993年に出版された「完全自殺マニュアル」という本をご存知でしょうか。これは様々な自殺の方法を紹介し、その辛さの程度やメリットデメリットを解説した、当時社会現象となった本です。

一見自殺を助長しているように見えるこの本の最後には、こんなメッセージが書かれています。

「もう“デカい一発”は来ない。22世紀はちゃんとくる(もちろん21世紀も来る。ハルマゲドンなんてないんだから)世界は絶対に終わらない」

つまり、全体のメッセージとしては、

「世界は核戦争でもハルマゲドンでも終わらないから、死ぬことぐらい自由にやらせてくれ」ひいては

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という思想なんですね。

そしてその2年後、「地下鉄サリン事件」が起こります。これによってあらわになったのが「修業によって自己を高めているだけでは、世界が変わらなかった。だから実力行使した。」という「核戦争前後の共同性」の破綻です。

自己世界と他者世界

この2つによって「世界を変えようとしない限り世界は変わらないし(当たり前なんだけど)、そうそう世界は終わらない」という風潮が高まり、

「外の世界は永続的に続いていくけど、自分の中の世界=自己世界の実存はいつでもなくせる」という新たな「世界の終わり」が生まれます。

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に描き方がシフトしていくのです。

ここからは、自己の絶望から自己世界のおわり、つまり「もうこのままでは自分は無理だ、死ぬ」という世界の終わりになっていくんですね。
この世界の終わり像を、ここからは「世界の終わり2.0」と呼びます。

(後編に続く)
後編では、「セカオワが提示した世界の終わり3.0」について、2000年代以降の「世界の終わり」の歴史についてお話しようと思います。

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