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【港区】浜松町の富士山に行ってみよう。

今回は浜松町駅近辺の明治時代の地図で周辺を巡りました。


まずは浜松町の富士山(富士塚)です。

この地図は文明開化時 1876-84(明治9〜17年)の地図です。

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芝離宮はそのままなので、現在のJR浜松町駅 近くですね。

「富士山」という表記がありました。

ここには富士塚があり、富士講の信仰を集めていた場所のようです。

北側には池もあります。

実際の富士山もいわゆる富士五湖は北側に位置しています。ここは富士山の箱庭なんですね。

江戸時代(1865年くらい)の地図を見ると 播磨赤穂藩 森越中守忠徳 とありました。この富士山に登って池を眺めながら、富士山に想いを馳せるなんてことも江戸〜明治時代の人たちはやっていたのかもしれませんね。

ただここはウィキペディアにも載っていない場所で、歴史とともに姿を消した富士山(富士塚)と言えるでしょう。30年後の明治末期にはこの富士塚も池も無くなっていました。

例の如く青い丸が我々のいるところです。

さて、現代ではどうなっているかというと・・・・

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礎会館という建物が、昔の富士塚の跡に建っていました。

一見すると宗教系かなと思わせる建物でしたが、ここは東京電力の労働組合が2011年芝浦から移転してきたようです。

建物自体はそれよりもっと古そうなので賃貸のビルなんでしょうね。

明治初期には富士塚があった場所ですよということで・・・

このあと折角だから

芝離宮に行きました。

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芝離宮は1860年ごろの江戸時代の地図で見ると

紀伊和歌山藩 紀伊中将慶福 55万石 とあります。

のちの14代将軍 徳川家茂 です。

うわーここで繋がった。以前に行った現在の赤坂御所、迎賓館の敷地も徳川家茂の敷地でした。

江戸末期に将軍家の持ち物だったからこそ、そのまま残ることができたのかもしれません。

ちなみに江戸時代には大久保家、堀田家などの幕府の重鎮が屋敷を持ち、その後徳川家、明治維新後は皇族、

今風な言い方をすれば「パワースポット」ではないでしょうか。

大久保家が拝領したのが1678年。
340年以上も変化著しい東京で生き延びている都内有数のパワースポット。
将軍家の庭園の風景を味わえる数少ない場所。
高層ビルに囲まれた江戸と現代の交わる庭園です。

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一番高台の大山の上でパチリ。位置関係は明治時代と変わっていません。

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芝離宮から西、大久保邸があったので行ってみることにしました。

明治政府の大久保利通ではなく、芝離宮に住んでいた幕臣の大久保家。

江戸時代の地図には

小田原藩藩主 大久保加賀守 忠愨 よりひろ とありました。8代藩主です。

この後 小田原藩藩主は10代の忠良が西南戦争で死亡し最後の藩主となります。

さらっと西南戦争で死亡しとありますが、官軍側で藩知事華族で、わざわざ戦でSKIN IN THE GAME(最近好きな表現です)する必要ないと思うのですが、家督を養父に譲って軍人になるあたり、心に期するものがあったのではないかと想像できます。

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今はどうなっているかというと世界貿易センタービルで跡形もありません。

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明治時代の大久保邸跡をバックにパシャリ。なかなか充実した地図めぐりでした。


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