見出し画像

【港区】「君、あれを今すぐに開発しろ、グズグズするなよ」 笹川良一


2019年6月訪問

笹川記念館に用事があったのでいってみて、東京時層地図ではどういった具合になっているのかなと思って調べてみました。

昭和のドン、笹川良一。

三田の慶應義塾は江戸幕府の防衛ラインだった?

政府要人の住んでた三田界隈。

江戸の玄関・高輪大木戸。

などなどです。

東京時層地図・笹川記念館


笹川良一


笹川記念館の創設者である笹川良一といえば、40過ぎの私にとっては

日本船舶振興会のCMが印象深い。

アフリカの人達が手拍子で何か歌っているCMだ。

画像1

そして必ずでてくる高齢の老人。

子どもながらにこの人は誰なんだと父親に聞いたところ、

「ああ、うん…笹川良一か…」

と、キレが悪かったのを覚えている。

笹川良一

戦後マスコミ最大のタブーといわれ

日本の首領、財政界の黒幕と称され数々の逸話がある。

「悪名の棺 笹川良一伝 工藤美代子著」では

・ノーベル賞作家川端康成の幼なじみ
・相場師
・右翼政党の総裁
・海軍大将山本五十六との親交
・清王朝の末裔である川島芳子との色恋沙汰
(オヤジの好みではないとのちに息子が語る)
・東条英機との獄中でのやりとり
(晩年、女性を紹介しろと息子にせっつき、息子が宝塚の女性を5.6人連れてきたら、緊張して「巣鴨プリズンで東条がね…」と場違いな昔話をしてしまう)
・A級戦犯容疑者
・銀座から巣鴨プリズンまでパレードで入獄
・ロッキード事件等で政界の黒幕と目された右翼の超大物、児玉誉士夫との関係
・大富豪でありながら3人の息子達に恨まれるほどの極度のケチ。
・日本船舶振興会設立
・晩年になってハンセン病撲滅事業に財産を突っ込む
・数100億はもっていたが、
「財産を残さないという教育が俺の財産だ 」
という方針で笹川良一に続き夫人が亡くなった時には、簡単に現金化できない不動産、株などの遺産50億に借金30億。現金化して相続できるようなめぼしいものがなかった等々。
・長男勝正は「親父からは本当にビタ一文もらっていないのに死んだからってもらうわけにはいかない。」と相続放棄したが、その手続きで15万かかったとぼやく。

3人の息子はよくグレなかったなと思うが、こんな父親だったらグレようがないか。

三男の陽平が大学時代にスケートをするために良一におこずかいをねだりに行ったら
「そんなものはいいから廊下の雑巾がけをしろ、そんな暇あるならこれでも読め」
と一冊の本を渡された。

「菜根譚」

今から300年前の中国の明代末期に儒教と仏教と老荘を混ぜ合わせて作られたもので、笹川良一もお寺で読まされたとの事だった。

今まで知らなかったので思わず本屋に行って買ってしまった。非常に良い本だった。思わぬ良い出会いだ。

このあたりで笹川良一とはさようなら


現代

慶應義塾大学があることを発見して、地図の範囲を広げてしまった。
このあたりは再開発著しい場所だ。

赤枠で囲まれた場所はものすごく寺が多い。
ほぼ寺といっていい。

画像2



慶應義塾のさらに北に古川という川があり、それは芝公園へと続く。
地図の西側が白金高輪、東側が芝浦の埋立地。

現在の亀塚公園から亀形の霊石が発掘され、それを亀塚稲荷神社の御神体とした。
寺、神社、遺跡、海岸線。
古くから人の生活がある。面白そうな場所だ。

地形図

見てみよう。細長い半島という感じ。すこし引いてみるとカギ状の半島になっている。

画像3

何度も取り上げるが、中沢新一のアースダイバーでは縄文時代は低地は海であり、陸には貝塚や埋葬地があり、のちのちに神聖な場所として、神社や仏閣が建てられたというのが氏の主張だ。

この辺はどうだろう。

この辺はというと、東京都教育委員会のHPを見ると現在のNTTデータ三田の場所には伊皿子貝塚遺跡があり、以前は大円寺というお寺があった。(明治41年に杉並区和泉へ移転)

ちょうど赤い丸で囲ったあたりにあった。

地形図をみると当時の縄文人の生活がイメージできる。結構狭い所で暮らしていたんだなあ

弥生時代になると遺跡が少なくなるが、それは海が後退したのと、水稲栽培となると、起伏のある土地は不向きなのだろう。

ちなみに同じ港区で一番古く人間の生活のあとが見つかったのは青山墓地で、縄文早期の土器や後期の黒曜石の矢じりも見つかっている。
早期から後期は少なくても7.8千年はある。
有史よりも長い。
気の遠くなるようなすごい話だ。

文明開化時 1876-84(明治9~17年)

140年前でこのあたりは海沿いだった様子。
三田は最古の歴史をもつ土地のひとつで、三田の字が当てられるようになったのは室町時代から。

北から南西にかけて、寺がずらーっと並び立っている。(赤い囲み)江戸時代の地図にもこのあたりは寺だらけだった。

フランス公使館が見える。1859年の日仏通商条約によってここに置かれ、初代臨時公使はド・ベルクール。1870年(明治3年)に引き払いとあるが・・ということはこの地図のこの部分はそれ以前のものなのだ。

後から出てくるが慶應義塾は1871年(明治2年)三田にしていることから、この時期であればなければおかしい。それがない。
ということはそれ以前の地図ということになるだろう。

画像4


海岸線沿いのY字路がいわゆる

札の辻

高札のあった辻で、幕府の定めた法令などを周知していた。江戸時代初期から東海道の高札場がここにあった。
東海道はここから芝から日本橋、飯倉から虎ノ門へと達する2ルートに分けられる。

ちょうど私のいる所の向かい側が御田八幡神社で鬼退治の渡辺綱を祭ってある。
さらに南に行くと、伊皿子貝塚遺跡のあった大円寺がある。(赤マルの囲み)

明治末期 1906-09(明治39~42年)

画像5

北から建物をあげていくと

松方邸(松方正義、薩摩。現在のイタリア大使館、赤穂浪士切腹の地)

蜂須賀邸(運動場と書かれてある上の屋敷。恐らくは蜂須賀正昭)

慶應義塾(1871年三田に移転、島原藩跡)

鍋島邸(鍋島直柔、蓮池藩鍋島家。直柔は慶應義塾入学している。)

徳川邸(徳川逹孝、田安徳川。16代目徳川宗家の徳川家達の弟。昭和15年に慶応義塾に売却。ちなみに2019年7月の参議院選では19代目徳川宗家 徳川家広が立候補した。)

1860年頃の地図だと鍋島、徳川、蜂須賀邸あたりは松平肥後守容保邸とある。すなわち戊辰戦争の敗軍の将となった松平容保の屋敷だ。

(※否定はされる向きもあるけれど、大木戸から後ろのは譜代の大名を置いて、幕府の防衛ラインを作っていたんだと思っている。その前には寺が密集して街道から攻めてくる敵を迎え撃つような仕組みになっている。ここが突破されたら次は川を渡った増上寺が最終防衛ラインだ。同じような感じで日光街道の最終防衛ラインは上野の寛永寺、甲州街道の防衛ラインは四ツ谷。寺を集めればそれが砦となる役割を果たすと思う。)

水野邸(1860年ごろの地図だと摂津麻田藩 青木一成)

松平邸(1860年ごろの地図だと丹波亀山藩 松平信義)

浅野邸(浅野総一郎、浅野財閥。紫雲閣)

紫雲閣


浅野財閥は浅野総一郎が一代で財をなし、財閥になり、直系の企業数では三井、三菱、安田を超える。日本の15財閥の一つだ。戦後はGHQによって解体。
京浜工業地帯の生みの親。

浅野邸の近くに洗濯屋があり、洗濯物を干しているのが紫雲閣から見えて目障りだというので、浅野邸が塀を高くすると、洗濯屋も物干しを高くして目立つようにして、浅野邸と洗濯屋とのバトルが面白ろおかしく新聞沙汰になっていたと・・・。

華頂宮邸(現在の亀塚公園の一部。)1868年設立1924年断絶。

このころは皇族が増えすぎるのが問題だったようだ。長男以外は自動的に皇族から華族になってしまうシステム。皇族がいなくなっている今とは逆の情勢。

一番下に大木戸というのがある。ここから先が江戸でここから先が江戸の外。
いわゆる関所。

大きな木の扉で明け六つ暮れ六つの大体朝6時に開いて、夕方6時に閉まっていた。

2020年、近くに高輪ゲートウェイという山手線の駅ができる。

平成の時代は六本木ヒルズとか東京ミッドタウンとか銀座シックスとか東急シネマズとか漢字カタカナの組み合わせのネーミングが流行りだった。

江戸時代の江戸の玄関、高輪大木戸。
令和の東京の玄関、高輪ゲートウェイ。

そうやって考えるとこの名前ピッタリじゃないかなと思う。

それにしてもこの地域だけの地図でもかなり歴史を感じる。

田町から笹川記念館までを歩いたくらいじゃ、全くそういう歴史を感じることができなかった。

むしろ閑散としていて、寂れているからこれから開発するのかな的な感想しかなかったが、やっぱり地図は素晴らしい。世界が広がる。

さらにはお寺の多さだ。南品川近辺は幕府の政策で、たくさんのお寺が建てられたと、NHKでやっていたが、このあたりもそうなのだろう。

お寺はコンビニより多いという話もあるが、この地図をみるとまさにその通り。
民家よりも寺が多い。

慶應大の南の区画は全面広範囲の寺といってもいい。

関東大震災前 1917-28(大正6~昭和3年)

画像6

1880年(明治13年)より始まった海沿い埋め立ては1914年(大正3年)に完成した。
100年前にしてこんなに線路が通っているのは、流石は鉄道発祥の地の新橋近くだ。

文字が切れてしまっているが、松方邸の西側は財閥の三井邸。鍋島邸も吸収する形になった。

1913年(大正2年)にコンドル設計で完成した。コンドルの設計というのはこの時期多い。前回の迎賓館もそうだった。

現在も三井綱町倶楽部としてある。


三田4丁目に普連土女学校というのがある。

フレンド女学校という嘘みたいな名前の学校だが、1887年(明治20年)からある歴史ある学校で、卒業生には「片付けコンサルタント、世界に影響を与えた日本人第1位、世界で最も売れた日本人の本第1位」のコンマリこと近藤麻理恵さんがいる。

僕の部屋もコンマリの思想によって片付いた。

もはや現代の思想家といっていい。

コンマリ思想のときめきくものだけを残すというのはなかなかだ。

そして単なる片付け上手なお嬢さんで終わらず、片付け富豪ともいえる地位を築き上げた。

華頂宮邸1924年(大正13年)断絶。建物も見当たらなくなっている。宮邸の南側にあった墓地も更地に。

水野邸の名前が消えたが水野邸の敷地は高度成長前夜まで残っている。現在は三菱UFJ銀行の跡地を経て三菱が22階建の高層マンションを建設中。


1923年(大正12年)の関東大震災では三田豊岡町の工場5つも大きな被害にあっている。

ここにあったのは日本工学工業の工場。のちのニコンの三田豊岡町工場。

翌年にニコン本社は東京市芝区三田豊岡町13番地に移転とある。(青い囲み)

緑のラインは現在でも幽霊坂と称されている。

お寺とお寺の間に挟まれた狭い坂道なので、幽霊坂という名称にはぴったりだが、乃木坂近辺も幽霊坂と称されていた坂道があり、そこはゴミ捨て場だったという。

幽霊坂=ゴミ捨て場という理解になったが、門前にゴミを捨てるのも締まらない話だし、ここは幽霊が出るということにしておきたい。


昭和戦前期 1928-1936(昭和3~11年)

戦前の地図は毎度荒いがそれはそれでまた一つ味というもの。

画像7

松方邸の松方正義は1924年に亡くなる。その後、松方邸はイタリア大使館となる。
松方は非常に女好きの子沢山で15男11女という種牡馬並みの性豪だった。
明治のビッグダディはケタが違う。
現在ではその子孫は600人にも及び、プロフィギュアスケーターの八木沼純子さんもその一人のようだ。

埋め立て地は西芝浦2丁目と称し倉庫などができる。

高度成長期前夜 1955-1960(昭和30~35年)

戦後の高度成長前夜
徳川邸は学校(場所的には慶應義塾女子校)
線路がすごいことになっている。

画像8

埋め立て地にある横河橋梁工場は1957年に西芝浦に移転。
横河電機、のちの日本HPが母体の会社だが、なんで取り上げたかというと、近所のおしゃれな邸宅が横河正三と表札がでており、調べたら故人だったがここの社長だった。
オープンで外から見えちゃうのも時代なんだろう。
あと何年か、後継ぎ世代でマンションになるのがこのご時世だ。

現代の富豪、渋谷大山のユニクロ柳井さん御殿は5メートルの石垣で全くうかがい知る事はできない。

バブル期 1984-1990(昭和59年~平成2年)

笹川記念館の8階には会長室があり、笹川良一は総理大臣になる前の中曽根康弘を呼び、新橋の汐留操車場を指差して

「君、あれを今すぐに開発しろ、グズグズするなよ」

と言ったとか。ちょうど80年代前半の事だ。

お台場の船の科学館は笹川の日本財団の自前の土地。
お台場の土地一帯はフジテレビでもなんでも、全部東京都の土地を借りているだけなのだそうだ。
自前の土地は日本財団のみ。
画像9

時代は変わる。

このバブル期にはあった芝浜中学や南海小学校は統廃合され、現在(2019年)では大規模な再開発の真っ只中だ。

かつては京浜工業地帯に一大勢力を誇った浅野財閥の紫雲閣があったことなどを考えると、まさにツワモノどもが夢の跡。

前の前の前には何があったなんてことを教えてくれるのは地図だけだ。

地図からは見切れてしまっているが、画面の一番下に泉岳寺駅の表記がある。
泉岳寺は赤穂浪士の討ち入り事件が起こるまでは

「それまではただの寺なり泉岳寺」

と川柳で呼ばれる通り、ひっそりとした禅寺だったそうだ。

港区でもこのあたりは埋立地あり、高台あり、山あり谷ありの複雑な地形を持っている。
それが多種多様な職業と人々が混雑する事で活力のある魅力的な街を形成していると、40年前の本にはあった。

多様性というのはここ最近の世の中キーワードだけれど、じゃその多様性っていうのは何だろうか。

自分にとって都合のいい、または影響もない事が多くなるのが多様性なのか。

それとも嫌な事や都合悪い事も併せ呑むのが多様性なのか。

わからない。難しい。最近の本の流行は「不確実性をいかに乗り切るか」だ。

札の辻交差点から東京タワーを望む。

画像10


何も知らずに写真を撮ったときと、調べた今では同じ写真でも全く違って見える。

今では歴史の時層がいくつも重なってみえる素敵度100パーセントの街並みだ。

参考図書

「港区の歴史 俵元昭 著」
「歴史の散歩道3 港区」
「悪名の棺 笹川良一伝 工藤美代子 著」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?