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私のアトピーと「撮られたくない…」の話①

「写真を撮られることに
ものすごい抵抗と苦手意識があった」という話をたびたびしている私ですが、

何年もかけて
いろんな人に撮ってもらいながら
少しずつ感覚の変化を味わってきて、

いまの私にとっては、
撮ってもらうことは
喜びでしかない。

その時のシチュエーションとか
撮ってくれる方との関係性によって
程度の差はあるけど、
ほぼ無条件で、一瞬でボルテックスに入れる、
一番好きな瞬間かもしれない。

カメラを見ると駆け寄ってくる
撮られるのが大好きな2歳児、
みたいな感覚になる。

この振れ幅を経験していることが
私の一番の強みだし、
一番、活かしていきたいこと。


今まで私が体験してきたこと、
感じてきたことを
少し、ちゃんと語ってみようかな、と思います。


私は子どもの頃から
アトピーがあって、
特に顔の症状が酷かった。

一番酷かったのが
10代から20代前半くらいの
多感な時期。

湿疹だらけの
真っ赤な顔で生きていた。
町を歩けば知らない人に
「あなた、かわいそうね」と
声をかけられる。

鏡を見たくなくて
洗面所に行くときは
夜なら電気をつけず、
昼なら顔を伏せていたし、

学生時代、
学校行事の写真は
見るのも嫌で
ほとんど買わなかった。

「痒い」「痛い」「ヒリヒリする」という
リアルな体の感覚が、
「お前は醜い、気持ち悪い」という
自分の見た目への攻撃的な感覚に
自動的にぎゅっと結びつく感じが
本当に辛かったな、と思う。


ただ、アトピーの症状には波があって
そこそこ状態のいいときもあった。

今思えば、私にとって
本当にありがたかったのが
小学校の卒業アルバムの写真を
肌の落ちついているときに撮れたこと。

そして、
その時の学校カメラマンさんが
とても引き出し上手な方で、
私にとっては奇跡のような
可愛い笑顔の写真を
撮ってもらえたことだった。

「私にもこんな一面があるんだ」と
言葉にして自覚したわけではなかったし、
日常いろいろあるなかで
すぐに記憶の底に
しまい込んでしまったけど、

でも、あの卒業アルバムの写真は
本当に、当時の私にとって
小さいけれど失くせない光だった。


かつての私が、
撮られることに対して
異様な抵抗と拒絶感があった理由、

そして、
苦痛でしかなかったのに、
「撮ってもらう」ということに
チャレンジし続けることができた理由。
(キツイけど、これは絶対に私にとって
大事なことだ、と思っていた)

それらを経験してきたからこそ
今の私にできること。

あぁ、こうやって
全部繋がっているんだな、と思う。


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