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【読解】 磯崎-Ⅱ_磯崎新+浅田彰「デミウルゴスとしてのAnyoneの断片的肖像」

明らかに、この断片のキーワードは《間》(Ma)です。

第一段落

①《間》(Ma)とは、日本語において、二点間の距離、二音感の休止区間などの空白部分を指す言葉で、芸術表現の全域だけでなく、日常生活における均衡感覚などにも深くかかわり、それらを解読する鍵概念となったものである。ここでは、感知される存在ビーイングよりも、それらの周辺または中間インビトウイーンに介在する空虚ヴアナキユームを注視することが要請され、その見えないものの感知にはプラーナの呼吸を介して肉体化する手段が採られる。

磯崎新+浅田彰「デミウルゴスとしてのAnyoneの断片的肖像」、『Anyone〈増補改訂版〉 建築をめぐる思考と討議の場』、NTT出版、1997年、p.67。段落番号①から④は筆者による、以下同様。

《間》(Ma)」という言葉は何を指しているのでしょうか?

《間》を知るには「感知される存在ビーイングよりも、それらの周辺または中間インビトウイーンに介在する空虚ヴアナキユームを注視することが要請され」ます。

ここで突然ですが、剣道で対峙する二人を思い浮かべてみましょう。その竹刀を構えている二人は「存在ビーイング」ですが、もちろん《間》ではありません。その二人の「中間インビトウイーン」の状況は、例えば次の一瞬の打突で、変化するかもしれません。その可能性を含む「空虚ヴアナキユーム」が《間》なのです。

その見えないものの感知にはプラーナの呼吸を介して肉体化する手段」のひとつとして、まさに剣道のような武道があります。その武道の基本は呼吸であり、それによってプラーナを身体に沁み込ませるのだ、と理解しておきましょう。

第二段落

②当然ながらここには唯一者はいない。むしろ無数の中心、そして、拡散し、流動しているなかで、創造する主体は単に任意アービトラリーの一地点を占めるにすぎない。遊離魂(たま)、空白の祭壇アルターに水平移動しながら降臨するカミ(ひもろぎ)、余白を多く残した絵画、可変性(フスマ)と互換性(タタミ)に貫通された建築、指揮者を欠いた合奏、消滅へむかう衝動(すさび)、転移の瞬間の注視(うつろひ)など、《間》にかかわる芸術表現は、いずれも固定された主体の位置を否定し、明滅する状態にそれを追い込んでいる。

同書、p.67。

《間》にかかわる芸術表現は、いずれも固定された主体の位置を否定し、明滅する状態に」つまりthe One があるのか(明)、ないのか(滅)の決定の両側から脱出している状態をつくりだしているのです。

第三段落

③《間》は、間隙スリツト距離デイスタンス亀裂クラツクズレデイフアレンス剥離スプリツト転位デイスポジシヨン境界リミナリー休止ポーズ拡散デイスパーシヨン空白ブランク虚空ヴアナキユームのいずれでもある。そこで、J・デリダの”espacement=becoming space”に限りなく近い働きをしているとも言うことができる。

同上。

さらに《間》は、いくつもの熟語「のいずれでもある」というのです。これは《間》という語そのものが、一つの意味に固定されないことを示しています。そのとき、この語はあたかも決定の保留されたanyone に似ています。これを《間》という語その自体がスペースになっているようだ、と「J・デリダの”espacement=becoming space”」という言葉を引用して、表現します。

第四段落

④デミウルゴスとしての建築家は、この《間》がままならぬものとしてかかえこんでいる場所(コーラ)のなかでの空間生成(becoming space)に深く関与しているが、ここで特記すべきは、産出されていく形象は一定せず、決定的なものから常にはなれ(off, away)させられていく。そこでその行為を記述すれば、ab-からはじまるすべての言葉といったおもむきを呈する。すなわち、ab-dication, ab-duction, ab-erration, ab-jection, ab-negation, ab-normal, ab-omination, ab-rogation, ab-ruption, ab-scission, ab-sence, ab-surdity.

同上。

そしてデミウルゴスと《間》の関係を語り始めます。ここは難しいです。

《間》がままならぬものとしてかかえこんでいる場所(コーラ)」つまり今あるもののあいだには、何かが産まれ出てくるかもしれないコーラがあり、そこで「デミウルゴスとしての建築家」は何かに従事しています。それは「空間生成(becoming space)」らしいのですが、これはまだ判然としません。

しかし少なくとも言えるのは、そこで産まれ出てくる「形象は一定せず、決定的なものから常にはなれ(off, away)させられていく」ということです。それは決定的でないため、the One のように一つの言葉で特定することはできないのですが、続く英単語たちの「すべての言葉といったおもむきを呈する」のです。これはanyone、デミウルゴス、《間》という名にも共通する性質ですね。


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