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459&624.奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業――この生きづらい世の中で「よく生きる」ために【荻野 弘之/ かおり&ゆかり】

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はじめに

著者:荻野裕之、上智大学教授、哲学研究者

一言でいうと:辛すぎる状況でも楽しく生きる方法を教えてくれる本

エピクテトス:西暦50年に生まれたローマの哲学者

当時のローマは階級社会、貴族・平民・奴隷に分かれており、自分がどの身分になるかは親の身分によって強制的に決まる

➡エピクテトスは生まれつき足が不自由な奴隷だった

しかしエピクテトス自身は何ら苦痛を感じていなかった

彼には辛い現実を生き抜く考え方や哲学があった

➡そしてその哲学は時を超えて今も語り継がれている

辛すぎる状況でも楽しく生きる方法を知ることができるようになる

自分次第でどうにもならないものを軽く見る

エピクテトス「私たちの身に降りかかるものは大きく分けて二つに分けられる」
「自分次第でコントロールできるもの」「自分次第でコントロールできないもの」

私たちには自分ではどうやっても変えられないことがある

例:出身、家庭環境、容姿、障害、身体的特徴、才能、財産はどうしようもないことの代表的なもの

自分次第ではどうしようもできないことに、いつまでもクヨクヨと悩んで時間と気力を無駄に浪費している人はとても多い

エピクテトス「こういった自分次第でどうにもならないことに囚われてクヨクヨと悩んでいても時間の無駄だし、どんどん不幸になってしまうだけだ」

悩んでどうにかなるタイプのものではない

✅エピクテトス「自分ではコントロールできないものは軽く見なさい、その代わり自分でコントロールできることに目をむけて励みなさい」

自分でコントロールできるもの=自分の行動や取り組み方、判断や考え方

例1:生まれつき頭が悪かったとしても、何を勉強するのかや1日4時間は必ず勉強すること早起きすることなどは自分次第でコントロールできる

例2:たとえ生まれつき顔が良くなかったとしても、気さくに声をかけたり筋トレをする事を前向きに生きることは自分でコントロール可能

➡そして実際に自分の決めた通り筋トレや勉強ができると、大きな達成感を感じられる、自信もつくそして幸せを感じられる

✅エピクテトス「幸せになりたければ自分ではコントロールできないものは軽く見て、自分次第で100%コントロール可能なことだけに目をむけて励みなさい」

これがこの本のメインテーマ

例:カードゲームで例えると、カードを引くするときにどんなカードを引くのかは自分ではコントロールできないから気にしても無駄

しかし引いたカードを使って一生懸命やることは、唯一わたしたちにできること

✅自分が何かを望むのなら、それが自分でどうにかできることなのかをよく考える必要がある

避けられないものを受け入れる

✅「避けられない恐怖を軽くみなさい」

「自分次第でどうにかならないものを軽くみなさい」という考え方は「恐怖」にも言える

例:病気や事故、地震、雷、老化、Ⅰ型糖尿病など
これらは自分で避けようと思っても避けられない

たとえどれだけ健康的な生活を売っていたとしても、タバコを吸わなくても、毎年人間ドッグを受けていたとしても癌になってしまう時はなってしまうもの

「自分ではコントロールできないこと」

だからエピクテトスは、

✅「自分次第で避けられないことは軽く見なさい」

と言っている

※病気にならないために予防することには意味がある

病気にならないために手を洗ったり運動をしたり食生活に気をつけることは「自分次第でコントロール可能なこと」

自分が大切だと思うのであればやればいい

だがどれだけ努力しても根本的には病気や事故、突然の死は避けられないことを自覚しよう

このことを肝に銘じておけば、たとえ予想外のトラブルに見舞われても慌てふためかなくて済む

明日もしかしたら突然何かの病気にかかるかもしれない

➡だがそれは自分では避けようがないことなのだと思えば、いざという時に焦らずどっしりと構えて対処できるようになる

エピクテトス「自分自身でコントロールできない恐怖は軽く見なさい」


他人の行動を軽く見なさい

✅「他人」もまた自分次第ではコントロールできないもの

嫌なことを言ってくる人もいるし、嫌なことをやってくる人もいる

親・子供・ペット・友達・彼女・彼氏・上司・お客さんも、すべて他人は思い通りにならない

自分の行動や考え方は自分でコントロールできるが、
他人はコントロール不可能

にもかかわらず私たちは他人をコントロールしたいと望んでしまい、いつも自分の思い通りにならなくて悩み苦しんでいる

女性に告白して振られることがあるし、新入社員に仕事のやり方を教えても2日で仕事を辞めることもあるし、仲がいいと思っていた友達から陰口を言われてしまうことだってある

もうその度に私たちは「信じていたのに裏切られた」と慌てふためいてショックを受ける

しかしエピクテトスの考え方は「自分自身でコントロールできないことは軽く見て、自分自身でコントロールできることに目を向けること」

他人は自分次第でコントロールできないもの

男性がが何度も女性に食事をおごって、笑顔で優しく接して、車でデートの送り迎えをしたとしても、嫌われるときは嫌われる

病気や事故と同じで、どれだけ努力しても相手から嫌われるときは嫌われるもの

だからそんな自分次第でどうにもできないことは軽く見ること

それよりも目を向けるべきなのは自分次第でコントロールできること

➡自分が相手に接する態度や行動を重視すること

相手にどういう態度で接したのか、どういう言葉をかけたのかは自分次第でコントロールできる

それを高める努力をすればいい

相手ではなく自分の取り組み方を重視する

他人の評価を軽く見なさい

最近はSNSもあるため、誰もが「他人から自分がどう見られているのか」を気にする世の中になった

✅周りの評価ばかりを追い求めると、いつのまにか物事を決める視点が「自分」から「他人」になって進むべき道を見失う

例:自分がいいと思う服よりも他人がいいと思う服を着る、自分がいいと思う仕事よりも世間体のいい仕事に就く、自分がいいと思う車よりも他人がいいと思う車に乗る

他人の評価を求めると、物事を決める視点がすべて自分から他人になってしまう

例:高くていい腕時計を着けていたとしても「かっこいい」という人もいれば、「不相応だ」「キラキラしすぎてダサい」「腕時計なんてどうでもいい」という人もいる

➡コロコロ変わる他人の評価を求めて行動することは、思い通りにいかない泥沼でもがき苦しむようなもの

エピクテトスの教えは「自分自身でコントロールできないことは軽く見て、自分自身でコントロールできることに励むこと」

自分自身でコントロールできないこと=他人の評価

自分自身でコントロールできること=自分の評価

自分がいいと思うものを重要視する

シンプルがが全力で自分がいいと思うで時計をつけて、自分がいいと思う家に住み、自分がいいと思う車に乗る

➡他人が評価してくれなくても、自己満足して幸せを感じることができる

そしてそれには嘘がない

エピテトス「自分の評価を優先して物事を決めなければ幸福にはなれない」

過去と未来を軽くみなさい

✅過去や未来も自分の努力したいでコントロールできないことの一つ

10年後に結婚していたらいいな、南海トラフ地震がくるのが怖い、年金が持つのか不安になったところで、それは自分ではコントロールできない

➡実際に不安を煽るようなニュースを見てグズグズと思う悩んでしまう人は多い

しかし残念ながらどれだけ不安になったとしても、未来は自分ではコントロール不可能

10年後はもしかしたら離婚して子供を育てているかもしれないし、ちゃんと年金が支払われているかもしれないし、地震で亡くなっているかもしれない

どれだけ将来のことが不安になっても自分ではどうしようもないことも多い

➡自分自身でコントロールできないことは軽く見て、自分自身でコントロールできることに励むことが大事

自分自身でコントロールできないこと=過去や未来

自分でコントロールできること=現在

過去や未来ではなく今この瞬間を精一杯生きよう

➡少なくとも自分がコントロールできるのは過去でも未来でもなく今この瞬間だけ

いまこの瞬間に関心を寄せて行動していれば、過去に引きずられることもないし未来に心を揺さぶられることもない

脇役でも精一杯生きなさい

✅自分に与えられた能力で精一杯勝負することが大事

私たちがどんな国に生まれて、どんな体や顔、両親や兄弟を持ち、どんな環境や立場、才能をもって生まれてくるのかはすべて神次第

残念ながら能力が足りなくて自分がなりたいものになれないことも当たり前のようにある

例:音楽の才能がなければミュージシャンにはなれないだろうし、身長が低ければモデルにはなれないし、太ることが出来なければ力士にはなれない、体が弱ければ力仕事はできないだろうし、机にじっとしていられなければ事務仕事はできない

➡勝手に能力が割り振られているわけだから、自分にできる役とできない役があって当たり前

誰もが主役というわけにはいかない

もしかしたら自分に与えられた役回りが普通のサラリーマンの役かもしれないし、病人役かもしれない

ちなみにエピクテトスは生まれながらにして「足の不自由な奴隷」という役割だった

エピクテトス「自分がどんな役割に抜擢されるのかは自分では決められないから軽く見るべきだ。そんなことよりも大事なのは与えられたその役割がどんな役割だったとしても、精一杯立派に演じきることだ」

➡これは前向きかつ論理的でもある

なぜなら私たちが自分次第でどうにかできるのは与えられた役を精一杯演じきることだけだから

脇役に抜擢されたのに監督や演出家に「俺主役がいいんですけど」ということはできいない

エピクテトス「自分の力量を超える大役に手を出そうとすれば失敗し、自分がうまくやれるはずだった脇役をおろそかにしたことになる」

自分にできないことを無理やりやろうとすれば、おそらく不幸になる

エピクテトス「自分に勝手に与えられたその役割を精一杯演じよう。そして自分をこの役割に配置した神に勇ましく生きる自分の姿を見せよう。」

脇役だけど精一杯生きる

エピクテトスは足の不自由な奴隷の役を精一杯やったため、奴隷から解放されて晩年になって自分のキャンパスを開き哲学を教えていた

➡それは自分に与えられた「足の不自由な奴隷」という役割に落ち込むのでなく、与えられたその役割を精一杯演じきった結果

快楽を遠ざける

エピクテトス「幸せになるためには海楽は遠ざけるべき」

例:高級な食事や酒、タバコや薬物、高級車、高級マンション、パチンコ、ギャンブル、自慰行為、ゲームなど

➡要は中毒になるもの

✅長い目で見ると不幸になるから

例:おいしいからといって毎日お肉やお酒アイスを食べていれば、その瞬間は楽しいかもしれないが、近い将来病気になったり太ったりして大きな苦痛を味わうことになる

東大を目指して必死に勉強をしていた受験生が、ある日ソープやギャンブル等ゲームにハマってしまい道を踏み外してしまうというのもよくある話

快楽というのはその瞬間はとても楽しいが、度が過ぎれば将来大きな苦痛を生むもの

どんなタイプの快楽も同じ

エピクテトス「快楽にすぐ飛びつくのではなく、あえて現在の小さな苦痛を選択しなさい」

例:ダイエット中にドーナツやラーメンを食べることを我慢して運動する

みんながゲームで遊ぶ中、我慢して勉強し続ける

Q.我慢ばかりだと喜びのない人生になってしまう気もする

A.小さな苦痛を積み重ねて自分のやるべきことに励んでいれば、ある日目標の体重やテストの点数を達成して大きな喜びを味わう日が来る

エピクテトス「快楽から得られる喜びよりも、この達成感から得られる喜びこそが大事」

エピクテトス「自分自身が快楽に打ち勝ったという自覚の方が、快楽に溺れるよりどれほど優れたものであるかを考えなさい。本当の意味で幸せになりたければ、快楽を遠ざけて小さな苦痛を前に積み重ねていくことが大事。」

他人事のように自分ごとをとらえよ

✅「負の感情に支配されないために、他人ごとのように自分のことを捉えよ」

どれだけ自分の身につらいことがあったとしてもそれを他人ごとのように捉える

例:失恋をして苦しんでいる男の子がいた場合、他人に対してなら
「別にたいしたことじゃないよ女子なんて星の数ほどいるし、彼女じゃなきゃダメなんてことはない。10年後には忘れてるよ。恋愛できるだけすごいよ。」と声をかけられる

しかし自分が当事者になると、対応は一変する

ほとんどの人は「もう終わりだ、だめだ」とグズグズ悩み、ふさぎ込んでしまう

仕事でミスをした時も「俺は何で出来損ないなんだ」と考えてふさぎ込んで病んでしまったり、仕事を辞めてしまったりする

✅人は他人に起こった不幸は軽く見るが、自分の身に降りかかった不幸は過剰に反応して落ち込んでしまう

みんな自分の不幸には弱い

✅他人にかけられるような言葉を自分にかけてやる

自分が失恋したとしたら、自分に対して
「別にたいしたことじゃないよ女子なんて星の数ほどいる。彼女じゃなきゃダメなんてことはない。10年後には忘れているよ。」
と言ってあげるイメージ

たとえ仕事でミスをしたとしても「誰でもミスはある、気にしない気にしない」と自分に声を掛けてやる

自分に優しく

人は自分のミスやダメな部分に厳しすぎる

➡他人のことであれば視野が広い状態でみられるが、自分が当事者になると「自分の視点」という狭い視野でしか世界が見えなくなってしまう

視野を広げて自分に関する出来事を、できるだけ他人ごとのように捉えてみる

➡心が折れることが減る

「失った」ではなく「返した」

誰でも多かれ少なかれ不幸を感じる瞬間はあるが、その中でも上位を占めるのは「自分や身内の健康や命が失われたとき」

物心ついた時からそこにあったものが失われたときに人は大きなショックを受けるようにできている

例:いきなりⅠ型糖尿病になって毎日インスリン注射を打たなければならなくなってしまったり、足が不自由になって歩けなくなったり、いきなり目が見えなくなったり、髪がなくなったり親が亡くなったりするととんでもない苦しみに襲われる

今までそこに普通にあったものが失われたから

エピクテトス「失ったのではなく、返したと考えなさい」

✅エピクテトス「この肉体も生まれた国も、能力も体質も親も目も肺も家も私たちが所有している全てのものは私たち次第ではコントロールできないもの。つまり神から与えられたものだ。」

日本の現代人である私たちにとって神を持ち出されると混乱するかもしれない

とにかく私たちが持っている全てのものは、一時的に貸してもらっているものだと言う

➡だから足が不自由になって歩けなくなったりが親が亡くなったり、髪がなくなったりしたとしてもそれは

✅「失ったのではなく、神から一時的にレンタルしていた物を返したのだ」

と考えよう

さらにエピクテトスはこう続ける

「そもそも神は君に与えないことだってできた。でも今まで与えてもらっていたのだ。だから今まで貸してもらっていただけでもありがたいと思いなさい。」

そう考えと不思議と感謝できる

どれだけの時間その命や健康を貸してもらっているかは人によってバラバラ

もしかしたら若くして亡くなる人もいるかもしれない

だが誰もが最後には返さなければならない

それはつぼみから花が咲いてかれるのと同じ

そんな時に「失った」と考えると心にぽっかりと穴が開いてしまって、なかなか立ち直ることができない

しかしそれらは一時的に貸してもらったものなのだと考えると、親と一緒にいられる時間、健康でいられた時間をより大切にできる

何かを失ったときはぜひとも「返したのだ」と考えてみるといい

まとめ

私達は自分次第でコントロールできないものにあまりにも苦しみすぎている

しかしそれは無駄なこと

どんなカードを引くのかは自分ではコントロールできない

しかし引いたカードを使って精いっぱいのことをやることは唯一わたしたちにできること

もしかしたら脇役みたいなスペックかもしれないが精いっぱいやっ
てやろう

なんといってもエピクテトスは奴隷から哲学者に成り上がったのだから




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