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Homo rehabilis--10% humanであるということ

つらつらに語れども、なほ語りあへぬ姿その儘(まま)咲く すひかづら


ニンゲンと呼ばれているものの一割がヒト、九割がヒトの腸内等に棲む微生物(細菌や古細菌、菌類、ウィルス)で構成されているのだということは、ヒトゲノム解析の為に用いられた分子生物学的手法(DNAのシークエンス解析)によって、大枠のみではあるが確かに明らかにされつつある事実だ。

「あなたという存在には、血と肉と筋肉と骨、脳と皮膚だけでなく、細菌と菌類が含まれている。あなたの体はあなたのものである以上に、微生物のものでもあるのだ」(『あなたの体は9割が細菌』アランナ・コリン著・矢野真千子訳/河出書房新社/p.11)
「人体から微生物がいなくなったら、真にヒトの部分はわずかしか残らない。ヒトの部分は10%でしかない」(同書p.34)


脳に寄生した原虫や腸内細菌といった微生物が、ヒトの感情や性格、物事の判断やそれによって導かれる行動すら左右しているのだ、という少なからぬ報告を考慮に入れて省みるとき、とりわけ「人間的」な領域であると見なされてきた精神活動についても、はなはだ覚束ないものであったと言うより他ない。

「人間的」な営みと捉えられてきた感情、知性、文化、社会構造、果ては宗教や戦争すらも、その90%は微生物の営みの投影された影に過ぎない(のかもしれない)、ということを念頭に置くことなしに、何を考えてみても答えなど一つも見えはしない、という地点まで、僕たちはもう辿り着いてしまっている。

むしろ今、大きな問いとして僕たちに提示されているのは、残された10%のヒトとは一体、何であって、自分自身のどの部分がその10%なのか、ということだ。自らで制御できない感情や行動はすべて、微生物の営みの投影である、と考えてみても良い。それらをすべて脇に置いて、それでも何か残るものが見いだせるようであれば、それがヒトというものなのだろう。

菌たちが神であるその悲しみを集めて作る抗生物質


博物学者南方熊楠がある時、紀州熊野の山中を菌や藻類をもとめ彷徨っていると、夢に不思議な知らせを見、その知らせの導くがままに行きて藻類を発見した云々ということの秘密を何度か書き残しているが、今となってはこの不可思議の意味も、おおよそは解き明かされつつあるのだ、と言っても、言い過ぎではないのだろうと思う。

「微生物の440万個の遺伝子は、2万1000個のヒト遺伝子と協力しながら私たちの体を動かしている」(『あなたの体は9割が細菌』アランナ・コリン著・矢野真千子訳/河出書房新社/p.18)
「腸内細菌の組成が違うだけで、ほんとうに子どものふるまいが変わるのだろうか。自閉症児のように平手打ちをくり返し、体を前後にゆすり、何時間も叫び声をあげるようになってしまうのだろうか。どうやらその可能性は高い」(同書p.111)
「性格は生まれつき決まっていて人生の途中で変えられるものではない、という遺伝子決定論に反発を覚える人は多い。では、性格を決めているのは腸に棲む細菌だ、という概念についてはどうだろう?」(同書p.115)
「腸内細菌の組成比が変わるとその人の行動も変わりうる」(同書p.127)
「たとえば、ある食品に含まれる物質を餌にする細菌がいるとする。私たちがその食品を食べると、その最近はすくすくと育ち、その過程で産生する物質で私たちを幸福にする。細菌が私たちの体内でつくり出す物質は、細菌が餌にしたい食品を食べたくなるよう仕向ける」(同書p.120-121)

肥満やアレルギーといった免疫機能障害のみならず、遺伝的なものだと考えられてきた自閉症も、抗生物質の投薬によって腸内の微生物叢(マイクロバイオータ)に乱れが生じた結果であることを、近年の研究データを引用しながら紐解いていくこの本(原題は"10% HUMAN --How Your Body's Microbes Hold the Key to Health and Happiness")によれば、腸内の微生物はある種の化学物質によって僕たちの脳(感情や行動)に影響を及ぼすばかりでなく、直接信号を送ることで僕たちの遺伝子を一部ではあるが操作しているのだとも言う。

「人体はあらゆる伝達物質を使って、遺伝子のスイッチをオンにしたりオフにしたり、発現量を大きくしたり小さくしたりする。・・・しかし、ヒトの遺伝子に命令を出しているのはヒトだけではない。微生物も各自のニーズに合わせてヒトの遺伝子の一部に命令を出している」(同書p.85)

人体を成り立たせているモノの約9割が微生物、残りの1割がヒトと呼ばれるもので、遺伝子の比率から言えば99.5%が微生物、0.5%がヒトである、という内訳と、微生物がヒトの体内で産出する様々な化学物質が宿主の感情、思考、性格、行動を左右し、ヒトの遺伝子に直接命令を与えてすらいるのだという近年の研究結果から推察すれば、良くも悪くも不可思議なはたらきをする精霊や妖怪、神などと呼ばれてきた存在の本質が、ほぼそのまま微生物であるという理屈は、全くもって否定するための論理を見出すことの方が、僕には難しいように思える。

こういった「非科学的な」推察をどうにも導かざるを得ない事実が「科学的に」検証されていきつつあることの意味は、何よりも「神」そのものである菌に、もはや秘密を秘密としておくことの堪え難い想いがあるからなのだろうと感じる。

何十億年の昔(どころか何万光年の彼方)から存在し、まさに万物の霊長と呼ぶに相応しいだろう細菌や古細菌が、「オズの魔法使い」めいたその役割を辞めて、事の本質に立ち帰ってみたいのだ、という声が、聞こえるように思えるのは、ただ僕ひとりのつまらない夢想だろうか。

(ちなみに、人類の夢と未来をのせて解読されたヒトゲノムは、マウスや小麦、線虫よりもその数が少なく、万物の霊長と呼ぶほどのこともない単純なしくみの生命体である、ということを確かに指し示していたのだとも言う。)

幾刧(いくごう)も経たるくさびらおのづから神なるゆゑの常 稚(いとけな)き


民俗学者折口信夫が大正11年に発表した未完の小説『神の嫁』の中で、奈良は春日大社の祭神武甕槌命(たけみかづちのみこと)は、憑坐(よりまし)の童子の口を借りてこう語った。
「人間と話す間の一時(イットキ)は、おれたちの世界の百年だ」

一般に神は人より命の長いものだと思われているもので、時間の流れはむしろ遅くすら感じられるはずだろうに、当時35歳の折口信夫がどのような考えでこの台詞を筆にしたかは定かでない。が、この一時を仮に文字通りの意味で今の2時間だとして計算しても、12*365*100=438,000、軽く四十万倍、ほんの数十分の事と解せばヒトの百万倍近い速度の時間感覚を神々は生きているのだ、と言う話になる。

微生物を「微生物」の一言で括(くく)ろうとするにはその範囲は余りに広く、星の数ほどもの多様性があるため、その寿命をうんぬんするのは机上の空論以外の何でもないとしても、仮に、土壌中に生息する微生物の寿命は短くて数時間、長くて数日、平均すれば2時間前後なのだとも言われる。

(あくまでも土壌微生物における試算。腸内微生物に関しては良くわからない。そもそも、個体という概念を当てはめることも不可能に思える微生物であるから、ここではただヒトにとっての2時間前後が、微生物の一個体の一生にも等しい、という、その速度の物差しとして示しておきたい。)

小説『神の嫁』の中で神の語る神の世界の速度がほぼ微生物の世界のそれに等しい、という事をここで述べて、それを「神=微生物という事実」の例証とするのは、余りに覚束ない、小説などただ架空の夢想、絵空事で、科学的根拠などひとつもありはしないだろう、と、僕もそう思うが、事実は小説よりも奇なりで、おいおいこれも立証されてしまうのだろうことが、今となってはむしろある意味恐ろしい。

「微生物は地球上の養分循環を牛耳っており、植物や動物の数やその分布を調整している」(『生物界をつくった微生物』ニコラス・マネー著/小川真訳/築地書館/p.107)

ヒトの体内の微生物が圧倒的多数(90%)として人体を操っている事実からすれば、古代人の生まれ変わりを自認して憑坐(よりまし)の童子のように(覚醒剤片手に)文を物(もの)した折口信夫の筆を借りて、神(微生物)そのものが語ろうとした言葉で無いと、今や誰に言うことができるのだろう。人間が一個人の夢想として書いた物、語り出した言葉は、むしろその個人の肚の底の微生物たちの胸の裡(うち)の、密かな吐露であることが少なくない(90%)ように思える。

ただ、憑霊現象の際にある種の霊魂(神や精霊、つまり微生物)が語る言葉は、嘘偽りであることがきわめて多い、とも言われる。僕自身の経験から言っても、何のためだかさっぱりわからないけれど嘘を吐く神霊(悪霊、というか悪玉細菌?)はたしかに多く、今ここで僕を通して綴られている何かの微生物の言葉も、嘘であるならば嘘として、読むヒトの何かに(あまねく微生物の操作に阻まれて薬効の儚い、プロバイオティクス食品のように)ささやかながらでも役立てば幸いである。

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歌詠み、物書き、a naturalist。「あらたま◎農藝舎」主人。宮崎県の山奥で植物栽培と神楽、四季の移ろいのなかから自然の叡智を学ぶ機会に恵まれつつ、農から未来を見つめなおすリトルプレス『農藝ハンドブック』等を発酵宙です。http://aratama.theshop.jp/
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