第9話 アライアンス制度の開始。大阪というまだ見ぬ街へ憧れて、訪れた孤独の果てには。


2013年4月1日



エイプリルフール。



<嘘のようで本当のこと>という形で、
株式会社ブックマークスは、今までの教育された店長を横展開する
従来のフランチャイズシステムとは一線を画した、
想いを持ったオーナーが独自のやり方で勉強カフェという名前を使い、
運営していく方針の、「勉強カフェアライアンス」を
正式発表、プレスリリースした。



どの地域からの問い合わせがあるだろうか、
そもそも問い合わせ自体があるのか、含めて、
今までと違った形の展開に社員たちは期待を寄せていた。



・・・・と同時に。




社内に向けても、現在も勉強カフェグループでは業務用に、
統一利用している連絡システム「Chat work」上の
社員メッセージグループにて、山村さんよりある発表が行われた。



「今回、勉強カフェをアライアンス形式で開放することにしましたが、
これは社員の皆さんも一緒です。
社員として勉強カフェの発展を一緒に追求していくのもいいけど、
あえて会社からは離れて、自分の会社を作ることで経験できる世界もあります。
リスクを取れば、その分かリターンもあるかもしれない。
これは実力次第なわけだけど。

東京の次に大きな市場は、大阪です。

この場所は、ある程度信頼の置ける人にだけ任せたいと思っています。
つまり、社員の皆さんがこのアライアンス制度を使って、独立するなら応援しよう、と。
大阪の市場を引っ張ってくれる人がみんなの中にいるなら、挑戦してみる
価値はあると思いますよ。

実力次第なのは当然ですが、やり方次第では今よりも稼げるようになるだろうし。
自分がもしその立場であれば、まちがいなく飛びつく案件だよ。

早い者勝ちでいこうと思います。やりたい人の果敢なチャレンジを応援します!」




(・・・なんだ、この楽しそうな展開は。

いや、これ俺のための言葉だろ。

もともと勉強カフェを自分で作りたかったわけだし。

大阪か・・・。ほとんど行ったことないけど、、、

彼女の実家でもあるし、大阪で骨を埋めるのも良さそうだな。

あとは、たこ焼きもお好み焼きも好きで、お笑いも好きだし、なんとかやっていけるだろう。

このチャレンジに乗っかるため、山村さんに連絡しよう・・・)




また、急に運命の針が・・・ある特定の地点をめがけて、まっすぐに方向を指し示した。

僕の人生を振り返れば、こういうことがよくある。

前触れは、ないんだ。いきなり、やってくる。

ワクワクし始めてしまうと、しょうがない。
もう、止められない、それしか考えられなくなる。

まるで決まっていたかのように、揺れ動くことがなくなるのであった。



僕は大阪に行くことを決めた。例え一人でもやる、と思った。



しばらくすると、勉強カフェ横浜関内スタジオに
偶然なのか、必然なのか、その日に限って山村さんが巡回に来ていたのだった。


おそらく、山村さんも、あえて、今回横浜に来ていたに違いなかった。



「チャットワーク、見ました。このチャンスに乗っからせてください。」

と僕が言うと、



「荒井くんならそう言うと思ってたよ。
横浜関内も軌道に乗ってきたわけだし、本気でやるなら応援します。

資金のめどはあるの?親とか、融資とか。」




「いえ、今の所資金もツテも全くありません。

でも、なんとかして実現させます。

なので、今からどうすればいいか全力で考えます!!」




「わかりました。
何かあればいつでも相談にのるから、まずは自分で調べてみなよ。

結局、起業したら、一から何もかも自分でやるわけで、この資金調達が最初の仕事で、始まりだね。」




・・・というわけで、「資金調達」という最重要かつ、最大の課題に行き着くのであった。



勉強カフェオープンにはどのくらい必要だろうか、、

試算してみる。



もちろん、内装にどこまでこだわるか、にもよるし、地域によって物件のコストも変わり、工夫すれば幾らかは抑えられるだろうが、
一般的には、ランニングコストや物件まわりに合わせて少なくとも1,000万、余裕を持って1,500万くらいは必要ということが判明した。



もちろん、そんな資金はない。



他のいわゆる起業をした人たちの最初はどうだったのか、知りたくて、
「起業」「資金調達」とタイトルにつく本を片っ端から漁った。



どうやったら、資金を調達できるのか。起業家たちはどうやって、最初の資金を集めたのか。

例えば、堀江貴文さんの本には彼女の親から借りた、という記述があった。

他にも、事業計画の将来性を金融機関に対して必死にアピールして、
自己資金はなくとも融資担当者に説得させた、というような記述が目立った。

どうやら、お金を借りるという選択肢が多いようであった。

現に、山村さんも最初は融資を受けることで、勉強カフェの1号店を始めていたのだった。



(そうか、銀行や公庫というのがあるのか。

今の自己資金で行けるかわからないが、とにかく今はできること、可能性が少しでもあることから
始めるのみだ。)



僕の人生の中で、初めて「融資」という単語がリアルな実感を持って登場したのだった。





2013年4月



満を持して、生涯初となる、金融機関への融資申請面談へ僕は向かった。



この日のために、何度もシミュレーションを繰り返し、
作ったことのない「事業計画書」「資金繰り表」などを作り込み、
店舗経営では先輩である父親にも相談しながら
素人ながらに、きちんと数字を試算し個人的には相当いい感じで作り上げたと思い、臨んだ。



実際、田町、横浜の経験から、どういう風に数字が推移していくのか、
大阪の市場規模に当てはめても、現実味のある数字だった。



東京とは文化の違う大阪とはいえ、勉強をするということに対して、大きく変わる感覚ではないだろう。



十分勝算はある。今までの経験を話し、
数字の根拠を伝えられれば、いけるはずだ。



あとは、自分という人間を信頼してもらうのみだった。


スーツもクリーニングで仕上げ、ワイシャツもパリパリのものを、
ネクタイもきちんと締め、これだけかっちりした服装をするのは
製薬会社での営業以来、といったぐらい、正装をしていった。

この面談で、もしかしたら自分のこの先の運命が大きく変わるかもしれない。
振り返れば、大事な瞬間になるかもしれない。




そう思ったら、緊張した。

いったい、何を聞かれるんだろう。

とにかく、想いを伝えるのみだ。





・・・・しかし、この面談は予想外の展開を迎え、終わることになる。





それは、担当者が僕の個人通帳のコピーを見ていた時であった。


「クレジットカードや、公共料金の支払いが遅れている月がありますね・・・。
何か特別な理由が?」


「いえ、単純に資金が足りていないだけで、特別な理由はありません。」


「なるほど、わかりました。あと、通帳に預けている合計の金額は100万を超えていますが、実際に自分で給与から
算出された金額は、30万にも満たないですよね・・?」



実は、この時、融資で考えてたのは計画では1200万円。




その時の個人の資金では圧倒的に足りず、
少しでもプラス評価をしてもらうため、あらゆるところから
お金を集めていた。



金額上は、130万ほどあったが、
後から預入で100万ほどの入金があり、
給与のみで集めた部分は30万円もなかったことを指摘された。



「私たちが見るのは、あくまで、一時的な入金ではなく、
コンスタントにどれだけ貯蓄を積み上げてきたか、
資金を確保してきたか、ですから、これだと評価はしづらい部分がありますね。
実質の自己資金は、30万もない、と。

本気で考えているのであれば、何年も前から地道に貯金を積み上げてきて、
その実績が信頼に変わります。そういう意味では、この辺は査定の重要な項目になるかもしれません。」



担当者は、明言を避けていたが、明らかにこの時点で勝敗はついている、
という言い方であった。



そして、自分自身の甘さ、現状に大きく失望した。



(支払いの滞納は、審査に大きく評価される、、、、
今の状態ではダメだ。もう二度と支払いを遅らせることはない。)

僕はここで、今店舗を出店したい、という夢を叶えるには、稼ぐ力がまず必要で、そして継続力も大事なんだ、と痛感した。



(何年かかっても、銀行に正当に評価されるまで、絶対にためてやる。
そして、資金を稼ぐ力をつける。)



今考えれば、そこからどれくらいの時間がかかるか、見当もつかないほど、それはそれは果てしない道のりだった。



でも、僕は本気で文字通り思っていた。稼ぐ力をつけ、すべての決済を期日どおりに終え、
少しづつでも貯めていき、いつか真っ当に融資を受けるんだ、と。



結果は聞くまでもないが、後日担当者より電話があり、
支払いの遅れがあることを、第一の理由に、融資を見送る回答を受けた。

この時、僕の資金感覚が、一気にシビアになった。
お金というものが信用の塊であり、それは人の血が流れる経済活動が生み出した、
あらゆる生き方が交錯する社会の中での、確固たる指標になり得るものなんだ、と。


人はこうやって、あらゆる衝撃を受け切って初めて成長するんだろう、そんなことも思うのだった。



2013年5月

一旦、自分の中での最初の挑戦があっけなく終わり、
落胆していることもあったが、一方で相変わらず、尋常じゃない飲みが続いていた。


この頃はというと、夜中まで飲むのとは別の、進化を遂げた、
休日の<早朝スタート飲み>にシフトしていた。
今思い出すと「何やってんだ」と笑ってしまうが、当時は本気でこれが最高の休日だと信じていた。


朝の5時に起きて、例のK島さんと、そのまま築地に直行するのである。
築地市場は、朝の7時から開いていて、その開店と同時に、店に入る。
朝早くて誰もいない、と思われがちだが、実際は観光の外国人で賑わっている。
「チョップスティックス」の使い方がわかってない彼らを横目に、寿司をつまみに日本酒を堪能する。



小一時間ほど楽しんだ後は、ほろ酔いのまま、次は熱海へ向かうために、
小田急電鉄のある町田駅へ行く。

小田原まで、快適な「ロマンスカー」が出ており、指定席を購入し、
レモンチューハイを片手に、移動という名の2次会が始まる。

小田原へ到着すれば、別の路線に乗り換え、30分もしないうちに熱海駅に着く。

昼ごはんを食べ、熱海〜伊豆の観光地を、何度も過去に訪れたことがあるのに、また何回も行く。

大室山リフト、遊覧船、熱川バナナワニ園、城ヶ崎海岸、シャボテン公園、
サンセットビーチ。


一通り巡って疲れてきた頃に、日帰り入浴を実施しているどこかの旅館やホテルに入り、
旅の疲れを癒すかのように温泉につかるのだった。

この経験で気づいたのだが、日光を浴びると、酔いが回ってくるのである。
そして、また、醒めるのも早い。だから、この時間帯にはもう、酔いは醒めているのだった。


そんなK島さんとこのように酒の席を多く共にする中で、
同様に深夜の徘徊場所であった、桜木町駅から歩いてすぐの、
野毛にあるバーのテラス席で、ワンコインのエールビールを飲みながら、今回のことを話す機会があった。



「荒井、そんなに勉強カフェ、自分でやりたいの?
どんな内容と計画なのか、話してみてよ。
もしかしたら協力できるかもしれないからさ。」

と、K島さんの方から、何やら資金の目処が立つような話が、
急に舞い込んできたのである。



(・・・こんな展開が待っているとは。)



と僕はまさかの話に驚いているも、どうしても大阪に行きたかったので、



「え、本気っすか!?
いくらでも話しますよ!

今回は、冗談抜きにやりきるんで。
このことしか考えてないです。
もし、それが本当ならありがたいことです。


融資の時に使った資料などを使って、今度説明しますね!」

とエールビールを飲み干して、突如訪れた

願ってもない話に、僕は興奮気味になっている自分をなんとか冷静に見せようとしながらも、鼻息荒く答えるのだった。


「よろしく。
実は、親戚が九州で会社をやっていて、若くて活気ある人に投資を
したい、っていうスタンスなんだわ。

だから、荒井が本気でやるっていうなら、
将来性や計画の数字とかにもよるけど、資金提供という形で応援してくれる
可能性もあるよ。その時は、俺も経営サイドで加わるよ。

今の会社に長くいるつもりもないし・・・。

今のポジションも常務だけど、社長の身の回りの世話も楽じゃない。

会社名は荒井商事・・・とか。

だから、社長は荒井がいいな。俺は副社長としてサブにつくから。
実現したら、楽しみな話だな。」




「夢が広がりますねー。
荒井商事、とかベタっすね(笑)

それと、俺もやるなら断然社長がいいので、そのポジショニングもありがたいです。

でもK島さん、今の会社での常務というポジションは相当稼いでるみたいだし、これだけ
若くして積み上げたキャリア捨てちゃって、本当にいいんすか?
その辺に未練がないあたり、らしいといえばらしいけど」



「全然いいよ。

何なら、一人で中国に旅にでも出ようと思ってたところだし。
あまり固執して同じ場所にいるのは性に合わないし、
俺も実家が焼肉屋で、
いずれそこを継ぐ計画もしてるからね。色々経験しておきたいっていうのもあるからさ。」



・・・妄想がどんどん広がっていった。



(友人と、誰も知り合いのいない、全く未開の地である大阪で旗揚げか。
すごくわくわくするなあ。
何よりも、エキサイティングだ。

そして、このチャンスがある環境にいれることが、本当にラッキーだ。
K島さんのためにも、しっかりとビジョンを示せる資料を作って、
親戚の投資家の人にも、必ず気に入ってもらおう)



こんな風に妄想が進んでいる一方で、
もう一つ大きな展開が、自分の身に起きていた。




2013年6月

僕は製薬企業に就職してすぐに出会った、
同期であり学年も一緒の子と、お付き合いしてから4年目を迎えようとしていた。


大阪・生野区の出身で、実家のご両親にも挨拶をして、電話でたまにやりとりもするような関係だった。


彼女はもともと仙台配属だったが、
結婚を見据えて、この年の4月から配属も東京本社の能力開発部に変わっていた。



仙台から東京に変わり、
会う回数は増えて、お互いの家を気軽に行き来するようになっており、
この日は彼女の社宅のある二子玉川駅で仕事後に会う約束をしていた。




・・・駅から外に出ると、見渡せる夜空は星も光らず、どんよりと曇っているのだった。




梅雨のジメジメした蒸し暑い風が、



多摩川の河川敷に吹き荒れていた。




僕たちは、駅から近い、有名な鮎ラーメンが食べられる店で夕食を取り、
彼女の家に向かって、二子玉川から二子新地方面へ、河川敷を横切る橋を渡っていた。





ただ、橋を渡りきる、何気ない些細なことだ。




しかし、それが僕たちがともに何かをするという、最後の場面だった。




「距離を置きたいの。

こうちゃんのことは好きだけど、、、ごめんね。


自分なりに色々考えて、決めたんだ。」




何かを決意したかのように、彼女は切り出したのだった。




「え?なんで・・」



鈍感な僕は、何も気づかないでいた。

しかし、その答えは日々の中で、
たとえ何があろうと揺るがないくらいに、それは自分が大阪に行くことを決めたのと同じくらい
純然たる想いによって醸成されていた。



女性というのは、その感性によって導き出された答えに対し、
どれだけの理屈や、素晴らしい表現を持って説得を試みても、
あっさりと跳ね返せるほど、自らの感覚に従順な側面があると思う。



よって、出てしまった答えを覆すことは容易ではない、いや、不可能であった。



「今までありがとう。


出会えたことには、すごく感謝しているよ。
頑張って、夢を叶えてね・・・・。


応援しているから。」




その言葉を最後に、毎日のように電話やメールで、何かがあれば
一緒にその日々を共有していた関係は、突如終焉したのだった。



情けないくらいに泣いた。



これほどまでに、自分は甘えん坊であり、
彼女の存在および、見えないところで配慮してもらっていた
バランスによって支えられていたということに、失ってから気づくのであった。




大きな土台となってしっかりと足場を固めてくれていた存在がなくなることで、
この瞬間から崩れたバランスが一点集中のエネルギーへと変化し、
全速力で目標のみをめがけて進んでいくことになる。




大阪で勉強カフェを立ち上げる、という想い、
それは強迫観念のように自分の生きる拠り所となっていった。



よって、K島さんから提案された、エンジェル投資家からの資金調達の話だけが、希望となり僕は全力を傾けることになるのだった。








2013年7月2日






聞こえてくるのは、聞き慣れない、関西弁。

梅田駅にたどり着けば、
関東とは違った性質の、生命力に溢れる激しいパワー・エネルギー、まくし立てるように喋る声、全身を揺らしながら、手を叩いて笑う人たち。

その声量は僕が今まで体験したどの地域よりも大きく、また、テンポが速い。

コミュニケーションをとることを厭わない、
人と人の距離が近い街。

JRの出口から出ると、大きな「阪神」の文字。



(うおおお、これが大阪かぁ!!
阪神、って阪神タイガースの、阪神?

551、なんか美味しそうなピッコロとかいうカレー屋。

たこ焼き、本当に売ってるんだ。

ここから、僕の人生はまた始まるのかもしれない。

東京には、ないものばかり。楽しみだなあ。)




・・・急な別れから、1ヶ月が経とうとしていた。

僕は、今回提案された話を成立させるため、試算表と将来性を描いたプレゼン資料を作り、
それをK島さんの親戚である、投資家に提出していた。



ある程度、好感触ということで回答を受けていて、僕は本気度を示すために、、、というか本気だったので、
どのような候補物件があるのか、算段をつけるために、3連休を取り大阪に立地調査に来ていた。



この時に、調査したのは、
梅田、心斎橋、難波。




最有力候補は、世界レベルでトップクラスに入る乗降客数のポテンシャルを持ちながらも、

坪単価が東京の半分くらいで推移する区間のある、難波だった。



そして、グランフロントという大きな商業施設が開業し、人気を集めていた、梅田の北、芝田周辺。



物件調査を兼ねて、大阪という生命力に溢れる街を巡るのは、



それはそれは、楽しかった。



なんとなく、大阪の、気取らず開けっぴろげな空気感が、自分の肌にあっている感じもした。




梅田駅地下のホワイティのダンジョン具合。

心斎橋商店街の、外国人だらけの熱気。

テレビでよく見ていた道頓堀、グリコのマーク。
かに道楽、金龍ラーメン、戎橋でナンパをする男たち。

激しい赤や黄色の原色をそのまま使った、派手なネオンの看板の下には、
どこの国から来たのかわからない言語の人々。



日中の物件調査が終わった後も、
宿泊先であった難波のカプセルホテル「スパディオ」から、荷物をおいて飛び出し、
寝る時間を削って、道頓堀周辺を歩いて見たり、大阪の町並みを夜中まで散策した。



巡った物件の中で、日本橋よりの難波、近くには「オタロード」と呼ばれる、
秋葉原のような、オタクの聖地と化している地域があり、そこにとてもマッチした物件が空室として存在していた。
坪単価も8千円を切っており、坪数も35坪とちょうどいい。



もともと英会話スクールが入っていて、一番下にはパソコンの部品屋、上の階にはヨガの教室が入っていて、
そういう面でも相性がいい。
敷金や礼金も、交渉次第でかなり調整が可能とのこと。期待は高まった。



(ここで勉強カフェができれば、多くの人にきてもらえる。
よし、ここに決めた。
早速この情報を持ち帰って、プレゼンにうつり、納得して資本金を出してもらおう。)




僕は、大阪の地に勉強カフェができている日々を夢見て、そしてワクワクして、遠征を終え、横浜に戻るのだった。



・・・余談だが、大阪の土地勘が全くない僕に、賃貸ビルを紹介してくれるいい業者はないか、と思ってメールを送って返信を
くれたうちの1社であるKコンサルティングの、遠藤さんは、1日がかりで丁寧に、梅田界隈を紹介してくださった。
残念ながら、この時にはビジネスを成立させることができず、であったが
この3年後、遠藤さんから久しぶりに電話がかかってくる。

それが、2016年12月に勉強カフェ大阪うめだをオープンさせることに繋がるとは、この頃には、思ってもみなかった。
なんのご縁が、将来のどこにつながるか、わからないものである。





2013年8月

この日、僕は勉強カフェ横浜関内のマネジャーとしての店舗運営のかたわら、休日も遊びに行くことはなくなり、ほぼすべての時間を今回の話に向けて使っていた。



急ピッチで提案資料を作成し、勉強カフェ大阪実現に向けて、資本金を獲得すべく、一生懸命に例の九州の投資家の方へ、K島さん経由で、交渉にあたり、実際に会って話をしてみよう、ということで
ついに面談の日を翌日に控えていた。




場所は、横浜・みなとみらいにある、

海に浮かぶヨットの白い帆をイメージした外観が、街のシンボルにもなっている<ヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテル>が指定された。



18時にK島さん、自分とその人を交えて、会食をしましょう、とのこと。



(ついに明日か・・・・。
気が引き締まるな。

ちゃんと、うまく伝えられるかな。
要点をまとめ、簡潔に伝える練習をしておこう。)



僕は、ついに夢が現実に一歩近づくその瞬間を目前に、
期待や不安の入り混じった、なんとも言えない感情を抱え、
必死で今自分ができることを模索していた。



かしこまった会食、というのはMRの時には
何度も行っていたが、かなり久しぶりである。

作法なども忘れかけている。

そういったことも含めて、念を入れて準備していた。





・・・迎えた当日の朝。

K島さんから、衝撃のLINEメッセージが届いた。




<おはようございます。

申し訳ないですが、今回の話は全てなかったことにしてください。


親戚の社長も、おりたいとのこと。


正直、大阪で勉強カフェは成功しないと思う。


俺は俺で、自分の夢を見つけるから、

荒井君も頑張って夢を追いかけてください。


これ以降、メールや電話もしないでください。


以上なので、よろしくお願いします。>




あれだけ、熱心に交渉したり、資料提案した僕の想いは、
この一通のLINEによって、全てが水の泡に消えた。



というよりも、もともと、そんなにやる気はなく、K島さんの中では決まっていたことなのかもしれない。

そもそも、九州の社長なんて、いないのかもしれない。

K島さんの真意は、わからない。



ここで起きたことは、夢の実現が、自力で資金を集めない限り一向に進まないことを証明した。




そして、大切な友人との関係もまた、終焉したということでもあった。





・・・夢が進まない、ということよりも、僕にとって大きかったことがある。





それは、26年の中で最大に感じた、孤独、であった。



彼女、K島さん。
プライベートの99%を一緒に過ごしていた。


二人で占められていた、
携帯電話の着信履歴、メール、夜や休日のスケジュール。



しばらく、本当に体の中心部に、「穴が空いたんじゃないか」という違和感が続いた。



あれだけ一緒に飲みに行っていた酒も、もう飲むことはない。



カフェの中にいるときなどの仕事中は、こんなことで皆さんの勉強を邪魔するわけにもいかないし、
楽しく過ごしたくていらっしゃるわけで、辛気臭い話を聞きにきているわけじゃない。


だから、なんともないふりをして明るく振る舞っていたが、
実際には夜になると孤独の深い闇に飲み込まれそうになり、安定させるのに必死だった。



現実なのか、とも思った。

現実じゃないだろ、そうであれ、とも思った。

夢が覚めるんじゃないか、
と、思ったが、

それは、どこまでも現実だった。



ある時、離婚した人の話を聞いたことがあったが、
まるで自分のその時の心境と同じで、ものすごく共感できたので、
状況は似ていたのだと思う。


「家族ではないけど家族みたいに深い関係の誰か」は、本当は毎回感謝するほど、かけがえのないものなんだ、と言うことを、やっと、失う痛みと体験をもって知ることができた。





勉強カフェ横浜関内スタジオの閉店後の、クローズを終えたあとの23時半。

前だったら、飲みに街に繰り出そうとしている時間だ。


この時、野毛のゲイバーで、隣に座っていた50代くらいのおばさま客が熱唱していた、
矢沢永吉の「もう一人の俺」という歌が響いたことをなぜか思い出して、
店内に流し聴きながら一人、これからどのように生きて行こうか考えた。


夜更けに一人で 思い出すいまも
何の不安も なかったあの頃
大事なものさえ 置き去りにしてきた
自分を俺は恨まないけれど
もう一度 光の道を駆け抜け お前に会いたい


(色々、なくなっちまった。

一人で勝手に燃えて、勝手に落ち込んで、馬鹿みたいだな。


この先の未来には、本当に素晴らしい何かが待っている確証なんてあるのか。


自分のこの小さな力で、本当に、大阪で勉強カフェをオープンなんてできるのか。

一体、今から何年かかるんだ。

極限にまで節約をして、毎年100万を貯めることができたとしても、3年〜4年はかかるだろう。

もう、飲みにもいかない。贅沢もしない。

自分の夢に、挑戦するためだけに、生きるんだ。)



その妄想の実現までの道のりは、恐ろしいまでに果てしなく、気が遠くなるほどだったが、少々のことで諦めるわけには、いかぬ、
とにかく、今自分ができることをひたすらやり続けるしか、なかろう。

そう思いなおし、

僕は、また新しい日々を歩き出した。



2013年9月

捨てる神あれば、拾う神あり


その言葉が、こんなにしっくり来るのか、というくらい、
大阪に誘ってくれる、大きな話が、あれから1ヶ月もしないうちに舞い込んで来たのだった。


大阪、中崎町に本社を構える、マンションリフォーム、建築で40年以上の歴史を誇る企業が、
本社リフォームに従い、その一部を解放し、店舗への改築を行うとのこと。


その中の、選択肢の最有力候補として、「勉強カフェ」が挙がっている、と、ブックマークスへ連絡があった。


「このタイミングで、この話があるのはすごいね。

大阪に行こうとしてた荒井くんを絡めて、この話は進めて行きます。

どういう契約になるかはわからないけど、
そこから話詰めて行き、勉強カフェ大阪中崎町、実現に向けて動いて行こう。」


山村さんからも、このプロジェクトの実行メンバーとして関わらせてもらえる了承もいただいた。


失意の後に、突如訪れた希望の光。


挑戦できるチャンスがあるなら、それは願ってもないことだった。

「中崎町」なんて地名は、その時まで知らなかった。



(谷町線?

そういう線があるんだな。

そして、駅前。良さそうだ。

梅田からも歩けないこともない距離じゃないか。

いい立地だ。ここなら勉強したい人も、きっと通ってくれる。)



物件調査で歩き回っていたから、以前よりも少しだけ大阪への土地勘がついていた。



(そうか、神様は、この話の為に、前段階としていろんな挫折を経験させてくれたんだ。

今の自分は、あの時よりも、変に頭に血が登ってないし、冷静に進めていけそうだぞ。

こんなタイミングに、チャンスを恵んでくれてありがとう。本当に、こんな偶然に感謝だ。

今度こそ、本当に大阪で勉強カフェができるかもしれない。)




「まずは本社を観ていただけないでしょうか。」




今回の相手先である、Y社の役員の方から、大阪行きの切符を掴む、
最初のメールが届いていた。



第10話へ続く。


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作者 : 荒井浩介 株式会社ARIA代表取締役
Blog : https//kousukearai.work
Twitter : https://twitter.com/kousukearai
Facebook : https://www.facebook.com/kosuke.arai

勉強カフェ大阪本町/大阪うめだ official WEB : http://benkyo-cafe-osaka.com/
※勉強カフェ®は株式会社ブックマークスの登録商標です。 勉強カフェ大阪本町/大阪うめだは、勉強カフェアライアンスのメンバーです。

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