お墓の話(1170文字)
ニュースで知ったのだけど、夫や子供とは別に、自分一人だけのお墓を購入する妻がいるのだとか。
なんでそんなことをするのかというと、夫の実家の、義理父や義理母と縁を切りたいからのようで。
結婚する=夫の「家」に入る、みたいなことが今でもあるのであろうか。
例えばお盆に、夫の親戚一同が集まって、妻は台所に立たされっぱなし――みたいなことがあるのだとニュースは語っていた。
夫の親族に悩まされ、自分で働いて得た給料を、夫に内緒で貯めて墓を買った――そんな女性のエピソードが紹介されてもいた。
妻は、僕の親戚筋から、「天使のような子」と形容されている。
まだ元気だった頃のお袋が、2週間に1度くらいの頻度で顔を出していた妻を、そのように語っていたからだ。
妻には、天使の側面だけじゃなくって、悪魔^^;の側面だってあるのだけど、親戚はそんなことは知らない。
僕は長男だけど、いろいろあって、たぶん父母の墓には入らないだろうから、妻は、生前に離婚さえしなければ僕と二人の墓に入るのだと思う。
と書いてから思ったのだけど、僕ら二人には子どもがいない。つまり墓守してくれる存在がないのだから、ふうむ、ってことは、僕も妻も、集合的な墓地?に、たくさんの人に混じるみたいにして埋葬されることになるのだろうか??
遠からず還暦なんだから、そーゆーこともちゃんと考えなきゃいかんのかなー。
ともあれ、まだ死に場所も見えていないし、どこに埋まるかなんて僕にはわからない。
でも、僕が死んだあと妻が、僕一人を埋葬し、自分は他の墓に入ろうとしたら、それは寂しい気がする。
僕は妻を「嫁」と形容したことがない。妻のことは、「妻」としか形容していない。
妻は、僕の実家に属さないし、僕も妻の実家に属さない。
しがらみのない僕のしがらみは妻だけだし、妻も、ご両親がクリスチャンで、家のお墓にではなく教会に納骨されることが決まっているようだから、ってことは、僕と二人で眠るか、一人で眠るか、どっちかなんじゃなかろうか?
いや、待て。みんなで眠る、って場合もあるのかな?
あるいは、海に散骨されるとか、山の樹木になるとか。
二人っきりの墓なんてイヤ!
とか妻が言うようなら、そうだな、海にまかれるのでも、宇宙に打ち上げられるのでもいいかな。
夫や子供とは別に、自分一人だけのお墓を購入する人の気持ちを、ひどく前向きなそれとしてニュースは報じていたけれど、お墓ってのは、遺された人たちにとっての大切事であり、死出する当人にとっては、なんだろ、自由にできないものであるような気もするなあ。
仲のよい仲間たちを交えて、妻と一緒に、海を見下ろせる高台に眠れたりしたらいいかなあ、とか漠然と思っている。
でもまあ、何がどうなるのやら、皆目見当もつかない。
「家」ってものから僕らは、とことん自由な存在であるのだなあ、と改めて認識した。
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