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にんじん乗っ取りから蘇った好き嫌いにまつわる幼少期の話

ニンジンを描いていたら子に乗っ取られた ↑
もう子には絵では勝てないな ⊂⌒~⊃。Д。)⊃


今日はニンジンから思い出した、好き嫌いにまつわるワタシの思い出。

ワタシの母はニンジンが嫌いだ。食べられなくはないけど、好んでは食べない。なので、母の皿の中にはひとかけらのニンジンも存在しておらず、ワタシたちの皿にはひとり分以上のニンジンが盛り付けられているのが、我が実家の食卓の思い出である。

そして今は好き嫌いが全く無くなんでも美味しくいただくワタシだけど、小さい頃は好き嫌い満載のお子様であった。

食べられるものより食べられないものの方が多く、「出されたものを食べきるまで席を立ってはいけない」という我が実家のルールにより、ご飯時はみんなが食べ終わった後いつも一人延長戦に挑んでいた。

背後で楽しそうにテレビを見ながら笑う家族の声を聞きながら、振り向くと「さっさと食べなさい!」と怒られ、箸が止まっていると「早く食べなさい!」と怒られ、食卓でべそべそと泣きながら1時間ちょっと。目の前に残されたご飯と格闘する幼少期。

そしてこれはお正月でも例外ではなく、お餅が嫌いだったワタシは、新年1回目の朝ごはんで出てくるお雑煮を目の前に、毎年初泣き・初怒られされるのが行事として組み込まれていた。

泣かされ、怒られたあとにお年玉をもらう。
それがワタシのお正月。

幼稚園の途中で、餅を抜いたお雑煮を出してくれるようにはなったものの、お雑煮の汁で他の人のお餅が煮られているので汁だけでもダメで。

「お餅入ってへんわ!」と、ますます怒られたのも良き思いで(?)

ちなみに「正月早々ほんまに気分悪いわ!」と怒られていたけど、それはこっちのセリフだ。そっくりそのままお返ししよう。別お正月にお餅を食べんでもええですやん?と昔は言えなかったけど、今なら言える。いや、むしろ既に言った(笑)


でも、「好き嫌い」と軽く言ってはいるものの「好き」「嫌い」とかそう言うレベルの好き嫌いではなかったのは分かって欲しい。

口に入れた瞬間、喉の奥から押し戻してくる強烈な抵抗により、口に含んでおくことすら困難なのである。汚い話になるけど、口に入れた瞬間えづく。スキとかキライとかそこまでたどり着く前に起こる反射。無理なもんは無理。でも、お茶と水で乗り越えた幼少期のワタシを褒めてあげたい。

そして、母は「無理にでも食べ続けたから普通に食べられるようになった」と思っているだろうけど、「年が進むにつれて食べられるものが増えて行った」んだとワタシは思う。

「食わず嫌い」をしなくなったのは、まあ、母のおかげかもしれないけど。無理はよくないよ。無理は。


母の皿にニンジンが入っていないことに気が付いたワタシは、ある時から配膳の手伝いをしつつ自分の嫌いなものを人のお皿にお引越しさせるというスキルを身に着けた。

嫌いなものの行先は「兄」のお皿だ。

我が兄は好き嫌いがひとつもなく、なんでも食べる良きお子様であった。

なので、兄におかずの引越しについて何かを言われた記憶は全くない。兄のお皿から、ワタシの好きなものを引っ越しさせているのを見つかった時は、何かを言われたような気もする。喧嘩もしたような気もする。でも、ワタシに都合の悪い事なので、これっぽっちも覚えてはいない(←

で、いつもべそべそと泣きながらご飯を食べている横で、兄は早々にご飯を食べ終わり「ごちそうさま~」と颯爽と席を立ってテレビの元へ行くのがいつもの光景であった。

そして、そんな兄を見ながら「ほら!お兄ちゃんを見なさい!あんたも好き嫌いしてらんとさっさと食べ!」とお説教を食らうまでがワンセット。

毎回毎回そんなことを言われても、好きだ嫌いだという以前の問題で、口に入れておくのがまずキビシイのだ。

えづいてしまうと「食べられへんようなもんは出してない!みんな食べてるやろ!」とガチで怒られるので、えづいているのをバレないようにするだけでも必死。

でも、小さいワタシはそんな適格に説明することも出来ず。まぁ、説明できていたとしても「屁理屈こねてらんとさっさと食べ!」と速攻で怒られたと思うけど。


ある日、ごちそうさま~と席を立つ兄を見た後、母はいつものようにワタシをチラリと見て

「お兄ちゃんはなんでも食べるのに…」

と呆れた様子を隠そうともせずに、ため息とともに吐き出した。

そんな母にワタシもあの日はかなりムカついていたのだろう。そして、母がそこまで怒ってはいないことを肌で感じ取ってもいたのかもしれない。

第二子の直観。「今ならイケる」(←

とまあ、そう思ったかどうかまでは覚えてはいないけど。小さな頃から口の減らないワタシは、ついうっかりポロっと大きめの声で兄に向って食って掛かった。

母ではなく兄に向かうところも、今となれば無意識に計算されていたのだろう。

第二子の直感。「こっちなら大丈夫やろ」(←

「なんでも食べるっていうなら、皿もたべーや。コップも残ってるやん。なんでも食べてへんやん!残ってるわ!」


その後何が起こったのかはご想像にお任せすることにしよう。


あの頃は若かった……(しみじみ



~余談~
兄はこの事件とは別件で、ガラスのコップをかじって割った事がある。なので、ある意味「何でも食べる」というのは間違ってはいないのかもしれない(←


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