見出し画像

コミュ力がもてはやされる世の中で。

「御社の求めているコミュニケーション」

「理不尽を飲み込めること」
だったら最悪だな。

「コミュ力」がもてはやされる世の中で、コミュ力って一体何なんだ、と問う本。

コミュニケーションのゴールが、「楽しく日々を送ること」なら、
たくさんの人とコミュニケーションを取る必要あるのだろうか。
という疑問が湧いてきた。
「楽しい」日々を送るために、自分と価値観が違う人との交わり、コミュニケーションって必要なのかなあ?すごく狭い、たとえば家族と大好きな友達とだけ生活していく、とかだったら、別にコミュニケーション力なんてなくていいんじゃないかなあ?
でも私の「楽しい」は、新しい世界、刺激に出会うとか、知らないことを知るとか、そっちに向いている部分も多い。そうなると、よくわからないものと出会って、通じあえた瞬間ってものすごい「楽しい」。だからやっぱり、コミュニケーションからは逃げられないのかな、と考えている。

心に響いたのは、「対話」の基礎体力をつける、ということ。
わからないから、わかってもらえないからいいや、とポーンと投げ出すのではなく、
説明しなければならない虚しさとも向き合うこと。
「なんでわからないの?」ではなく根気強く、粘り強く説明すること。
筋トレみたいに、地道に向き合っていくしかないんだなという学び。
なんでも体力っているんだなあ、大事なんだあと感じた。

少し前に、相田みつをの詩をわかりあえず、まさに、説明する虚しさにイラッとした経験があったので、尚更身に沁みた。

とは言え、自分の考え方だけに頑固になるのではなく、相手の考え方も取り入れつつ、A+BがCになる喜びを知っていきたい。

手に職をつける時代から、自分にあった職業を見つける時代になっている、という見方もなるほどなあと思ったし、
コミュニケーションデザインというのは本当に存在するんだとも思った。
専門+空間で、コミュニケーションを円滑にする。
そういうのやっぱいいなと思えた。

自分が学んできた学問に自信が持てた。

平田オリザ(2012)『わかりあえないことからーーコミュニケーション能力とは何か』講談社現代新書


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?