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直感、違和感、心の奥の声に関する覚書

*仮眠から覚めると、また設定の細かい悪夢を見ていたとうっすら思い出した。(一つよく覚えているのは、部屋の真ん中を横切る奇妙な構造体だ。まことに邪魔くさい物体だった。人がいた、話していた、不愉快なテーマで作られた彫刻。等。)


…人には感じる能力があり、それらに注意を払う事は自分を尊重することで、災厄から免れさせたり、思いもよらない幸運や、奇妙な啓示へ人を導く。
今思えば。
そういう、奇妙に記憶に残り続ける感覚。
書いておかなくてはいけない。そしてそれらを読み返さないなら意味がない。
あるいはその感覚について今判断をし決断する。
心の声に従うこと。

例えば、望むことのために行動しているはずなのにひどくイライラしてしまう時だったり(ストレスがひどい。)

喜んでいい展開のはずが、どういうわけだか全て灰色に感じ、麻痺した、選択出来ない、なにもかも楽しめない気分になっていたりするとき…

そんなさまざまの感覚が教えてくれることは、全て、あとから、あれはそういうことだったのでは?と分かってくるので、興味深いが苦々しい。

*実は論理的に説明もつくことだが、渦中にあって考えられなかったり、また考えられたにしても、その結論に対して、忠実ではいられないということもある。たいてい、ネガティヴな感情に流されると間違う。


私はブログであったりSNSであったり、言葉で発信すること、ネット上になんらかの表現をしていくことについてどこか、肯定的にはなりきれない気持ちがある。常に・どうしてもやりづらさ、はある。でもだからこそ、淡々と続ける、ということが大事なんじゃないかと思っている。つまり囚われて時間を使い過ぎたり、固まったりせずに、流してゆく。

その時々に、もっとも大事なことがあり、またふと見かける徴を無視していてはいけない。もっとも大事なことを外さず、目の前におき、集中し、進めて行く限り、希望も喜びもそこにある。大事でないことや心の負担になる事に足を取られれば、ひどく後悔することにもなる。(それはひとつにやり方が間違っているということもある。)

昨日見つけた聖書からの言葉。覚えておきたい。

言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者は知恵がある。
キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをされなかった。



*Photo by JR Korpa on Unsplash



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