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【第一編】ep.15 愛の在る人間

 大人になった今、苦労しているのは社会と適合できない事だ。成長過程をふまず幼稚のまま生きてきてしまった。だが、子供の時は逆であった。大人びた少年だったように感じる。優等生の事を大人びたと言えるかはわからないが、しっかりしていると周囲から評価されていた。周囲は私を評価する以上に信頼しきっていた。

 人生で絶頂だったのは小学生の時かもしれない。大して努力もせず勉強やスポーツができていた。何か話す時もアドリブで周囲を感嘆させていた。別に神童と言われた事もないし、小学生までなら比較的あるあるな話だと思う。だからと言って、天狗になっていた自覚はないが、他人には厳しかった記憶がある。

 ルールを守らない同級生に厳しく言い、泣かせてしまった事もある。深く記憶に残っている場面では卒業式の時。最後の授業。先生や同級生は泣いている。だが、私は泣いていない。全く涙が出ないのだ。皆、何に対して泣いているかわからない。というのも、友達を虐める嫌な同級生まで泣いているのだ。

 泣くほどの頑張りをしたのは私である。勉強やスポーツ、クラスのイベント事等、何でも一生懸命やった自負がある。冷たい言葉だが、私よりも頑張っていないのに何故皆こんなにも泣いているのだ、と冷めた目で周囲を見つめていた記憶がある。さらに泣けない自分に焦って、感動的である時間が私にとってはただ苦痛の時間であったのだ。

 小学生の時には、既に感情の無いロボット化が確立されていたようであった。まるで軍隊で隊長の命令が絶対である悲しき兵士であるかのように。

 さらに歳を重ねても、私は周囲から共産主義等と冗談めいた皮肉を言われる事もあった。私の中で「人の指示をきく。」ことが最優先事項だったのだろう。親の影響であろう。まずは自分の事よりも友情よりもルールを守る。これが小学生以前に親から仕込まれたものであったのだろう。

 それに加え当時、私は少年野球で厳しい練習を毎日受けていた。私がすすんで入りたかったわけではない。親の近所付き合いで、その子供同士がまとめて入ったのだろう。毎日の厳しい練習は私にとってただの軍隊の訓練にしか感じられなかった。楽しさなんて1ミリもなかった。

 しかし、何故か親は私が練習に行かないことに対し、恐ろしく厳しかった。さぼる気はさらさら無かったが、必死に頑張ると褒め、それができないと狂乱の如く怒った。それが本当に恐ろしかった。野球の練習だけで怖いのに、親は守ってくれるどころか、さらに厳しかった。私に逃げ場所は無かった。

 今振り返ると、親の叱り方は異常であった。言葉で諭すのではない。いつも狂乱の如く怒るのだ。それが親の叱り方であった。今思うと、とてつもなく異常であった。怖いのは当然であろう。

 恐ろしくて、恐ろしくて。恐ろしくて自分自身よりも親や周囲の大人の指示を守らざるを得なかった。だからルールが最優先の悲しきロボットのような感情のない人間となってしまったようである。

 小学生から私にとって、学校とは人と楽しんだり、心の交流のするところではなく、単なる訓練場と捉えていたようである。これも無意識で捉えていたと思う。だから、学校に対して思い入れはなく、全く涙が流れたかったのだと思う。もちろん、寂しいという感情もこれっぽちもなかった。私にとって学校、いや教師とは、怒ってくる人としか見ていなかった。親や周囲の大人も含めて。寂しくないのは当たり前である。泣かないのは当たり前である。

 子供から青年にかけて、大人に対しては全てが恐怖で一杯だった。だが、私も大人になるにつれ、その恐怖を感じてきた大人の行為を回想していくうちに、その行為は暴力でしかないことに気付いた。全くもってざんぞんな扱いだった。悔しいの一言では片づけられない。それがわかればわかる程、憎悪が増していった。それがわかったのであるから、もう人の指令を最優先に置かなくてよい筈なのに私は無意識に最優先に行動をしてしまっている。これに気付いたのもつい最近のことである。

 ここで、疑問も沸いてくる人もいるかもしれない。人の指令を最優先にきくことを逆に長所として仕事などに活かせばいいのでは、と。しかし、私は心の底では人に恐怖を抱いている。嫌なのである。嫌なのに従ってしまうのだ。これがアダルトチルドレンなのである。

 愛情や友情を最優先に置けない。本当はそれを一番大切にしたいのに。愛情や友情が私にとって遠い存在過ぎて、存在しないもののように感じる時がある。例えるなら妖精のような存在。在るようで無いもの。

 だが、大人になりインターネットやSNSを通じて、他人のプライベートを垣間見るようになった時、愛情や友情が存在していることを知った。厳密には見たというのが正しい表現だろう。まだ体験はしていないが、それを見てそれはこの世に存在しているのだと知った。存在していたのを知り、私は、親だけではなく友人関係も含め、本当の意味での愛情や友情を経験したことは無いのだと改めて知り、より一層悲しみに包まれた。

 勇気を持って述べると、今まで私がおかしい人間だから周囲と馴染めないのだと思っていたが、その逆だったのかもしれない。だからこそ私が無理をして背伸びをしなければいけなかったのかもしれない。背伸びをせず、親や親友の愛を知った経験があったのならば、今社会でそりの合わない環境でも適合しながら生きていけたのかもしれない。

 つまり、今社会という戦場に馴染めない状況は怖いのである。私は丸裸なのである。武器や防具を備えていない。武器や防具は愛情や友情である。幼少の頃、私は愛情や友情を備えられず、ずっと丸裸で生きてきた。よくも丸裸で長年生きてこれたものだと自分でも思う。奇跡だとも思う。残念ながら愛情や友情はお金や物品では揃えられない。お金や物品はもらってきた。だが私は今も丸裸である。いつも心は凍え寂しいのである。

 周囲のせいにするなという声も受け入れた時期もあった。だが、今振り返ると、やはり絶対的愛情が足りないという事を少しずつ感じ始めたのである。人との深い交わりがない。幼少から青年までそれさえも頭にはなかった。やはり私は周囲とズレているのだろう。私が求めるのは、既に他の人が経験してきた愛情や友情である。本来の年齢であれば、仕事の成功や、家庭を持っていれば家族の幸せを求めているのだろう。

 私は大分遅れをとってしまっている。私はまだ子供なのである。心の成長が大分前に止まってしまっている子供なのである。だからこそ今、子供をやり直している。大きな、大きなものを忘れ歩んできてしまった。それを取りに行くためには、今まで歩んできた道を引き返さなければいけない。その分の時間を要する。途方もない程に。だが、それをしなければ私は感情の無いロボットのままである。ロボットから愛の在る人間に生まれ変わるため、これからも私の険しい長い道程は続いていく。

 

 

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