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♪ - ハバネロ - 介護問題・当方直近実録

※お目汚し・お心汚しが避けられぬ記述が含まれているかと存じます。
  
 
♪開戦前夜が何(十)年続いていたのかな?
 
私が開戦日だと自らを戒めたのが、2019年4月。
 
戸籍制度が確固たるこの国では、相手がこの世から消えるまで、真の終戦はありません。
 
それが介護問題です。
  

(10/16/2023更新記事)
   
 
周囲の他人さまは、当事者の歴史など知る由も・必要もありません。
 
「高齢独居の母親を捨てて逃げ出した、血も涙もない無責任なバ◆愚息」
 
私から会釈するも、これ見よがしに玄関や窓を激しく閉められたことも。
 
「本人のあまりに無礼非常識な言動、診断書も紹介状も作成できません」
 
地域密着の複数の医療機関や民間介護サービスからは、出禁を仄めかす門前払い通告の連続。
 
本人の出入り先に菓子折り持参での謝罪行脚、数をこなせばソツなくなってしまい、こちらの謝意が薄まってしまったような?
  
 
「すべて俺独りで受け切って決着をつけるから、できる範囲で外貨を稼いできてくれ」
 
相方にはこのように & 本人にとっての孫夫婦(=私の息子夫婦)は当然理解に窮するも、私たちの言い分を飲み込んでくれました。
 
・法律事務所への相談も、生前の相続放棄は認められない、法の壁。
・実子としての保護責任を放棄しても、法で裁かれるとは限らない光明。
・所轄警察署、地域包括支援センター、市井の福祉保健課への相談と連携
・区画整理(換地)現在進行形の折、市井の事業所との折衝
・ご近所や本人の出入り先を戸別訪問(=現状理解と協力の依頼行脚)
・親族への状況報告から今後に関する理解を求める(※これが大変でした)
 
などなど、時間をひねり出しては駆け回っての、折衝の繰り返し。
 
その間にも玄関の鍵を増設からつっかえ棒で立て籠る本人の、勘弁願いたいご活躍は加速するばかり。
 
・行動範囲内(個人・商店・医療機関)および親族への虚言・差別侮蔑冒涜
・悪徳訪問業者と法外な金額の屋根外壁工事の契約を独断で締結
・なにがどうなったのか、得体の知れない金融商品を契約
・市の職員を名乗る人物に現金を手渡してしまう
・集金人など出入り業者に無意味かつ高額なお小遣いをばら撒いてご満悦
・水道管水漏れを黙って隠し通し、物凄い使用料+修繕費用が必要に
・郵便を用いた振り込め詐欺を信じて譲らず(※未然に防御)
・金融機関ATMで怪しい人間に通帳とカートを手渡す寸前(※同上)
・怪しい人間を室内に招き入れ茶菓子を振る舞い、ご近所情報を喋りまくる
・私に鋭利な切っ先を向ける・後ろから突き飛ばす(※落下から捻挫)
 
これらはほんの一部です。
 
認知症で人が変わったのではなく、本性を隠し切れなくなっただけ。
幼い日の記憶の中の本人そのままだったことで、私の危機管理意識も麻痺していたらしく?
 
 
誰もがこんな厄介者とは関わりたくありません(=私も回避します)。
 
「どうか臆せず、第一通報者になっていただけませんか?」
 
そんな願いが簡単に聞き入れられるはずもありません。
  

(11/20/2023更新記事)
 
 
それでも見ていてくださる人は、そっと存在してたようです。
 
コロナ禍が落ち着きを見せ始めた2023年秋頃から?
 
私たちに吹きつけ続けていた逆風の、風向きと風力が変わり始めました。
 
「精神を持って行かれているよ!表情と言っていることが変だよ!」
 
家内からの忠告の頻度が増し始めていた時期、大袈裟でなく間一髪?
 
・民事不介入と、事務的に訴えを受理するだけだった警察署が動きだして
・お役所仕事丸出しで何もしない定年待ちから、誠実な担当者に代わって
・親不孝だと激怒していた親族が理解を示し・労いを言葉にしてくださって
・出入り先商店が、高額商品の販売を拒絶から、通報にもご協力いただけて
 
そして個人的に救われたのが、ご近所さまが私に対し、心を開いてくださったこと。
 
先述のように外から解錠して室内に入れず、直近の1年ほどは、玄関越しに生存確認するのが精一杯。
 
片手に杖で玄関先を通り過ぎる目視確認を続けていた私の姿を、見てくださっていたのでしょう。
 
「貴方の姿と本人が重なるから、近所を歩かないで!貴方の電話番号も本人を思い出すから、手渡さないでください!」
 
この発言だけを切り取ると、なんとも失礼だと響きますが、本人の長年の愚言動を思えば、これは当然です。
 
そんなご近所さまから、
 
「私たちで外から見守るから。なにかあったら110番するから。お兄さん(=私)はもう無理しないで。通い詰めなくても大丈夫だから」
 
さらには運良く、介護の仕事に従事されているご近所さまからも、
 
「昔お世話になったご縁で、支援センターの人たちとは顔見知りだから、連携とって対応するからね」
 
さらには支援センターの後任者さまも、恐縮するほど親身に尽力くださり、
 
「お役所仕事だと諦めていたけれど、前任者が怠慢なだけだったんだな」
 
短気を起こさなくてよかったと、これは教訓反省でした。
 

支え。

  
その他文字にはできない諸々も含め、現状はこんな比喩表現になるかと。
  
☆ 5年あまりの開戦状態から、冷戦ではない停戦状態かも?
  
もちろん長男として社会通念上避けられない責任は、この先も一緒です。
 
それでも携帯電話の着信音に全身を苦虫が駆け巡る、あのおぞましい感覚を、日々確実に忘れられています。
 
 
◆ 心の中を黒雲が覆い尽くし、どれだけ先を確かめても晴れ間が見えない。
 
↓ ↓ ↓
 
◎ 青空ベースの先を望めば、ぽつりぽつりと小さな雷雲が浮かんでいる?

 
( ; ^-^ ) b こりゃまた伝わりづらい例えで、反省反省。
  
 
不特定多数の読者にはご理解いただけないかと思いますが、以下責任名言。
 
・今後も本人との間に、心ある交流を期待することはありません。
・自ら積極的に接見するつもりもなく、必要最低限に抑える所存です。
・社会が私に求める責任(=本人の生活環境の確保維持と、周囲へのご迷惑をできるかぎり防ぐ)を果たすべく、引き続き努力あるのみ。
 
区画整理(換地)で、私の幼い瞳に映っていた小さな住宅街が消え去るのが、予定では4~5年先になるとか。
 
幼い私を見守ってくださった高齢者も、まだ数名暮らしておられます。
 
本人が快適か否かなど、私にとっては問題外。
 
近隣居住者各位の晩年、安全穏やかに暮らせる毎日こそが、最優先課題。
 
このことは支援機関各位に訴え続けてきましたし、今後も不変です。
 
 
地元の各医療機関からは、依然として暗に出禁状態。
 
そのような施設への扉は開けず、現状一択の現実は一緒です。
 
それでも孤軍奮闘ではなく、周囲のご理解とお力添え、心強い限りです。
 

心穏やかな初秋を迎えられたらいいな。

 
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<ご本人への書簡(抜粋的に)>
  
私が物心ついた頃からですから、もう50年以上~60年近くになりますね。
アナタの言葉選びや、人を見下し事実を曲げて話す内容・口調・表情を目の当たりにするたびに、
 
「どうしてそれほどまでに他人を傷つけ・不快にさせることが、得意気で嬉しそうなのかな?」
 
それもアナタの個性なのだろうと、反感を抱きつつも受け入れに努めてきましたが、
よりによってこのタイミングで、ついに限界点を超えてしまいました。
 
私はアナタの考え方・立ち振る舞い、発言の数々、その他が、
受け入れられないを越えて、心ある人間のそれらとは思えず、許せません。
 
 
戦後この国が世界一豊かで平和に成長する時期に、人間として命を授けていただき、
ここまで育ててくださったこと、素直に感謝しかありません。
楽しかった思い出の光景もたくさん覚えています。
しかしながら、長年にわたるアナタの許しがたい言動が私の心のなかで、
それらを黒く塗りつぶしてしまい、とうとう見えなくなってしまいました。
 
『唯我独尊』『支配者』『掃き溜めの鶴気取り』そのもの。
お名前は伏せますが、すでにこの町を去られた方、今もお住まいの方など複数名さまが、
声をそろえて密かに名付けられた、アナタの渾名(あだな)。
最初耳にしたときには、本当にその通りだと感心したものでした。
 
 
人は最期を迎えるまでの期間に、それまで自分がやってきたことに対する、
『ご褒美(ごほうび)』もしくは『懲罰(ちょうばつ)』が届くようです。
 
もちろん長い人生、すべて善人で生きてこられるはずもありません。
心ならずも悪者を演じねばならない場面を、誰もが経験することでしょう。
 
それらをひっくるめ、晩年が自分に優しく楽しく穏やかに感じられれば、
人生を通じて出会い別れた、多くの人たちからの『感謝』なのでしょう。
反対に周囲の人たちがと楽しそうなのに、自分だけが不遇だと思うなら、
もしかすれば、なんらかの『お仕置き』が届いているのかも?
 
 

他人に心を踏みにじられた痛み、ってのが、人間社会には存在します。
 
どんな手段を用いてでも、常に踏み続けてやろうと孤軍奮闘の人生では、 
感じ・察することができなくても、仕方ないのかもしれませんね。
 
アナタに『こころある日々の言動の大切さと素晴らしさ』を、
ここまでお伝えできなかった & 理解いただけなかったこと。
 
これが一番大きな悔い、であり、私の人間力不足だと受け止めています。
 
 
 
ゴメンね。
 
さかのぼること1980年代に、アナタたち(&アナタのご主人)が揃って、
 
「ワシの顔に泥を塗るように、河原乞◆の手先以下に成り下がるのか!?」
「どうせ失敗するに!恥かいて困り果てればエエわいなちゅてに!」
 
このように激励から、叩き出すように送り出してくれたこの土俵で、
文字やおたまじゃくしを並べて、今もご飯を食べられているのに。
  
“こころ”
  
これすらも、今日まで伝えてあげられなくって。

 
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以上、自身にひと区切りつけるべく、ここに刻んでおくことにしました。
 
お目汚し・お心汚しの長駄文、失礼しました。
 
o(_ _)o “じわあ~っ” と今、安堵のような説明難の感情を確かめています。
 
  
9/5/2024 (THU)
文責 : 或 頁生
  
 
# NO COUNT.

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