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「日本人とリズム感」を読んだら小袋成彬のアルバムの凄さがより良く分かった

日本語では言葉の表拍にアクセントを置く一方で、西欧では裏拍を強調するように捉えているらしい。

例えば私たちが日本語で「トマト」と呼ぶあの食べ物は、英語では「トメィトォウ」って発音する。ゆっくり発音すると日本語では「トマ・ト」という音が「タンタン」ってリズムに乗るのに対して、英語では出だしの「ト」が弱く、「ォウ」の太字部分が強調されて「ンタンタ」に近いリズムになっている。

日本語では「日本 (ニッポン)」「東京都」「新宿三丁目」がそれぞれ「タンタン」「タンタンタン」「タンタンタンタンタン」というリズムで発音される。拍の頭にアクセントがある。

「本日、餃子が2割引」は「タンタタ・タンタカ・タカタタタン!」というリズムになる。

カタカナ語でも「ポケモン」「ゲーセン」のように、2拍・4拍のリズムに乗せるべく略すのが好きなんだと思う。そんな風に、

・均一な長さの拍に言葉を乗せる

・出だしが強調される

ことが特徴だ。日本人のルーツは稲作を営む民族で、みんなで動きを揃えて広大な大地に鍬を打ちつけたり稲を植えたりする。そんな感覚が染み付いていることから、動きを揃える合図のような性質のものとしてリズムを捉えていて上記のような特徴に繋がっているのかもしれない。よさこいソーランとかの踊りもそういう観念が根底にありそう。みんながそうってわけでも多分ないけど、全体的な傾向としては十分に納得感がある。


一方西欧  (「海外」というと範囲が広すぎるのでとりあえずアメリカ・ヨーロッパの文化圏)で使用されている英語およびそれに近しい言語では「接頭語」で単語が始まることが多い。

例えば「ex-」で始まる単語に「express」「extend」「exaggerate」があるけど、表拍に相当する「ex-」ではなくそのすぐ後、「-press」なり「-tend」の頭にアクセントが来る。よって単語そのものは裏拍にアクセントがあるような捉え方になる。

「裏拍」というほど厳密でなくて、

・言葉の出だしは弱い

・言葉が乗るリズムは長さが柔軟に伸縮する

というような傾向がありそうだ。

狩猟民族をルーツに持つ人々は、大地を蹴って走ったり跳んだり、馬に乗って移動したりする動きがリズム感の根っこにある。だから拍の出だしでは地面に足がついていて、体が勢いよく動き出すタイミングが裏拍にくるような感覚が言語や音楽にも影響を与えているのだと考えられる。

……ということに関連する話が、最近読み始めた「日本人とリズム感」という本に書かれている。

これは6/30 (Sat)の #cakesnotefes の時、「心のベストテン」公開収録内で柴那典さんが紹介してくれていた本。

言葉のアクセントがポップミュージックのリズム・歌い方・譜割りにも影響を与えているという話だった。

俄然興味が湧いたので、自分なりに「表拍を強調する日本語のポップス」「裏拍でノる海外の曲」の具体例を探してみた。

 (予めこの記事の要旨を言ってしまうと、"小袋成彬の歌は見事に裏拍に日本語がノっていて、これまで聴き馴染んで来た日本語の歌とは一線を画す趣きがある" ということ。)

表拍を強調する日本語の歌

 それなりに知名度があって、最近の曲じゃなくて、日本らしさもある曲ってなんだろうと思って探してみた。夏だし、ポケモン映画の懐かしの主題歌とかいいんじゃないかな。第1作「ミュウツーの逆襲」公開からもう今年で20年だね。というわけでこれ:

以後、こんな感じで図を載せて話を進めていくことにする。

・表拍は青

・裏拍は白

・音符の長さとかは厳密に気にせず、表/裏のどっちに言葉が配置されてるかを可視化する

という方針。「風といっしょに」は見事なまでに表拍にだけ言葉が乗っている。それがある種の荘厳な感じに繋がっている。

最近の曲も例に挙げよう。

サカナクション「新宝島」も、青いところに単語が乗ってる率が高い。速い4つ打ちビートの気持ち良さが活きていると思う。

Suchmos「STAY TUNE」になると、「ブランド」「着てる」が裏拍はじまりになってグィっと掴みかかるようなノリが生まれている。モダン。でも「もう Good Night」は「ダン・ダン・ダン」って調子よく表拍にアクセントが乗っていて、やっぱりそこがキメになってる。

やっぱりパッと思いつく日本語の曲では、表拍で言葉を強調することが多いとみて差し支えないんじゃないだろうか。

裏拍でノる海外の曲

では、欧米のヒット曲はキメのところやアクセントが裏拍 (表ではない箇所)にあるんだろうか。幸いにして、ちゃんとそういう例がすぐ見つかった。

Daft Punk「Get Lucky」。タイトルにもなっている「ゲッラッキー」のフレーズを歌うところは裏拍はじまりで、体が思わず前へそして上へと動くような躍動感が漲っている。あと歌詞を平仮名で書いてみて気づいたんだけど、「We're up all night to get lucky」の「night」をファレル・ウィリアムスは「ンNight」という具合に「ン」を補うようにして歌っている。言葉のリズムに粘りというかコシを与えていて、そこが「ゲッラッキー」で気持ちよく跳ねるための景気付けみたいになってるね。

あと個人的に超好きな「Closer」。この曲のメロディーに対する言葉の乗せ方はめちゃくちゃ計算高くて詳しく話したいけど早く小袋成彬の話に移りたくなってきた笑。裏拍に押韻ポイントを徹底して配置することで、メロディのキャッチーさを強化している (あっさり解説しすぎか)。

小袋成彬の歌メロのリズム

さて、もし「裏拍にアクセントが乗っている日本語のポップソング」が出てきたら、それはすごく新鮮に聞こえるはずだ。

で、小袋成彬の歌の新鮮さは、まさしくそこのポイントをクリアすることで生まれているのだと気づいた。

アルバム「分離派の夏」の中でもいちばん好きな「Daydreaming in Guam」から見てみる。

ほら見て!! 図の青いエリアの空き具合!! 

図の中に書いてしまったけど、ゆったりしたリズムで音の隙間を作っておいて、裏拍から言葉を紡いで行くことで、これまでの日本語の歌の特徴だった

・均一な長さの拍に言葉を乗せる

・出だしが強調される

という定型から解放されて見事なブレイクスルーを遂げている。

言葉が乗るリズム、拍の長さが上品かつ柔軟に伸縮するような自由さ・非線形性がある。

アルバムの本格的な幕開けを告げる「Game」。この曲はこれまで挙げてきた例とは違った「ワン、ツー、スリー、ワン、ツー、スリー……」というワルツのようなリズムになっている。「ツー」のところを強調すると素敵にハネる感じがあるので、このタイミングが裏拍に相当するタイミングと見ていいと思う。で、彼の唯一無二の美声によるファルセットが炸裂するポイント  (You フッ hoo〜)はその「ツー」のところにある。これまであまり聴いたことの無かったリズム感で、これまでに聴いたことの無い歌声が、悲しそうな物語を紡ぎ始める。そんな圧倒的な求心力により、このアルバムに聴き手の心を一気に惹き込むトリガとして作用している。

小袋成彬が登場する前から、意識的に「裏拍を強調した日本語曲」を繰り出すアーティストはもちろんいたのだと思う。彼が日本音楽史上類を見ないパイオニアというわけでもなく、先達はいるのかもしれない。宇多田ヒカルがその最たる例の1つで、「traveling」のイントロの「Let's go for the ride!!」っていう掛け声とか裏から入るじゃん。あれ超気持ちいいよね。


初めて「分離派の夏」を聴いた四月の終わり頃はこんなことを思った:

ceroのような圧倒的なポテンシャルを持つアーティストがいるとはいえ、2010年代に入ってすぐの頃から中頃まで、あんまり日本の音楽で「画期的な新しい風」が吹いていることをシーン全体としては実感できていなかった気がする。直線的なビートやパターン化されたコード進行が基盤となっていて、おんなじフィールドの中で既存ジャンルの組み合わせ方を変えるトライアルがひたすら繰り返されてきたような閉塞感があった。何かと何かを掛け合わせても、結局同じ盤面の上を転がることが繰り返されていたように思う (それは自分の視野の狭さのせいと言ってしまえばそれまでだし、もちろん素晴らしい音楽はたくさんあった)。

でもそんな状況を過去の物とし、日本の音楽シーンを新たな次元に接続するアルバムが「分離派の夏」だと思う。ついに、時代の歯車が、音を立てて廻りはじめた気がした。

そのカギは、やはり言葉とリズムにあったのではないかと思う。

今はD.A.Nもw-indsも三浦大知も新しい風を吹かせているけど、小袋成彬の革新性は際立っていると思う。本当に心強い。

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