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【エッセイ】心からの大好きを。

~怒ってばかりの私が変わった日〜


「ママって怒った顔してばっか。
なんで僕には笑ってくれないの?」

その瞬間、私はハッとした。

確かにこの子の前で、
心から笑ったのはいつだっただろうか、と。

この言葉を言われたのは、
下の子が生まれてから1年ほど経った頃だった。

我が家には、2歳半離れた兄弟がいる。

上の子は赤ん坊の頃から泣き虫で、
半日以上泣き続ける根性のある子だった。

一方で、下の子は真逆の、気づけば寝ていて、
静かに目覚める子だった。

兄弟の育てやすさには驚くほどの差があった。

上の子は2歳頃から癇癪の酷さを理由に、
地域の保健師さんに発達検査を勧められるほどだった。しかし、
私は「発達障害」という言葉を受け入れられず、「そんなに簡単に人の子を障害者にしたいのか」と反発し、検査を先延ばしにしていた。

3歳頃になると、
発語の遅さや集団行動にも馴染めない様子が
目立ち始め、年少に上がるタイミングで
発達検査を受けることにし、
その結果から療育を開始した。

正直、上の子を産んだ当時を振り返ると、
なぜ泣いているのかも分からず、
どんなにあやしても泣き止まない。
まとまった睡眠時間もとれず、
心の余裕は全くと言っていいほど無かった。
ただ必死に、「この小さな命を生かさなければ」と愛情よりも義務感で接していたと思う。

可愛いと感じられたのは、
すやすやと健やかに眠っているその瞬間だけで、起きている間はただただ辛くて、
自分も泣きながら息子をあやしていた。

前置きが少し長くなってしまったが、
そういった背景があるため、
上の子には厳しく接していた。その頃の私は、「大きくなったときに困らないように」と
心を鬼にしていたのだ。

下の子が生まれたときには、
ある程度育児の経験を積んでの
出産だったからだろう。
生まれた瞬間から可愛いと思うことができ、
自分でも驚いた記憶がある。

心に余裕ができたのか、
上の子の時にはできなかったあやし方などを
たくさん実践することができた。

赤ん坊は弱く守らなければならない。
危害が加わりそうなら防がなければならないのが
親の役目だ。

だから、兄はまだ小さく分別もつきにくいため、何かの拍子に弟に危害が加わるのではと過剰に
警戒していたのかもしれない。
事あるごとに怒鳴り叱っていた。

そんな毎日を繰り返していけば、
当たり前だろうか。

ついに上の子はこう言った。

「どうせ僕のことなんて嫌いなんでしょ」と。

なんてことだ。

私は大きくショックを受けた。

私自身が自己肯定感低く育っていたために、
子供たちにはできるだけ自己肯定感を高く持てるよう育てたいと願っていたのに、
そうはなっていなかった。

「そんなことはないよ。
ママは貴方のことが大好きだよ。」

すぐさまそう否定した。

「ただ、危ないことやしてはいけないことをするからママは怒るんだよ。」と伝えた。

しかし、数年否定され続けた心はそう簡単には戻らない。1年ほどは事あるごとに彼は
「僕なんて嫌いなんでしょ」と言い続けた。

どうすれば彼の自己肯定感や自尊心を取り戻せるのか。そう悩んだ末に私が導き出した答えは、
毎日「大好きだ」と
子供たちに伝えていくことだった。
そして私も子供たちへの接し方を見直した。

毎晩、寝る前に少しだけ子供たちとゆっくり話す時間を設けた。
子供と遊ぶのが苦手な私にとって、
唯一まともに子供たちと向き合える時間だった。

「ママは貴方のことが大好きだよ。ママの1番の宝物だよ。」そう伝え続けた。

弟に先に伝えてしまうと
「僕なんて嫌いなんでしょ」と言うので、
必ず兄から先に「大好きだ」と伝えるようにした。

長い時間がかかったが、
やがて彼はこう言うようになった。

「ママ、俺の事大好きだもんね。」

その言葉を聞いた瞬間、
私のやってきたことは間違いではなかったんだと安心した。

これと平行して、
他にもたくさん接し方を変えていった。
前述の癇癪が激しかったのは、感情をうまく言葉にできず、気持ちの切り替えが苦手だったからだった。
言葉で話せるようになるにつれて、
泣き喚くのが減った代わりに、今度は怒ると黙って不貞腐れることが増えた。
不機嫌アピールをすることによって、周りの人間に機嫌を直してもらおうという素振りや察してくれという素振りも見受けられた。

これでは彼のためにならないと思い、
私は彼に伝えた。

「ママはエスパーではないんだよ。言葉にしないと貴方が何が嫌で怒っているのか理解してあげられないよ」と。

下手に干渉しすぎると癇癪が悪化するため、すぐに言葉にできない場合はその場を離れ、1人にしてあげて、自分の気持ちが落ち着いてから親や先生などに感情を伝える、言葉にしていくトレーニングを特に力を入れて行った。
それに付随して、感情の切り替えには次の動作への移行が難しかったため、事前に声掛けや10秒カウントダウンなど、口うるさい母ちゃんと思われそうなくらいこまめに声掛けをした。

怒鳴り続けてしまったが故に息子は怒鳴りながら喋るようになってしまった。
かなりまずいと思った私は、叱り方も変え、
怒鳴らずになぜダメだったか、どうなってしまうのかを諭すように伝えるように心がけた。

なかなか上手くいかず、時には怒鳴ることもあり、自分自身へのアンガーマネジメントにもかなり苦戦しながら頑張ってやり続けた。
なんとか形になってきた頃、息子自身も少しずつ穏やかな口調になってきていた。

こうしたことをやり続けた中で、最も大事にしたのは、できた時に過剰に褒めることだった。
成功体験を積んでもらうため、どんな小さなことでも上手くいったことはたくさん褒めた。何度も「天才!」と褒め続けた。

そのおかげで彼は
「見て!これ天才じゃない!?」と
工作や絵をそう言いながら
誇らしそうに見せてくれるようになった。

いいぞ、いいぞ。
小さな天才くん。

まだまだ苦手なことが人より多い彼は、少しずつ彼のペースで成長している。
小学生へ上がる頃にはかなり癇癪が減り、育てやすくなった。多動気味なところはまだあるが、集中力が増え、教室に留まれるようになっただけでも母としては花丸である。

マイペースだから人間関係の中で浮いた存在になってしまうのではと心配した時期もあったが、
むしろ輪の中心にいることもあるらしい。

母のネガティブ気質を引き継いでしまったため、生きにくさを感じるかもしれない。だけれども、父のポジティブ気質がいつか彼に芽吹き、
花開くかもしれない。

少しでも彼が生きやすくなるように、可能性や自己肯定感を伸ばしたい。私を選んで生まれてきてくれた子供たちには、今もなお、たくさんの母親力を育ててもらっている。

兄の子育ての経験から、弟はとても自己肯定感が強く育っているのを見ると、可能であればもう一度、一から上の子を育て直したいと思うようになった。
取り戻せない、かけがえのない赤ちゃん期に余裕がなく、十分に可愛がれなかった後悔の思いはあるが、今からでも遅くないと思っている。

これから先も試行錯誤しながら、
子供たちのために奔走していこうと思う。

今この瞬間が限られた時間だということを、
親として学んだ。だからこそ、
一瞬一瞬を大切にして、
今日も私は我が子へありったけの
「大好き」を伝えて生きていく。

生まれてきてくれてありがとう。


終わりに

振り返れば、子育ては思い通りにいかないことばかりで、何度も自分を責めたり、悩んだりしてきました。それでも、子供たちが成長し、笑顔を見せてくれるたびに、私も少しずつ変わっていけたのだと感じています。完璧な親でなくてもいい。大切なのは、子供たちに「あなたは大切な存在なんだ」と伝え続けることだと、今は強く思います。

子供たちが成長し、巣立っていく日がいつか来るでしょう。その時まで、そしてその後も、私は「大好きだよ」と心から伝え続けていきたいと思います。子育ては私にとって、学びと気づきの連続です。これからも一緒に成長し、笑い合いながら歩んでいきます。

子供たち、
そしてご覧になってくれているあなたへ、
心からの感謝を込めて。

最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。

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