YouTuberの卵達よ、信念を持った価値観寄稿者であれ。

ご無沙汰しております、めい子です。

実はただいま韓国留学中につきまして、ソウルにある延世大学に通っております。怒涛の中間期間を終えてただいま一息ついております。笑

余談なのですが、韓国人はめちゃくちゃ勉強するんですね、なぜかというと就職活動の際に大学のGPAが重要な評価基準になるそう。
なので死に物狂いで勉強している韓国の人たちを見ると日本の大学生の授業に出ないスタンスは考えられないのだろうなと。
どれくらい就職活動に必死かというと、北朝鮮と韓国が併合についてどう思うと聞いた時に、「北朝鮮は仕事がいっぱいで仕事が増えるからなんとも言えない」とすごく現実味のある答えをもらいました。

日本社会、純粋にやばいなと。

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さてさて話がそれてしまいましたが、今日は韓国留学の話でも、帰国子女の話でもなく「YouTuber」について話して行きたいと思います。

このわけのわからない文脈で語っていくスタイル、
私の性格そっくりです。笑

でも完全に関連がないという訳ではなく、私自身YouTuberとして動画を投稿している身であるため日々マーケット調査と称して様々なYouTube動画を漠然と見ているだけでなく食い入るように見ている訳です。

なので最近のYouTube業界で気づいたことがいくつかあるので自身の備忘録としてもここに記しつつ、哲学的な視点を踏まえて語ってゆきたい。

ここで現在のYouTubeを考察する上での土台となる「自己決定理論」について述べたい。自己決定理論、通称STD(Self-Determination-Theory)とはエドワード・L・デシが構築した理論で、人間の持つ基本的欲求である自律性、関係性、有能感の3つを満たすことにより、モチベーションが高まることを示す。

自律性に基づくモチベーションは「自分の価値や信念に基づいた行動」であり、自ら行動に対して楽しさややりがいを見出すことで生じる。

次に関係性とは社会との繋がりや自らの存在価値の意義を感じた時に生じる。

最後に有能感とは自らの行動に対してなんらかの対価や逆に罰が生じることで他者から社会的に認められたと感じたり、駆り立てられている際に生じる。

私はこの自己決定理論は自らの人生を客観的に考察する際に非常に有用な軸になるため、よくこれに基づいて夜な夜な考えにふけっている。

そしてあるとき私はこの自己決定理論をYouTuberの動画制作活動に当てはめて考えたときに出た結論から、これから派生していくNew YouTuber達が
堕落の道を辿って行ってしまうのではないかと勝手に心配して急いで執筆している。(要は自己満である)

まず最近のYouTube業界への新人の多くは芸能人やある程度SNSで名の知れた著名人とであるタイプYumeijin (タイプY) と信念を持って何か伝えたいから始めたタイプShinen (タイプS)に分類したとする。

ここでこれら3つのタイプを自己決定理論に当てはめて考えていくとする。
まずタイプYの場合自身の「有能性」をすでに認知しており、さらに自身が一つの「コンテンツ」として成立しているタイプである。このような人々の場合私がツイッターで叫んだ

というひとツイートが物語っているように(物語っているのか?!)このフィルターに自身の「有能性」のキラキラがつくためにぶっちゃけコンテンツは量産型コンテンツであったとしても他者からの相応の評価やリアクションが勝手についてくるのである。

もちろん彼らが1から這い上がって努力して努力して「有能性」を会得した事実(そうでない人もいるが)は百も承知でありその事実に対しては敬意をはらいたい。しかしここではYouTubeという業界に介入してきた場合の話をしている。

この場合、彼らはすでに周りのYouTuberが発信している内容と同等のコンテンツ、例えば韓国派生のモクパン動画(ただ自分が食べてるだけの動画)、架空請求への凸電、謎のアルミホイルの玉の作成過程動画、そしてそれを切ってみる、自分のバックの中身、よく知らない第三者へのドッキリ
でも視聴者は見てくれるし、コメントもくるし、ツイッターで宣伝したらリアクションが帰ってくるのである。つまり同時に「関係性」モチベーションも満たされるため、自彼らのYouTube活動が完全にぶっちゃけコンテンツ量産型スパイラルに陥ってしまっている。

ように思う。

次にこのタイプYに比べてタイプSは一体何が違うのか、そして私がYouTubeを始める卵達に絶対的に推したいタイプがこのタイプYの信念タイプであることを実体験を元に語ってゆきたい。


****私 

私自身実は数ヶ月前までこのタイプYに属していた。
実はYouTubeでの動画投稿は約3年前の高校三年の時から初めている。そしてチャンネル創設当初から掲げていたのが「日本政府が世界に発信しているかわいい文化があまりにも偏向している!私は自分の思うかわいいを政府に反駁しようが自分の英語という武器を使って世界に広めるんだ!」というこれぞ信念を持った投稿モチベがあった。まさに自立性を持って日々発信活動に勤しんでいたのである。

もちろん3年間やっているのにも関わらずあまり登録者は伸びず、コメントも2〜3件ほどであったのであるが「自律性」を元に派生した信念はなかなか折れることなく細々と業界で生き続けてきた。

ところがどっこい、いつからかYouTube活動が日本中で流行りだし瞬く間に参入してくる人、業界が増え、(今なんてVR YouTuberなんているんですよ!)私はますます埋もれていった。
それでもこの自律性と、3年もやっていれば2,3人くらいはコメントをしてくれる人もいるわけで、そのモチベーションから今まで続けてきた。

でもやっぱり辛い。私より三年も後に始めた有名YouTuberは一晩で何万人もの登録者を持ち、コメント欄は賞賛で溢れかえっているのを見ると、自律性なんてもんは荒んでくるんです。

そしてここで色んな意味で転機となったのが現在の韓国留学である。やはり現在の日本において「韓国」に関連するコンテンツは非常に強く、視聴を集めやすい。そして多くのYouTuberは韓国と題名につけて関連する動画を投稿している。

この「韓国留学」「韓国文化」に全力で肖った結果、コンテンツ重視に走り、気づけば韓国量産型企画を作り出す、ただの動画投稿者に私は成り下がっていたのである。

そして第二のモチベーションである「関係性」が現在自分が行なっている活動で既にで満たされてしまうともうなかなか後には引けない。登録者がモクモクと増える充実感、そして日に日に増えるコメント、そして一定の水準をクリアすればいずれはお金も入ってくる・・・なんていう世界に入ってしまえば自分が所詮中級レベルのペーペーだったなんて忘れてしまうんですよ。

しかしさっき、ふと思ったんです。
楽しくないと。

自分が韓国の辛いラーメンにトッポギとかチーズとかぶっこんで淡々と食べてる動画なんてきっとハッシュタグとかつければ見てくれるんだろうけど、これ全然私が世界に伝えたいことじゃないじゃん。って。

美味しいかって言われたらママの手料理の方が美味しいし。

そんなこんなで気づいてしまったわけです。私の「自律性」は「関係性」そして「有能性」に呑まれ消え失せてしまったのだと。

豆粒みたいな結論からいうと、
音楽から、細部のテロップから、編集やメッセージ、企画までこだわり抜いて自分の伝えいたこの思い「どうか私の世界観、思い、気持ち、信念、めっちゃ工夫したからお願い、世界に伝わってくれ!!!!」という信念をもちアップロードしている人たちはどうか日本の量産型コンテンツ社会に埋もれてしまわないで欲しい。

そして視聴者の皆さんも一生懸命発信しようとしてる卵たちの価値観に少しでも気づいたのであればどうかそれを世界に広めるお手伝いをして欲しい。


こんな風に底辺発信者の私はふと思ったのです。

私は価値観寄稿者でありたい。と。



P.S.

ラーメン食べてる動画は編集して、書き出したはいいけど、世界に出すべきかは迷います。笑



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