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内向的な私へ

私は人見知りをする。内気で消極的だし、友達も多くない。だけど、自分のことは割と好き。高校1年の時にIntroverted PersonについてのTED Talksを見て、自分が内向的人間だって知ると同時に、内向的であることの良さに気づいたから。

それまで、外向的であることが良いことで、内向的であることはだめなことだと思っていた。例えば趣味が読書ですって言うよりも外でドッヂボールをしている方が良いことだと思っていた。

だけど違った。そのTED Talksでは、内向的であることがポジティブに表現されていた。協調性があるとか、自分の意見を持っているとか、あとは意外にリーダーに向いているとか。それは私にとって、とても新鮮だった。

”自分を変えたい”

今まで何度もそう思った。”生まれ変わりたい”という気持ちに近かったかもしれない。内向的な要素を無くして、外向的な人になりたかった。だけど、内向的って悪くないじゃん、って思ってからは、内向的人間の持つ悪いところをカバーしながら、良いところを伸ばしていこう、と思うようになった。

自分で思う内向的人間の良いところは、よく考えるところ。悪いところも、よく考えるところ。考えすぎて空回りしたり、苦しくなったりするから。人見知りしたり、意見を言えないのも、他人に気を使いすぎて、傷つけてしまうぐらいなら距離を置きたいと思うからだと思う。ヤマアラシのジレンマみたいに。

自分の個性であるが故に、内向性の悪いところを直していくなんてことは簡単ではない。自分が心の奥底で内向的人間を好きでいる場合は特に。結局このままで良くない?と思ってしまう。

だけど、社会で生きているとやっぱり内向的人間のネガティブな面も時々突きつけられて、改善しなきゃ、と思わせられる。

一気に変わることは無理だけど、少しずつ、小さな勇気を積み重ねていきたい。そうすればいつか、もっとポジティブに内向性を語ることが出来ると思うから。

ちなみに今日、少し勇気を出してグループディスカッションで発言してみた。なんてことない意見だったけど、グループのメンバーは目を合わせて話を聞いてくれた。相槌を打つだけじゃなく、発言して議論に参加するって楽しいことなんだなと思った。色んな人と意見を共有していると、当たり前だけど色んな意見があって、結局どれも正しい。

そんな正しい違いを共有するために、内向的人間は一肌脱がなきゃいけないのかなと思う。上手く言えなくてもいい。伝わらなくてもいい。発言の一割が伝われば言語コミュニケーションは十分成立する。

勇気、誠実、謙虚。これは私が大切にしている言葉。この三つを軸にして、信頼が生まれる。そこに外向的とか、内向的とかは関係なくて、人間として信頼できるかどうかの問題だ。私は人間として信頼される人になりたい。そして、内向的、外向的を超えて人と信頼し合いたい。だから、私は変わりたい。内向的なままで、信頼される自分に。

#エッセイ #自己紹介 #内向的 #大学生

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