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スラスラ書ける派、書けない派、じっくり派

自分がやっているブログ記事、note記事など書き物というモノがいろいろある。

記事だけでなく、人に読んでもらう書き物はいろいろコロがっている。
・文集(=小さなコミュニティのね!)の執筆依頼
・企画書、提案書
・お手紙(出すことは減ったが!)
などなど。

この中でも私がスラスラと書けるのは、企画書・提案書系かな。
自分の思いがあって、それを上司なり相手なりに伝えるために書くから、エネルギーが上がるからだと思う。
あとは、理路整然と書けばいいという点も書きやすい理由かもしれない。

文集の執筆依頼でも「テーマはご自由でかまいません」と言われると、書き出しにくい。何をテーマに書けばいいかな?このグループの文集だから、一応関連することを書くべきかしら?とか考えてしまう。
テーマをください、って思う。
逆にテーマ有りだと、書きやすいのだが。

今朝、実は手紙を書いていて。
昨夜、友人から長文のLineをいただいて、これは一種、友人からの手紙だと感じた。(いろんな想いが詰まっていたので)
で、今朝そのお返事をLINEで書いていて、こちらも彼女の内容に対して想いがあったもんだから、スラスラと書けた。
お悩みに対して、ズバッとした解決策なんてないのだけれど、文章で想いのやり取りをするということ自体が、一つの解決なんだと思う。

で、ブログ記事とnote記事である。


これらは全世界に「公開」しているという特性がある。
(公開はされてるけど読まれているとは限らないという特性がある)

私は、ブログ記事は仕事目的で書いていて、こういう人に向けて書く、という設定を自分で持ってはいる。
読者がいるがゆえに、少しかしこまってしまう部分、これってどう思われるかな?と気にしてしまう部分、間違ってるかな?私と、正しさを意識する部分があって、筆が進まない。

「正直、読者なんてそんなにいないのだよ、本川さん。」
という言葉が降ってくる。
「あはは、本当そうだね。」と一瞬気持ちが軽くなる。

そしてnote記事。
これ、気軽に始めたものだから、仕事目的とか目的が決まっていない。
日記もあり、独り言もあり、読書記録、映画記録とか付けようかな、くらいの気持ち。


いくつか書いているものが、未完のまま、upできていない。
下書き→完成 までが、意外と腰が重い?私の場合。
誰かを気にしてとかではないのだが。
書ききるスタミナが切れる感じ。

脳みその考えを、文章にするまではいいのだけど、最後まで書くということにスタミナがいるなあと感じる今日この頃。(ブログ、note)

文章を書く、ということ自体はクリエイティブな作業なのでしょうか。
例えば、小説、脚本、論文というとクリエイティブな感じが十分漂うのだけど。

今日書いている駄文?とか。日記とか。
せやけれど、クリエイティブに分類してもよかろうか。

◆文章を書くことの気軽さを感じれるのがこの記事

 気が楽になるーー!楽しそう!

◆スタミナ使って仕上げきることの大切さを感じるのはこの話

キンコン西野さんの考えかた。気は楽にならないけど、グッと心に刺さる。

両極端だけど、私にはどちらもしっくりくる。

そういうわけで(?)
「スラスラ書ける派、書けない派、じっくり派」について、当駄文をスラスラ書いてしまいましたとさ。

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