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【企画小説】moonlight

見慣れたはずの商店街。街から灯りが消えたあとのその場所には、静けさと冷たい空気だけが広がっていた。アーケードを抜けてすぐ、月明かりに導かれるようにして右手に進むと、不自然に光る青色のネオンが目をひいた。

arcana -アルカナ-

ジジジッと、時に不気味な音を立てながら光を放つ看板の側には、店の入り口へと続く階段が設けられている。こんな店があっただろうか。一瞬そんな考えが頭をよぎったが、次の瞬間、里香は吸い寄せられるようにその階段を下っていた。

コツン、コツン__と、靴の音がやけに大きく響き渡る。

20段にも満たない階段を降りると、"open"の看板の下がった大きな扉が姿を現した。里香が扉に触れようとした瞬間、突然扉は内側から開かれ、人懐っこい笑顔を向ける男性が姿を現す。

「いらっしゃいませ」

里香は男性に促されるまま、ゆっくりと店に足を踏み入れた。こじんまりとした店内には、6人掛けのカウンターと、ピアノが1台。他にお客さんはいないようだった。

「シャンディー・ガフをお願いします」

「かしこまりました」

低くて心地の良い声。先程の男性とは違い、彼はキリリとした顔立ちで落ち着いた雰囲気を纏っていた。

突然、里香の背後で、ターン__とピアノの音が響き渡った。後ろを振り返れば、先ほど里香を出迎えた男性が、ドビュッシーの「月の光」を美しく奏でている。

それから、ダーン、とピアノが力強く低音を奏でたとき、もうひとりの男性が里香に声を掛けた。

「お待たせいたしました。シャンディー・ガフです」

「ありがとう。素敵なお店ですね」

里香はそれだけ言うと、グラスにそっと口を近づける。美味しい…という言葉が口から出そうになったその瞬間、里香は自分の目から何か温かいものが溢れ出ていることに気が付いた。

「この曲が終わるまで、貴方の話を聞かせてください。シャンディー・ガフのカクテル言葉は、打ち明け話。貴方は、心の中に打ち明けたい何かを閉じ込めているのではありませんか?」

頬を伝う涙を拭いながら、里香は小さく頷いた。

「私、少し自信を無くしてしまって…」と、里香は見ず知らず男性に、心の奥にある気持ちの全て打ち明けた。悩みや不安。特に答えを求めているわけではなくて、ただ溢れ出る素直な気持ちを口にする。

「貴方はもう、大丈夫ですよ。月明かりがここに導いたように、進むべき道は分かっているはずです」

ポロン、とピアノが最後の音を奏でたとき、男性はそう言って優しく微笑んだ。それから数秒、ピアノから音が消えていくのに合わせるように、里香は急な眠気のようなものに襲われる。

♦︎

__里香は月明かりが照らす道をゆっくりと歩いていた。不思議と心は晴れやかで、温かいもので満たされている。

「私なら大丈夫」

里香はポツリとそう呟くと、冷え切った手をポケットに入れる。静かな街のどこかから、微かにピアノの音色が聴こえた気がした。

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