ゴミ台

今日は元気だった。元気である、ということがポジティブなこととあまり思えない状態であるので、今日は能天気だった、とか書くべきかもしれない。今日は能天気だった。ご飯は食べれたし、人ともわりあいまともに会話ができた。

能天気でないと全てが嫌で、全てに葛藤が生じ、何もできない。能天気だと葛藤はないので、なんとでも行動できる。千葉雅也の言う「頭空っぽ性」というやつだなぁ。でないと行動できない、という。とはいえ行動できない状態が悪いわけではないと思う。止まることだって時には。

いや、良いことを言った風だが、本当はそれが良いと思っているのでは全くない。止まりたいと思って止まっているのではなく、本当は行動したいのだけど、行動したいように行動できないから、止まっているほうがマシだと思っているのだった。そして、行動したくないように行動してしまっているから、今の俺は元気なのでなく能天気で、愚かで、バカみたいなのだ。

昼飯は、外へ買いに行った。もう昼をだいぶ過ぎた時間だったが。コンビニに買いに家を出て、向かいのおじいさんが外に出ていた。野菜を売るおじいさんで、自転車に野菜を積んでいた。挨拶したら返してくれたが、仕事をしながらこちらを見向きもしないでこんにちはと言った。微塵もそんな調子ではなかったけれど、嫌われているのかなと少し感じてしまった。

でも、それもあまり気にならないくらいには今日は能天気で、後ろで手を組んで歩いたが、歩みの速度も、歩みの力強さも、日光に覚える感情も何もかもが違った。コンビニではパスタを買った。最近の調子からすると「買えた」と書くべきかもしれないので、コンビニではパスタを買えた。そしてコーラ。コンビニで昼飯にパスタとコーラを買ったのでやはり今日の俺はバカだ。

パスタは小松菜と豚肉の醤油パスタみたいなのだったと思う。パスタと書いてあったので和風パスタを期待して買ったけど、かなり焼きそばみたいだった。その差分は麺の食感にあって、麺がざらりとしていたので焼きそばだと思った。パスタと言うからにはつるつるしていてほしい。

パスタの弁当がらをゴミ箱に捨てようとした。パスタの弁当がらがそのまま入るような大きさのゴミ箱ではないけれど、様々な怠惰の結果として、いまゴミ箱の上にはレターパックの厚紙が乗っていて、その上に使ったティッシュやらいらないレシートやらをどんどん置いていく形式で、ゴミ箱というよりゴミ台のようになっていた。当初は弁当がらをゴミ台に置いたのだけど、どう考えてもそれは良くない感じがしたので、結局は別のちゃんとした大きいゴミ袋に捨てることにして部屋を出た。

間違って二冊買ってしまった『訂正可能性の哲学』の貰い手を探して、幸いにも見つかったので、どこかのタイミングで渡す約束をする。そしてほどほどに仕事をした。その後、恐ろしい連絡が来て、それに返事をしたりした。なんというかたまに思うが、自分はよく期待される。期待させるのが上手いのかもしれないし、気を持たせるような動き方を無意識にしてしまうのかもしれない。本当は別に大したことは何もできないのに。それで後で嫌になって逃げ出すようなことを繰り返している。

こういう振る舞いは三男ムーブだと思う。そのように振る舞ってしまうのを「弟身体」とも呼んでいる。もちろん半ばギャグで。そうではない弟だっているだろう。でも、自分はそれが三男で弟だからだと思っている節がある。競争相手がいる中で育って、自分はそれに勝ちたいと思って生きてきたんじゃないだろうか。兄よりも注目を引こうとしてしまい、みんなまんまと構ってくれるのだ。

でも、本当はそうではなくて、本当に欲しいのは構ってもらうことではなくて、兄にも勝ちたいと思っているのではなく、ただ兄と対等でありたくて、対等に兄と遊びたかっただけなのだ。だから親や周りに認めてもらうことには何の意味もなくて、兄と遊ぶ時間が一番楽しかった。今でもそうで兄でなくても良くて、対等に遊べる相手が欲しいんだと、ただそれだけを思って生きてきたような気がする。

でも、そんな人はなかなかいない。だから一人でずっと遊びながら悲しくて寂しい。自分にかけられる期待を怖くて嫌だと思いながらも、へらへらしながら受け止める処世術で生きている。ずっと一人なのが怖い。ずっと期待されるのが怖い。期待させてしまうのをやめたいが、それはそれでつまらない。楽しく遊ぶためには観客が必要で、観客がいないと意味がない。だから集客だけはして、でも遊び相手がいないから、必死の一人相撲でお茶にごし、というわけ。

最近は鬱でずっとゲームばかりしていて、昨日「ARMORED CORE VI」の三周目もクリアしてしまった。もう良いかなという感じで、流石にゲームばかりも退屈なので本でも読もうと『訂正可能性の哲学』を第二章まで読んだ。他にも読みたくて買った小説とかがたくさんあるが、読むことをする体力がまだないのかもしれない、本を読みたいと思う気持ちに疲れてしまうので、そろそろとしか読めない。一昨日から改めて付け始めた日記を書いて、風呂だけはあと入りたい。

明日仕事をしたら来週は平日五日間まるまる休みを取っていて、つまり九連休で、でも鬱なのでさあ何ができるかなという感じ。何もしないのも退屈、何かする元気はなく、なんとか自分を満足させようとできるギリギリの遊びで遊ぶ。無駄に観客がいないだけマシだが、来週だって別に俺は一人なんだろう、それはやっぱり。一体どうなるのだろう。