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死にたい気持ちと全力で向き合う

ずっと信頼関係を築いてきた仲間に、死にたいと言っている人がいます。

たぶんその気持ちを打ち明けているのはわたしにだけで、ほかの人は知りません。

ご家族への遺言も頼まれています。

「この日までに」という期限も決めてしまっている状態で、しかもそれはそんなに遠い日ではありません。

こういうときに一番やらないように気をつけているのは、こちらの気持ちを押しつけないことです。

死んでほしくないとか、なんでそんなこと言うのとか、生きていればいいことあるよとか。

あとジャッジや比較をしないことも。

みんなつらいんだとか、あなただけ大変なんじゃないとか、それは甘えてるとか。

たとえ世の中にもっと不遇な環境にいる人がたくさんいたとしても、どれだけ生きることに絶望しているかは本人しかわからないものです。

つらさに大小はないですよね。

わたしにも死にたいと思ったことは何度もあります。

本当に危なかったことも一度ではありません。

でも、そのつらさを知っているからといって、今、目の前にいる人の感じている無力感をわかるとか、乗り越えられるとか、やっぱり簡単には言えないものだなと思っています。

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こういうときはひたすら聴くことにしています。

「聞く」ではなく「聴く」です。

どこにも出せない気持ちの受け皿になります。

誰にも耳を傾けてもらえない心の叫びを受け止めます。

わたしに死にたいとわざわざ言い、その一方で、せめて未来を担う子どもたちを大人が不幸にしないようにとつづった、匿名のツイッターのアカウントを伝える。

それは死にたいということばの裏側に「本当は生きたい、誰かの力になりたい」という気持ちも同時に強くあると感じます。

とはいえ、このままでは行き詰まるのは見えています。

いくら聴くからといって、依存される関係を作ってしまっては解決から遠のくし、今後の相手のためになりません。

解決するとは、「死ぬことを思いとどまり、自分の力を輝かせて、人に喜ばれて生きていくこと」

これがわたしから見える相手の本当の願いです。

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ここに短時間でたどりつくのは簡単ではないかもしれません。

でも、手をこまねくつもりもありません。

自分ができることとできないことの範囲を見極め、できることを全力でやる。

できないことはほかの仲間に、理由は言えないけど力を貸してほしいとお願いしました。

返ってきた返事は「力を貸すのに理由はいらない」でした。

泣けました。

このnoteは、今まで学んできたことや与えてもらったことをペイフォワードして、読んでくださる誰かのためになりたいと思って始めました。

それなのに一番身近にいる人のために何もできなかったら、「読んでくださる誰かの」なんて、ただの飾りです。

たくさんの仲間の力を借りながら、やり遂げます。

解決まで、必ず。

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悩みを抱えている人やもっと自分らしく生きたい人が、毎日1センチでもいいから理想に向かって進めるよう、何かお役に立てたら嬉しいです。