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寂しさや悲しさ、むなしさを誰かで埋めたくなったら

いつのころからか、相談事や悩み、ただただ話を聴いてほしいと言われる機会がとても多くなりました。


中には社会的地位や立場のある人が、「確かにこれは他で出すことはできないだろうな」というような”人間の弱さ”をさらすこともあり、
どんなに強そうに、しっかりして見える人でも、人はひとりでは生きていけないということを痛感します。


そのほぼすべてが、人間関係や生きがいに端を発する悩みです。


ちょっと乱暴な言い方をしてしまうと、
みんな寂しいんです。


家族に理解してもらえない。


奥さんと分かり合えない。


理想としていた生活と違う。


人生を変えたい、
でも立場や責任があって変えられない。


そこにはいつも、人生という広野の陰で、光のほうを目を細めて眺めているような、寂しさや悲しさ、むなしさが漂っています。


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本当は日の当たるほうへ行きたいのに、責任や世間体、立場があってできない。


できないけど、変えたいと思う気持ちはある。


結局変えたいの?変えたくないの?という、自分でもわからなくなってしまった矛盾を抱えながら、
悲しさ、寂しさ、むなしさを誰かに埋めてほしくなってしまうのです。


筋が通らないかもしれない、でも誰かにわかってほしい、認めてほしいという気持ちを受け入れる場所がたまたまここにあって、安心して話してくれるのかもしれません。


安心できる場所は、誰にとっても必要です。


寂しさや悲しさ、むなしさを誰かで埋めたくなる気持ちも重々わかりますし、誰かでないと埋められないと感じてしまうのも無理はありません。


でも…。


本当に本当に相談者の幸せを考えるなら、やっぱりその人自身で「幸せの自家発電」ができるようになることが一番だと思っています。


よく言われる「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えなさい」というのと同じで、悩みを聴いて「大丈夫だよ」と励まして、いっとき寂しさを埋めてあげても本質的には何も進まないんです。


どんな人生にしたくて、何が本当に望むことで、どうやったらそこに近づけるのかということを、聴きながら引き出して一緒に描く。


理想を描いて現実との間に痛みが生じるなら、そこに丁寧に寄り添う。


そして一つ一つ、どんな行動を起こせばいいのかというところに着地できれば、人はちゃんと幸せの自家発電ができるようになっていきます。


きっとそのころには、誰かで寂しさ悲しさ、むなしさを無理に埋めようとしなくても、充実した人生のために何をすべきか自分で見つけられるはずです。


もっと幸せな道があるよ!と、必死に気づかせようとしてくれているのが「寂しさ」。


そっと手を差し出して、ことばにならない気持ちを優しくすくいあげること。


それが実は、私の使命なのではないかと思うこのごろです。

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悩みを抱えている人やもっと自分らしく生きたい人が、毎日1センチでもいいから理想に向かって進めるよう、何かお役に立てたら嬉しいです。