見出し画像

修羅の果てには、たこ焼き器。

noteが募集している投稿企画「 #今年のベストショット 」。

一年の振り返りを兼ねて、すこし書いてみます。


夏ごろ、生まれて初めて「修羅場」に臨みました。

「修羅場」ってわりとよく耳にするコトバですが、辞書で引くと【阿修羅(あしゅら)と帝釈天(たいしゃくてん)とが戦う場所】だったり【血みどろの激しい戦いや争いの行われる場所】と書かれています。

できごとの詳細を語らずとも、わたしの身に相当な事態が降りかかったであろうことは想像してもらえるのではないでしょうか。

「修羅場」といえば大体「くぐり抜ける」もので、おそらくそれが正攻法として広く知られていると思うのですが、修羅場初心者かつイベントごとに燃えるタイプのわたしは「最大限に盛り上げる」という選択をしてしまいました。


身をもって体験した今だから言えます。

絶対にやってはいけません。


修羅場を最大限に盛り上げた結果、わたしは心身ともに疲れ果て、人の形をしたなにかのまま、不の感情に支配されるだけの日々に身を落としてしまいました。

けれどある意味、そこまで落ちておいてよかったんじゃないかと今では思ったりもします。

というのも、カメラとの出会いがあったからです。

「カメラを買ったら人生が変わる」だったり「目の前にあるドアノブを撮ってもたのしい」というような噂を小耳に挟んで、それはもう藁にも縋る思いで買いました。


カメラが届いて最初に撮った写真がこちらです。


ご覧ください。
この、活きのよさそうなたこ焼き器。

なにごとにおいても「初めて」は「記念すべきもの」だと思い込んでいましたが、ここまで記念すべきでない初めてもめずらしいです。

この写真を撮った直後、わくわくしながらカメラのモニターを確認してとてつもない後悔におそわれました。

わたしには写真を撮るセンスがない。
なんて背伸びしてしまったんだろう、って。


けれども、わたしはあえてこの写真をTwitterに投稿しました。

修羅場でズタボロになったし、写真を撮ればヘタだし、うまくいかないことだらけ。せめて、だれかに笑ってほしい。自分の失敗をネタにできるのは自分しかいない。

あのときはもう、ヤケでした。たぶん。

カメラが届いて、ちょうど目の前に前夜のたこ焼きパーティーで使ったたこ焼き器があったから撮った。きっかけはそれだけのことです。

だけど自分でもわけがわからないまま、なにかに取り憑かれたかのように、たこ焼き器の写真ばかり撮っては投稿していきました。


どこかのだれかに、笑ってもらいたい。
爆笑じゃなくていい。
失笑でも苦笑でも、嘲笑だっていい。

わけのわからない場所で無意味な呼吸を繰り返して、ずっと「0」のまま存在し続けるくらいなら、たとえ無駄だと笑われる「1」でも、なにも生み出さないよりはずっとマシ。

そんな思いを抱えながら、シャッターを切ってはツイート。シャッターを切ってはツイート。シャッターを切ってはツイート……。


そうこうしているうちに、自分がすこしずつ変わっていっている手応えを得られるようになりました。

次はどんな写真を撮ろう? こうしたらおもしろいんじゃないか? 今度あそこに出かけるから、たこ焼き器を連れて行こう。キャプションはどう書こう? 今日観た映画、たこ焼き器で再現したらだれかが笑ってくれるかな……。

はたから見れば、くだらないことを考え続けているおかしな人だったと思います。だけど、たとえくだらないことでも、たのしいことを考えられるようになった自分がうれしくて。

修羅場に立たされていたころより前向きで、身軽で、自由になれている。そんな実感がたまらなくしあわせだったんです。

ほかにも、たこ焼き器を撮り続けていなかったら巡り会えなかったであろう素敵なご縁にもたくさん恵まれました。


ふと気がつけば、だれかに笑ってもらいたくてたこ焼き器写真の投稿を始めたのに、結局はわたしが救われていたんです。


「カメラを買ったら人生が変わる」って、本当にその通りだと思います。

そりゃ、カメラを手に入れたって写真を撮らなければ当然なにも起こりません。

だけどいざ写真を撮ろうとします。

そうすると必然的に、「なにを撮る?」「どこで撮る?」「時間帯は?」「どんな構図で? 」というようなことを考えたり、撮った写真を確認して「描いてた感じと違うなあ…」「うわ、ブレてるー!」「く、暗すぎてなにが写ってるかさっぱりだ…」など、いろいろと思い通りにいかないことが起きて試行錯誤するわけです。

そうした一連のジタバタを何度も繰り返していくと、手元にカメラがある状態じゃないときでも、目の前の光景に対してどうアプローチしたらおもしろいだろう? と考える習慣がだんだん身についてきます。

そうすると、写真はあくまで最終的な産物であって、いかにわたしらしい目線でものごとを捉えられるかのほうが醍醐味になってくるんです。

いや、ド素人がカッコつけてごめんなさい。
たこ焼き器の写真が9割のくせに長々とすみません。

わたしがこうして書いてきた「発見」も、おそらくカメラが発明されたときからずっと人々が体験してきていることだと思います。だけどその本当の意味は自分で実際に体験してみて初めてわかりました。それが伝えたくて、つい。


カメラに続いて文章も稚拙な自分にうんざりしますが、とにもかくにも、修羅場明けのわたしに素敵な日々をもたらしてくださったみなさまには、たいへん感謝しています。

本当にありがとうございました。

お世話になったみなさまへ、感謝の気持ちを込めてこの言葉を贈ります。





“たこ焼きを焼かないかぎり、たこ焼き器は重くてやたらと場所をとる鉄の塊”



……そういえばこれ、 #今年のベストショット について書いていたはずなのに、写真を貼りすぎてしまいました。どうしよう。


わたしにとっては全部、ベストショットなんだけどなあ。


noteをお読みくださり、ありがとうございます。 いただいたサポートをもとに新たな体験をして、またそれを文章にて還元させていただきます。 お心遣いだけでもう、じゅうぶんうれしいです。