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「郷に入ったら、郷に従う」

オーストラリアに留学していた頃、裸足で寮内・大学を歩く人をみて「わたしも裸足で歩いてみたい」と思ったことがあった。


日本では、靴を履くことが当たり前で公共の場で裸足の人なんてみることがない。

でも、「郷に入ったら、郷に従う」という言葉もあるし、なんとなく試してみたくなった。

でも理想と現実は違って、わたしはどうやら裸足で歩くことに慣れていないらしかった。


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ヒールから裸足へ

ある日、なんとなくその日の気分でヒールを履いて大学に行ったら、履き慣れないヒールで靴擦れを起こした。

「裸足で歩いてみよう!」

と思い、靴を脱いだらとても靴の圧迫感から解放されてとても気持ちが良かった。



でも、そんな気持ち良さも束の間、石畳の上に立つことは容易でも、石畳の上を歩くことは困難だった。何にせよ、痛かったのだ。

ただ、裸足で歩いてしまった以上靴に履き替えることはできなかった。

そのまま、靴擦れをして痛いなと思いながらヒールを履いて歩いていた方が早かったんじゃないかと思うほどの、遅さで裸足で大学近くの寮まで戻った。


スーパーの床

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実は、小学生の頃ホームステイで行ったニュージーランドでも裸足の人がたくさんいた。

その頃から、スーパーを裸足で歩くことに少し憧れがあった。


そんなある日、スーパーを裸足で歩く機会が訪れた。

とても冷たくて、外で夏のような日差しを浴びて熱っていたわたしの身体は一瞬にして冷えた。(この時6月末でオーストラリアの季節は冬であったが、旅で北上しており赤道近くにいたため夏のように暑かった)


でも気持ちよさから一転、スーパーの床はあまり気持ちのいいものではなかった。

冷たくて、表面もつるつるしていて歩きやすいけれど、チリやホコリのせいで足裏で床を掃除している気分だった。


石畳は痛すぎたけど、つるつるのスーパーの床なら気持ちいいという発想は間違いだった。


石の上、砂利の上

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また別の日に、石と砂利の上を裸足で歩く機会があった。

そばにいた友人はいつものように、裸足でスタスタと歩いていく。

わたしも同じように歩ける!と思い裸足になってみたら、石の上は歩きやすかった。石畳よりも、歩きやすかった。

でも、砂利は違ってとても痛かった。


痛そうに歩くわたしをみて友人は、

「わたしは小さい頃から裸足で歩く習慣があったから、慣れているのよ」

と一言つぶやいた。


慣れ問題

裸足で歩いていた友人はわたしと同じく留学に来ていたフランス国籍の友人で、彼女は幼少期から裸足で歩く機会が多かったのだとか。

オーストラリアでも靴を履いている人はいるけど、裸足で歩いていい環境というのがあるんだなという印象を受けた。


アフリカ大陸の国でも、裸足で歩いている様子をよくテレビなんかでみたりするけれど、きっと彼らも裸足に慣れているから険しい道でも靴を履いているかのように歩けるんだなと知った。


裸足になってみて

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裸足はとても気持ちが良かった。

裸足でビーチサンダルを履いている時とはまた違う感覚がある。

それは、何も履いていないという爽快感。圧迫感のなさ。これはとても清々しかった。


日本でも同じようにしたいなと思ったことがあったけど、玄関で靴を脱いで部屋に上がる日本文化を考えると、毎回足の裏を拭く動作が生じる。


オーストラリアでは、玄関で靴を脱がないスタイルもあるので、これも文化の違いなんだなということにも気がついた。


2021.03.05
ふく

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