あじるの性別を設定しなかった理由
あじるに性別がない理由
通っていた小学校はできたばかりのインターナショナルスクールということもあり、全校生徒数が少なかった。その中でも女の子の割合はとても低く、わたしと同い年は一人もいなかった。
小学校に入学したばかりの頃、ある男の子に校庭中を追いかけられた。
生憎、誰もいない校庭で、窮地まで追い込まれたわたしは結局「スカートめくり」というものを経験する。
ショックで、お気に入りだったワンピースを着ることはこの日を境になくなり、長い間わたしは「スカート」というものが履けなくなった。
頑なに、ズボンのついた巻きスカートを求め始めたのはこの頃だと記憶している。
休み時間は遊びに入れてもらえず、校庭の端っこに座っていたことも多かった。
授業中、先生の話を聞き逃し「教えて」と周りの男の子に聞くと「お前には教えない」が始まり、空手道着の下に白いシャツを着ると「お前だけずるいぞ」が始まった。
「女だから」と女であることを一括りにされ、仲間外れや意地悪に遭い、
自分に「女だからできない」というレッテルを貼られ......
「女じゃなかったらよかったのに」と思ったことが何度もある。
なぜ、世界は「男」と「女」というカテゴリーに分けなければならないのだろうか。
なぜ、性別での判断を優先し、「個人」としてのわたしをみてくれないのだろうか。
なぜ、「女だからできない」「女だからできて当たり前」という言葉をかけられなくてはいけないのだろうか。
それらの問いに対して、わたしが出した答えは、
はじめから性別を判断できる材料をなくすことだった。
あじるが青やピンクではなく、黄色のシャツを着ていること。
ズボンやスカートではなく、おーばーおーるを履いていること。
ヒールではなく、スニーカーでもない。
裸足や黒色ブーツにしたのもきっと無意識のうちにジェンダーレスを意識していたからなのだと思う。
そう、わたしは無意識のうちにあじるをジェンダーレスにしていたのだ。
実はあじるの名前はLisa(りさ)からきている。
lisA
を反対から読むと、Azilになるのだ。
Azilはわたしの分身で、わたしの代わりとなってジェンダーレスを訴えてくれる存在にしたい。
世界が女や男ではなく、多種多様を認め「個人」を尊重しあえる場所になりますように。
20.10.04
ふく
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