今朝、初めて魚を捌いた
朝市でノドグロを手に入れた。
一人で食べるし、小さい子をいただいた。
「今日は魚の種類が多いですね!たくさん獲れたんですか?」と尋ねると
「そうだね、昨日、一昨日あたりから天気がよくて、昨日なんかは夕方まで出てみたいだよ」と答えてくれるさかなやさんは
「今日はノドグロあたりいいと思うよ。高級魚だけど、たくさん入ったから安いよ」と続けてくれた。
人生で「魚を捌く」という形で魚と向き合ったことは一度もない。
おすすめの食べ方を教えてもらって、「がんばってみて!」と応援をもらって帰ってきた。
いざ、命と向き合う
魚の捌き方は動画でさらっと学習した。
静かな部屋。朝日が入り込む台所。
いざ、まな板の上に魚をあげた時、スポットライトの当たる魚を目の前にして、これから命をいただくという気持ちがより一層強まった。
鱗をとる時は魚を裸にしている気分だった。
「ごめんね、綺麗にとるからね。ちょっと待ってね、、、」
と心の中で語りかけた。
手の感触も大事にして、鱗があるところと取れたところの違いを確かめる。
動画で教わった、尻尾のところも入念に。
次に三枚おろし
身に包丁の刃を入れるとなると、すごく緊張した。
動画でみた通りに内臓を取り出せるのか不安もあった。
私に魚を捌けるのだろうか......
教わった通り、頭の部分を切る。
包丁の入れ方と刃先の鋭さが至らなかったのか、少し苦戦した。
「痛かっただろうか......」
もう息はしていないことはわかっていても、それでも痛いかもしれないと思った。
「ごめんね、痛いよね、本当は痛くないように切りたいんだ」
頭を「切り落とす」ってこういうことなんだ。と初めて体験した。言葉では表現しきれない感覚があった。
「綺麗に切ってあげられなくてごめんね」
「もっと綺麗に切ってあげたかった」
なんとか内臓をとって、三枚おろしができた。
頭の部分を切った後は思っていた以上に簡単だった。
身も柔らかくて、ふわふわしていた。
洗う時も、優しく丁寧に......
せっかく命をいただくのだから、無駄にすることなくいただきたい。
頭の部分と、三枚におろしたときの骨の部分で出汁をとることにした。
ほんの少しだけ、臭みを消すために白ネギを入れた。
せっかくの出汁を邪魔しないようにシンプルにネギと豆腐のお味噌汁にした。
さかなやさんで教えてもらった通り、唐揚げにした。(揚げ焼き)
ご飯も炊いて、ノドグロを堪能する朝ごはんが完成した。
脂が乗っていて、喉越しもよく、火を通してもふわふわのままだった。
理想が叶った瞬間
ビーガンを意識していた頃、お肉や魚を食べるのなら切り身や一部ではなく「一つの命をいただく」がしたいと思っていた。
お肉は難しいから簡単に諦めがついた。
魚は一つの命をいただくことは可能だけど、魚を1匹捌けないのなら自分には食べる資格なんてない。と思っていた。
でも今日は、切り身ではなく「一つの命をいただく」が叶った。
私はずっと、こういういただき方がしたかったんだ......
と心の中で思いながら調理した。
感じたこと
すごく嬉しかった。
初めて魚を捌いたこと、魚の種類ごとに捌き方があるということを知ったこと。ノドグロを初めて食べたこと。
初めてノドグロの中が黒いことを自分の目で確かめられたこと。
初めて一つの命をいただくことができたこと。
初めてづくしだったけど、全て嬉しかった。
ごめんね〜裸にしてしまって。
ごめんね〜綺麗に切ってあげられなくて。
美味しく食べるからね。
なんて語りかけている自分がいたことにも驚いた。
もっと練習をして、綺麗に切ってあげられるようになったら、どんな語りかけをしている自分がいるのだろうか。
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魚を捌くところから始めた朝食の準備は、ずっと命と向き合えていた気がする。集中していたし、捌く「作業」ではなかった。
最後に
知らない世界はまだまだあるし、未経験もたくさんある。
だから、これからも一つずつ「初めて記念日」をつくりたい。
魚を自分で捌けたという体験は、私の自信になった。
また市場から魚を迎え入れようと思う。
ノドグロちゃん、初めての体験をありがとう。
ごちそうさまでした。
09.12.20
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