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近頃のハッシュタグは声高だ|6/2〜6/8

緊急事態宣言のなかで始めた日々の記録。火曜日から始まる1週間。ステイホームのリモートワーク。仕事と生活のあわい。言えることもあれば言えないこともある。ほぼ1か月前の出来事を振り返ります。

2020年6月2日(火) 自宅

朝のNHKニュースではマスク着用時の熱中症対策が話題になっている。
小金井アートフル・アクション!の今年度の動きについてZoomでミーティング。プログラムごとに順番に状況共有をしていく。シニア世代のメンバーが映像手法を学び、制作を行う「えいちゃんくらぶ」(映像メモリーちゃんぽんくらぶ)はオンライン化。ミーティング、ゲストを招いた学びのプログラム、制作した映像作品の共有をオンラインで行う。
けれど、すべてを、たとえばZoomを使ってライブで行うのは、参加するほうもしんどいのではないだろうか。一部は映像配信にして、それぞれの時間で見れるようにする必要もありそう。オンラインでライブのコミュニケーションは疲れる。連続するプログラムのオンライン化にはライブだけでなく、収録映像の配信を組み合わせるのも大事になるのだろう。高齢の人たちが参加するプログラムだから見えてきた気づき。その対処法は年代を問わない。
「まちはみんなのミュージアム」から話は流れて、(個々のプログラムに留まらない)根本的な考え方の議論へ。鬼、妖怪、アマビエ、花火、石垣の石組み。迷信や前近代(と言われる)のものを、どう議論していけばいいのか。あっちこっちに話題は飛んでいるようで実践の基層をかたちづくるような何かが通底している。この現場の会話には、いつも小さな哲学がある。
東京の新規感染者数が30人を超えた。「東京アラート」が発動するというニュースが流れている。レインボーブリッジが赤く光る日は近い。

2020年6月3日(水) 自宅

朝から暑い。日中も暑い。夜も、まだ暑い。インスタグラムを開くと#blackouttuesdayのハッシュタグと真っ黒な画面が並ぶ。5月25日のジョージ・フロイドの死から始まった一連の運動のひとつ。革命歌みたいだと思う。人が集まって動くときにうたう歌。同じ歌をうたい、意思を示し、連帯を確かめ、自らを鼓舞する。タイムラインに流れる文字がうたっているように見える。近頃のハッシュタグは声高だ。
午前は係会(注、東京アートポイント計画のスタッフの定例会)。それぞれの状況を共有する。上地里佳さんが今年度のTARL(Tokyo Art Research Lab)ディスカッションのテーマ案を話す。「アートポイントの事業はすべてオンライン化できないものか」。コロナの影響が広がり始めた頃、上地さんに投げかけられた問いに対する引っかかり。そこから、人は会うことで、何を共有していたのだろうか、と問い直していた。それを聞いて、みんな同じことを考え始めているのだなと思う。いい企画は、いい問いから。多くの人の必要に応じるだけが企画ではない。そういうことを言っていると人が集まらない。それも知っている。
オンライン生活を続けることで技術的には慣れてくる。一方で「出来ないこと」が体感として蓄積されてきている。では、何が出来ないのか。明確に言いあてる言葉は、まだない。
夕方はぐるぐるミックス in 釜石のメンバーとZoom。7月にリモートで始動。例年通りに9月末〜10月頭と2月に現地入りも想定する。そのとき遠隔から人が移動しても、いい状況になっているのか。あとは東京次第。「ほやほや通信」なるメディア名が現れる。ぐるぐるのほやほや。
note用に日記を整理する。1週目をアップする。読み返すと数日おきに同じことを書いている。それだけ、近い日のことを忘れている。
ヨコハマトリエンナーレ2020が7月17日に開幕決定。当初予定は7月3日からだった。日時指定予約チケットの導入、来場者のマスク着用、手洗い・消毒、入場時の検温、会場内の消毒・換気、対人距離の確保、スタッフのマスク着用や検温の徹底。日本博物館協会のガイドラインに沿って実施とのこと。

2020年6月4日(木) 市ヶ谷

満員電車ではないけれど、朝の通勤電車は、そこそこ混んでいる。午前にZoomでASTT(Art Support Tohoku-Tokyo)の広報ミーティング。午後はZoomが2本とメッセンジャーで少し話をする。Wi-Fiは増設された。でも、会議室が埋まっている。
瀬尾夏美さん小森はるかさん、桃生和成さん、中村大地さんとミーティング。「10年目をきくラジオ モノノーク」のゲスト候補を出し合う。いつもより声がクリアだと言われる。オンラインミーティングの安定性はマシンの性能ではなく、ネットの速度が影響することがわかる。自宅のネット環境を改善したのに…。地味にショックを受ける。
ミーティングの終わりにライブ配信の時間帯を土曜日14時〜16時から21時〜23時に変更することが決まる。予定が次々なくなっていく時期に話し始めた企画だった。土曜日の午後。本来ならばイベントするにはいい時間帯にライブ配信をする。空き続けるだろう時間の「代替」の意味合いもあった。配信のリズムは決めておいて、状況に応じて変化させていけばいい。忙しくなってきたら、配信時間を変更する。ゲストもリモートから対面や現地収録へ。そうして形式を変えていくこと自体が、状況の変化の記録になるのではないか。そう話していたが、思ったより早く「予定」は帰ってきた。初回配信(6月27日)を前にそうなるとは思いもよらなかった。
年度末は延びない。この2ヶ月の「遅れ」を取り戻さないと…。忙しくなる。それでいいのだろうか。以前と以後の断絶の意味を考える。以前から続いていたものに間が空いたわけではない。もちろん、ただ休んでいたわけでもない。すでに「以前」とは地続きではない「以後」に変わっているのではないだろうか。というか、まだ終わっていない。

2020年6月5日(金) 自宅

ここ数日は本当に暑い。やろうと思っていたことが終わらないまま1日が過ぎてしまう。Zoomのミーティングは2本。GAYAのミーティングは、サンデー・インタビュアーズについて。昨年からの継続メンバーとの関わりを検討。ひとりひとりの動機から始まる活動に勢いをつけることと複数人で取り組むことの意味を議論する。個人との関わりは、個別にできる。全体で集まるときに何をするのか。翻ってサンデー・インタビュアーズとは、何をする人たちなのか、という問いに帰ってくる。係会で新任の雨貝未来さんの自己紹介をきく。
「飲食店の道路占用許可の基準 11月まで緩和 国交省 新型コロナ」というニュースがFacebookで流れてくる。テラス席やテイクアウト向けらしい。よく読むと「占用許可の申請は、個別の店ごとではなく、自治体や地域のまちづくり協議会などの団体から受け付け、感染防止対策を目的とした場合に限る」と書いてある。見出しの印象より実践のハードルは高そう。

2020年6月6日(土) 自宅

午前に急いで髪を切りにいく。予約の電話をすると、30分後なら可能だと言われる。緊急事態宣言後は混んでいるのだという。気持ちは分かる。とはいえ、店内は混んでいない。
帰りに少し寄り道をする。目的はなかったけれど買い物でもしようかとふらつく。入口の入場制限、アルコール消毒、レジの列。迂回した入口や長い列の終わりを、看板で知らせる定員の人たちがいる。混んでいる。
あらゆるところに「ソーシャル・ディスタンス」という言葉が掲げられている。2m、↔︎、人と人との距離。貼り紙が目につく。いつの間にか慣れてしまった言葉だけど、視覚的には慣れていない。
信号を待っていると横断歩道の向こう側に喪服を着た夫婦を見かける。知り合いの葬儀に参列するのだろうか。それとも家族の葬儀なのだろうか。弔いの規模を想像する。どれだけの人が別れに立ち会えるのだろうか。どれだけの人が立ち会えないのだろうか。
関口涼子『カタストロフ前夜――パリで3.11を経験すること』を読み始める。タイミングが、ばっちりだった。

2020年6月7日(日) 自宅

複数のカタストロフの間とは、わたしたちが生きているこの状態そのものを意味するのだから。

『カタストロフ前夜』を読みながら、いまの自分の立ち位置を重ね合わせる。関口さんは、パリで3月11日を経験する。そこには地理的な距離があった。けれども渦中にいることは変わらない。この距離とは(いわゆる)「当事者」となった人との間にあるものなのだろう(ここでは当事者という言葉のもつグラデーションはおいておく)。
自分と置き換える。確かに、いまは渦中にはいる。少し前は当事者であることを自認することから見えてくるものがあるのだと思っていた。この頃は日記を書くときに、意識的にニュースを探すようになった。ニュースを探すことで、いまを確認する。自らに起こったことから考えていた頃から、少し距離がうまれてきたように思う。「うまれた」というより、そもそも、距離があったのかもしれない。
距離があるから語りえないのではない。距離があるからこそ語ることができる。語るという役割を引き受けることができる。
渦中である。当事者である。その中心では語れない。出来事の記憶の中核には死者がいる。声をもたない人たちがいる。そこに記憶の「穴」がある。
震災の後、そこから見えてきた戦争の後の議論で繰り返し聞いてきた言葉の意味が急に立ち上がってきた。
気張らず、淡々と、いまを記述していこう。ここ数日は、東京の「夜の街」での感染や対策の話題が多い。「夜の街」とは?

2020年6月8日(月) 自宅

朝のNHKニュースで手話が話題になっていた。全都道府県の知事会見で手話通訳導入。この状況下で新しい言葉が増えている。緊急事態宣言を伝えるにしても「緊急」の表現が、人によって違う。専門用語の統一を進めているのだという。全日本ろうあ連盟のコメント。「市民の中に聞こえない人がいることを忘れず、新型コロナウイルスの感染が終息したあとも、通訳をつけることが当たり前になるよう期待します」。始まりを忘れられたほうがいいものもあるのかもしれない。後から振り返って、あれはコロナのときに始まったんだよ、と。覚えていると、あれはコロナだったからだよ、となってしまいそうだから。
昨日は国内の感染死者数が3ヶ月ぶりにゼロだった。Zoomのミーティングは夕方に1本。仕事があふれていく。この頃、メモをとる量が増えてきた。具体的な動きが出てきたからなのだろうか。
秋葉原無差別殺傷事件から12年、池田小事件から19年。ふたつのニュースが流れていて、同日の事件だったのだと知った。石垣島では50年に1度の大雨が降っていた。

(つづく)