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無数のグラデーションがある|4/28〜5/4

緊急事態宣言のなかで始めた日々の記録。火曜日から始まる1週間。ステイホームのリモートワーク。仕事と生活のあわい。言えることもあれば言えないこともある。ほぼ1か月前の出来事を振り返ります。

2020年4月28日(火) 自宅

朝から気分が晴れない。Zoomは3本。午前にひとつ。午後にふたつ。画面共有と大人数でのミーティングを経験する。明後日のミーティングをひとつキャンセル。返信が出来ていないメッセージが溜まっている。
近況報告の返信を考える。さっと返信してしまえばいいものが、いちばん時間がかかる。いまの感覚を素直に伝えるものが。

各現場はメディア・コンテンツづくりに移行し始めています。それはそれで新たな手法をつくったり、これまでにない飛距離のある事業になりそうです。が、ローカルで活動しているメンバーは会えない(会いにくい)、こどもがいると生活でいっぱいいっぱい。でも、だからこそ、何らか文化的な取り組みが必要だ、どうすればいいのか、という議論になるのを繰り返してます。近くにいる人たちが安心して会う方法が必要なんでしょうね。そして取り組むのに、単独の主体ではなく、生活スタイルの異なる複数のコミュニティが連携して動く必要があるのではないかなぁと思います(あ、それが市民社会なんですかね?)。隣にパスを出し合うような。

と、今日はここまでしか書けなかった。続きは明日書こう。

2020年4月29日(水・祝) 自宅

いい天気。在宅勤務がないだけで気分はだいぶ違う。とはいえ、日々を過ごす場所は変わらない。ちょこちょこと公園やスーパーへ。昨日途中までだったメッセージを勢いで書き終えて送信。


いまは勇んで何かをするよりも「落ち着いた」と言われるタイミングで疲れないようにしないとな、と思ってます。みんな「当事者」なんだけど、これまでの災害とは違い、被害や困っている状況が見えにくいので、当人がそうだと自認できないことも多いんだろうなと。そうすると、いまこそ、と言っている人たちも、知らずしらずに疲れてしまわないかと、ちょっと心配しています(人ごとではなく)。なんとなく、震災後に現地の生活者であり、支援者になった人たちが仮設が落ち着いた頃にどっと疲れていたことを思い出します。あっという間に戻ってくる日常に向き合うタイミングが一番正念場になるのかなと。いま、これまでの場の「再開」を目指す人たちと、変わってしまった日常のなかで(顕在化した課題に対して)新たな方法を模索する人たちがいて、後者に立ったときに、あれはなんだったんだろうか、とならないように…

すぐに返信をもらえたけれど、その返信を考えているうちに力尽きる。数日後に送ればいい。気安く返せる相手だから、逆に悩む。だからこそ、無理もしない。

2020年4月30日(木) 自宅

Zoomは昼から1本、夜に1本。どちらも東北の話を。岩手県はコロナ感染者が0人。逆に気が張っているのだという。自分が最初の発症者になりたくないという気持ちが強くあるのかもしれない。県外ナンバーの人は入れないお店もあるという。本当なのか…。ぐるぐるミックス in 釜石の今年の動き方の打合せできいた。
「ウイルスじゃなくて、ほとんど人がもたらした問題だけどね」。エイズ・ポスター・プロジェクトやダムタイプに関わってきた(きむらとしろう)じんじんさんの言葉が響く。当時「Safe Sex」という言葉に対する違和感から「Safer Sexy」という言葉を使っていたのだという。相対的により安全で、何を性的なものだと感じるか。「感じ方」に焦点をあてた言い方。いまの状況と重ねてきく。
「歌番組なんだと思う」。ラジオ下神白の打合せで、いつもながらのアサダ(ワタル)さんの謎提案。歌あり、回想あり、中継ありの複合的な番組づくりを構想する。状況を俯瞰して手法をつくっていくのではなく「ひとりひとりと向き合って、動き方を変えていく。それがラジオ下神白らしいのではないか」。川村(庸子)さんのいうセリフに思わず頷く。6月から下神白団地を再訪しながら、新しい訪問方法も検討していくことに。そう、試しながら進めていくしかないのだろう。

2020年5月1日(金) 自宅

ニュースでは、朝から緊急事態宣言が1ヶ月延期になるという情報が更新されていく。Zoomが2本。小金井アートフル・アクション!と世田谷の「移動する中心|GAYA」。どちらのエリアでも学校が5月中休校延期になることが話題にあがる。そして、どちらも「いま」の記録の話になる。
オンラインミーティングをするようになって、キーを打つと音が伝わってしまうから鉛筆で裏紙にメモをとるようになった。手すさびに書いているようなものだけど、いい記録になるのかもしれないと思う。自分のなかで記録に対する態度が変わっていることに気がつく。5月になったことが大きいのか。やる気スイッチというやつか。
夜のYahoo!ニュースには「首相 緊急宣言延長4日決定」の文字。でも、その下に並ぶ「米大統領 武漢研究所説に自信」が気にかかる。イラク戦争を想起する。
何か明確な言葉や出来事があった訳ではないが、予想以上にこのしんどさは誰かと共有しづらいものなのだと思う。数日前に戸舘(正史)さんからもらったメッセージにあった次の言葉がよみがえる。

ある識者がコロナは誰もが当事者となるという意味で民主的な危機だとか言っていましたが、そんなことはないんじゃないかな、とも思います。もちろん、みんなが当事者なんだけど、みんな当事者であるということは、ほんとうは平時からそうなんですよね。いまは、当事者と当事者がつながっているんだけど、そこに無数のグラデーションがあるというのが、かなり目に見えている感じがします

2020年5月2日(土) 自宅

連休に突入。ホームセンターで観葉植物の植え替え用の土と鉢を買う。全国的に夏日。半袖でも十分な暑さ。親戚とオンラインで話をする。
ASTTに関連し『まっぷたつの風景』の畠山(直哉)さんの文章(「せんだい・メディアテーク・アトモスフェール」)を思い出し、読み返す。このテキストのまなざしが好きだ。

2020年5月3日(日) 自宅

外出せずに過ごす。クラウドファンディングを数件申し込む。本来政府が補償すべきことを民間がやっている。クラウドファンディングに手を挙げることができる人は限られている。批判があるのは知っている。そうだと思うこともある。でも、どっちかではなく、両方あっていいのではないか。
何かを知ることが大事なのは、何も変わらないという無力感のためではなく、何かが変わるための道筋を見出すために必要なのではないだろうか。名言風なことを思い付く。もう少し、うまく言いたい。
「美術館などの活動再開可能に」というニュース記事が出ていた。

西村康稔経済再生担当相は記者会見で、新型コロナウイルスの重点的な対策が必要な「特定警戒都道府県」でも公園、博物館、図書館や美術館は感染防止策を徹底した上で活動を再開できるようにすると述べた。

SNSでは、どうすれば「徹底した」といえるのか、という意見もちらほらと。最近は海外の美術館や博物館の基準も出始める。

2020年5月4日(月・祝) 自宅

昨日、迷っていたクラウドファンディングと寄付を数件、一気に申し込む。出来るだけ考えることを減らしたい。どうなるかは分からない。5月31日まで緊急事態宣言の延長が決まる。

(つづく)