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文化を「10年単位」で考える(3月11日を前に)

2021年の3月11日が近づくにつれて「あれから10年」という言葉を目にすることが増えてきました。「あれから」の「あれ」は2011年(平成23年)3月11日14時46分18.1秒に発生した東北地方太平洋沖地震のことです。

「あれから」のことを風化させず、未来につなげることを目指し、10年めを迎えたArt Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業/ASTT)は、webサイト「震災の経験を未来につなげるメディア  Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021」を立ち上げ、あらためて人に出会い、声と向き合い、土地の風景と出会い直す場となるべく更新を続けています。

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「あのとき」どうしていたか。多くの人が当事者となった災害においては折にふれ語られるテーマです。この「Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021」でも「10年目の手記」や「こどもだったわたしは」という特集で多く語られています。

私は、といえば「東京アートポイント計画」が走り出して、2年めが終わろうとしているころ。私にとっての「あのとき」は当時担当していた防災アートプロジェクト「イザ!カエルキャラバン! in 東京」(共催:特定非営利活動法人プラス・アーツ)のシンポジウム「地域で育む「楽しみながら学ぶ防災イベント」を考えるー活動報告と座談会ー」の本番中でした。

会場はちょうど1周年を迎えたばかりの、元中学校の校舎をリノベーションしたアートセンター、アーツ千代田3331の3階「東京アートポイント計画ROOM302」。ゲストには防災の専門家や、都内各地でイザ!カエルキャラバン!に取り組んだ地域防災の担い手たち。冒頭のコーナーとしてそれぞれの活動紹介をしている時のことでした。自分がとった行動として記憶にあるのは、非常口を開け、参加者を外へと誘導し、隣接する錬成公園へと避難したこと。元校舎である3331が余震によって大きく揺れ、激しく音を立てて「鳴って」いたのを今でも思い出せます。その日はそのまま帰宅困難者となってROOM302に一泊することになりました。

「イザ!カエルキャラバン!」は、地域の防災訓練プログラムと、美術家藤浩志が考案したおもちゃ交換会「かえっこバザール」を組み合わせた防災イベント。子どもたちが遊びの延長で防災の知識を身につけられる活動です。2005年にスタートし、いまではさまざまな企業や団体と協力し、全国各地で開催しています。

この紹介文にある通り、イザ!カエルキャラバン!が生まれたのは2005年です。阪神・淡路大震災の経験が契機となっているこの防災プログラムは、1995年の発災から10年を経て誕生しました。災害からの時間の距離や、プログラムの開発のためのリサーチ、アートプログラムとしてのアップデートなど、さまざまな機が熟すのに、10年。現在も全国各地に浸透し開催され続けているのは、10年の準備と練り上げの時間のもとの強度であると感じます。

東京アートポイント計画は2009年の立ち上げ時より「生活圏においてさまざまな分野と接続するアートプロジェクトを展開」することを標榜していました。誰もが当事者となる「防災」という分野もそのひとつ。初年度から実施した特定非営利活動法人プラス・アーツとの「イザ!カエルキャラバン! in 東京」は東京アートポイント計画のもつ多様性のリーディングプロジェクトでした。2011年度まで「in 東京」として展開し、3.11をまたぐ3年の間に都内各地で14回開催、その後の継続展開へとつなげました。

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2011年2月27日に開催した「イザ!カエルキャラバン!in 東京vol.9-清瀬市」

つい先日、2月13日にも大きな余震がありました。10年前のことを思い出した方も多いと思います。10年経ってなお、余震。かつ、今後も10年は続くとのこと。「イザ!カエルキャラバン! in 東京」で目指したのは防災のための知恵やスキルはもちろんのこと、「地域の人々が協力し、日常的に意識すること」でした。楽しく学ぶプログラムを契機に、大人も子供も日頃から「防災」を気にしていること。「大きな余震」に思い出させられるのではなく、日常生活で脳裏に準備しておくことです(自戒を込めつつ)。

節目を前に、プラス・アーツの現在を見てみると、「すべての人の防災学校」と称した公式TikTokが立ち上がっていました。

小気味よいリズム感で端的に防災の知恵とスキルを発信する、効果的なメディア使い。さすがです。先日の地震や3月が近づくにつれ、急激にフォロワーも増えているようです。SNSなどで日常的に「防災」についてふれていることも意識することにつながるかもしれません。

二度と起こらないでほしい、と願いつつも災害はいつも唐突にやってきます。10年前を思い返しつつ日常的な「準備」と「意識」の重要性について「あのとき」の場所で、ASTTの事業としては最後の発行となる冊子の校正をしながら再確認しました。

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3.11の地震を経験した場所、ROOM302。現在のものとは異なるものの、当時はこのように寄せたテーブルに銀マットを敷いて眠った。