健常者であることへの苦悶
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健常者であることへの苦悶

私の両親はADHDだ。発達障害だ。

昔は今みたいに「発達障害」なんて括りはなかった。あったのだろうけども、知的障害のある無しで、無い人ですこし毛が生えたようなくらいの人は健常者と呼ばれた。

我が国のケア界隈では

早急に治療が必要な精神的肉体的疾病に対処するので精一杯だったのだと思う。

だから日常的にカウンセリングを受けるという文化もなかなか根付かない。最近はこと一般になってきてはいるものの、実際はまだまだであるといえる。

そんな時代に、ADHDだった母と父を持った私。しかも

私がADHDか、それ以下ならまだしも

たぶん私はちょっと変態でちょっと未熟なだけで、普通だ。

だからこそ

だからこそ

自分がおかしいんだ。自分が変なのだ、と思い悩みながら、本来の自分を抑圧させて、人と違うように わざわざ 振る舞って、こんなの嫌だ、こんなのしんどい、しんどいよ…

と内心苦悶しながら生きていくしかなかった。

親という存在って人生を左右するぐらいのおそろしいほどの影響がある。今はそれすらも、自分が選んで生まれてきたんだよ♪なんて、アホな考えも主流になりつつある。

だかしかし。

なんだこの親?頭おかしいんじゃないの??

という思考に、育てられているときの私は至らなかった。

それは私の失態だ。経験だ。経験値はエライ上がっていった。

だけども私自身は親の手から離れたがっていたのだ。その悲鳴が最高潮に達して、私は高校を辞めて、妻として母として生きる決意をした。今にして思えばカルマから逃げたいだけだった。そんな理由に付き合わせてしまった元旦那には本当に申し訳ないと思う。けどそれはそれで、彼自身への成長に加担できたのだと感じることが沢山あるのも確かだ。人生は不思議だ。

ともあれ私はつまり、

自分でこのアホな母とドアホな父を選んで、沢山学びます!沢山の経験をします!!そしてそれを沢山の人達の気付きと学びへと活かします!!

と自分で決めた事実から逃げだしたわけである。修行の道はそんなもんである。

逃げ出してはみたものの、私は私の頭がおかしいのではないか、という不安と疑念があり、いつもそんなようなことを周りに相談していた。

周りは優しくて私が傷付かないような言葉を返してくれた。今思うと有り難い。感謝しかないと思う。だけど私はそれでもちろん癒されることはなかった。

きっと私は、

そうだね、頭がおかしいんだね、可哀想に

と言われるのを期待していた。つまり自分が健常者であることを望んでいなかった。カルマから逃げ出した私は、健常者であるということからも逃げようとしたのである。

そんな私の体は心理的から麻痺して、「てんかん」という疾病を生み出した。心と体は本当にすごい。健常者でありたくないから、病をうみだしてしまうなんて。。。

しかしながら私の魂は微力ながらずっと私に、本質への気付きのサインを与えていた。

健常者なんだ、ということに気付くためのチャンスを何度も、何度も、何度も、与えてくれた。

私は、あぁ、私はやっぱりカルマから逃げることはできないんだ……と諦めた。そう、私が今母親と一緒にいる理由はそれなのだ。

私は健常者として生きることから逃げ出して、気付いて、今こうしてスタートラインに立てた。このタイミングで、出会う人達はみんな大切な存在だ。この世界は、自分のカルマから逃げずに生きる魂の味方なのだ。

おかげさまで病もさっぱり消えた。今の医学では科学的に治らないといわれているが、サラッと消えた。先生から太鼓判も頂いています。

健常者であることから逃げたくなる衝動はまだまだ続く。それはまた次回に話すとして、

アホな母とドアホな父を持っている全ての健常な君へのエールを送りたかった。親がおかしいと知ることは、君の存在を全肯定することなんだよ、と。


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蒼空春佳

もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)

明日も幸せです(*´ω`*)
15歳から詩作活動をしている介護士です。 人生経験を仕事に活かしながら常に勉強がモットーです。 6歳で父親が蒸発。19歳で結婚、出産。23歳から二世帯同居して29歳で離婚。 30歳から介護の仕事を無資格で派遣社員から始め、沢山の現場経験を活かしながら色々やってまーす^ ^