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#ネタバレ TV「櫂」 ふと、映画「セブン」を連想

「櫂」(かい)
1985年作品
ふと、映画「セブン」を連想
2021/6/6 9:43 by さくらんぼ (修正あり)

(  TVドラマ「櫂」のレビューです。TVドラマ「おしん」映画「セブン」のネタバレにも触れています。 )

NHK・TVドラマ「おしん」は、明治40年(1907年)に、ヒロイン・おしんが米俵と引き換えに、7歳で丁稚奉公に出るところから始まります。極貧農家であり、一家が生きるために口減らしが必要だったのです。

これは人身売買の疑いのある行為でもありますし、少なくとも現在の日本の法律では7歳を労働力として使うことは違法ではないでしょうか。しかし、当時は貧しさゆえに各地で行われていたようです。さらに「おしん」だったか正確な記憶がありませんが、奉公先が女工哀史の舞台になったような奴隷的な工場だったり、売春宿だったりもしたこともあったようです。

この悲惨は、TVドラマ「櫂」も同じで、世間知らずのお嬢さんであるヒロイン・喜和(松たか子さん)が、祭りで見初めて押しかけ女房になった夫・岩伍(仲村トオルさん)は、女衒(芸妓娼妓紹介業)を行い、極貧家庭から口減らしのための少女を受け入れてくるのです。

もちろん騙して連れてくるようなことはせず、本人も両親も同意のうえで働かせていましたので、岩伍は(食えない者を助ける)社会貢献だと胸を張っていました。実際、少なくともドラマでは、多くの少女たちは感謝していたのです。実家とは違う格段に良い暮らしが待っていましたから。

しかし、お嬢様育ちの喜和は、恋愛感情が冷めるにつれ、夫の女衒(芸妓娼妓紹介業)という仕事に異議を唱えるようになり、さらに女性解放運動家というのでしょうか、その女たちと知り合い、感化されるにつれて、ますます夫と対立するようになったのです。しかし、夫は「社会貢献だ」と一歩も引きませんでした。

そして、ドラマの半ばでは喜和の望む方向に法律改正も行われたようですが、それは条文の上の変更だけで、相変わらず実態は動かなかったのです。岩伍は地元の有力者となり、警察幹部とも酒席を共にし、二人三脚で社会を回しているかのように見えました。

表現は適当かどうか分かりませんが、仮に喜和の主張が「正論」だとしたら、岩伍、警察幹部、少女と極貧家族の気持ちは、法律を厳格に執行しなかったことは、「あの時代の適正」だったのかもしれないと、あの時代の現状では緊急避難的に致し方なかったのかもしれないと私は思ったのです。

★★★★☆

追記 ( ふと、映画「セブン」を連想 ) 
2021/6/6 10:03 by さくらんぼ

後半に岩伍の娘・綾子役で出てきた幼い頃の井上真央さんの演技も素晴らしく、ここも見どころです。まさに名子役の才能がありました。

綾子は、岩伍が浮気相手に生ませた子供でしたが、岩伍が浮気相手と別れるという条件で、仲介者にむりやり喜和が引き取らされたのです。

浮気相手の子供を育てるなんて…」と嫌っていた喜和でしたが、実子が一人病死した直後でもありましたし、すぐに母性本能に火がつき、情がわき、やがて実子同様に可愛がるようになりました。

しかし、利発に育った綾子が高等女学校に進学するためには、喜和だけでは力不足だったのです。当時、喜和と岩伍は女衒(芸妓娼妓紹介業)問題をめぐって別居状態でしたが、綾子を進学させるために、岩伍に頭を下げ、綾子を説得して託したのでした。

現在の感覚で言えば、「入学試験に受かりさえすれば、良い学校に行くことが出来るのでは?」と思いがちです。しかし、当時は違ったようです。あまり詳しくは描かれていませんが、家柄も重視されたようで、母子家庭の子供より、地元の名士の令嬢の方が優遇されたようなのです。

現代でも似たような話はありそうですね。

映画「箱入り息子の恋」には、盲人の娘を社長令嬢の肩書で嫁に出し、その後は、浮気をしている夫と離婚を考えている妻がいました。出来るだけ良い条件で嫁に出すためには、社長令嬢の方が、母子家庭の娘よりも良いと考えたのでしょう。

こうして、綾子だけが岩伍の遊郭に引っ越しました。そして、一人になった喜和は、女性解放運動の活動家の協力を得て、収入を得るために足踏みミシンを覚えるのでした。

あのミシンはわが家にもありましたが、足踏みミシンを使うのを「ミシンをこぐ」とも言います。櫂も櫓(ろ)も「船をこぐ」ときに使いますので、両者は関連付けられている節があります。

つまり、「生活保護のない時代、生きるためには、何としても金を稼がねばならなかった」のです。「こぐ」ことはその象徴だったのかもしれません。

そして、お嬢様育ちで、貧乏の経験が無い喜和の「正論」は、あの時代背景下では「適正」ではなかったことが、映画のラストに綾子を女衒(芸妓娼妓紹介業)の夫に預け(まるで極貧家庭の娘が預けられた時のように)、自分はお金を稼ぐことに専念をする事で表現されていたように思いました。

ある意味、喜和は、映画「セブン」における新人刑事デビッド・ミルズのような状況になってしまったのだと思います。

追記Ⅲ ( 只より高い物はない ) 
2021/6/7 16:33 by さくらんぼ

憲法第25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とあります。ケースワーカー・ドラマのタイトルにもなっていますね。

生活保護制度は国民の権利ですから、真に必要な者は、堂々と申請して良いのです。

しかし、生活保護のない昔、生死を分けるような状況下では、頼るなら、誰かの私的な施しになったはず。

その場合、通常、権利ではありませんので、施しを受ける者は、大なり小なり、その誰かに、負い目を負う可能性が高いわけです。

(  かつて、私の母の手術で、血液が必要になった時、「私の会社の同僚に頼む」という比較的容易な手段もありましたが、もし、それをすると、まだ若かった私が「同僚に一生の負い目を負うことになる」と心配してくれた人がいました。同僚との人間関係の難しさを良く知っている人ならではの助言でした。)

岩伍が子どもの頃のエピソードが出てきますが、思いあがった養父らしき人に、食事で屈辱的なあつかいをされて反発していました。

そんな岩伍の仕事が女衒(芸妓娼妓紹介業)です。

岩伍は、「たんなる施しではなく、女たちは苦しい思いをして稼ぐからこそ、彼女たちのプライドは守られる」とも、考えていたのかもしれません。その是非はともかく。

一生の負い目と言えば、岩伍と賭場で喧嘩して、岩伍から「す巻きにして海に捨てられた」ことにして、助けられた男が、後に命の恩人・岩伍の忠実な子分として戻り、一生を捧げるエピソードも出てきました。

追記Ⅳ ( 「アクセルとブレーキ」 ) 
2021/6/8 9:37 by さくらんぼ

これもコロナ過の映画かもしれないと思いました。

映画のラスト、喜和と岩伍は女衒(芸妓娼妓紹介業)問題で対立しつつも、喜和は娘・綾子を岩伍に預け、自分は女性解放運動の活動家の協力を得て、収入を得るために足踏みミシンを覚えるのでした。

そこには「アクセルとブレーキ」を同時に(踏みながら)生きている人たちがいましたから。

追記Ⅴ 2022.6.27 ( お借りした画像は )

キーワード「川下り」でご縁がありました。美しい風景ですね。少し上下しました。ありがとうございました。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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