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#ネタバレ 映画「天気の子」

「天気の子」
2019年作品
映画「この世界の片隅に」と比較する
2020/1/4 7:58 by さくらんぼ (修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

ある方から、映画「天気の子」は観ましたかと聞かれました。

なぜ聞かれたのか、(まだ観ていないので)その理由が分かりませんでしたが、先日の新聞を読んで分かったような気がしたのです。

新海誠監督が、ネタバレであらすじを書いていたらです。

そこには、大切な人を守るために東京を水に沈める主人公がいました。

もしかしたら、その姿は、映画「この世界の片隅に」に描かれている世界観とは対照的なのではないのか。

それを、彼は(「この世界の…」に酔っているように見えた)私に伝え、「あなたの感想は?」と、尋ねたかったのかもしれません。

機会があれば、ぜひ観てみたいと思います。

『 「天気の子」の主人公・帆高は、大事な人を守るために犯罪を積み重ね、最後は社会にとって迷惑な決断をします。晴れ女の少女・陽菜を救うことで、大雨が降り、東京は少しずつ水に沈んでいく。 』

( 2020.1.1 朝日新聞(朝)37面 文化・文芸 「分かち合う」という人 いたなら 新海誠監督 より抜粋 )

追記 ( 借りは返さなくてはいけない ) 
2021/1/22 10:04 by さくらんぼ

TV放送されていたので、やっと観ることが出来ました。

絵が美しいですね。

その美しさ、味わいが、映画の魅力の多くの部分を占めています。

改めて気づきましたが、私の場合、怪獣映画を着ぐるみとミニチュアで行っていた、過去の日本の特撮映画を観る時と同じ視点でした。

★★★★☆

追記Ⅱ ( 借りは返さなくてはいけない② ) 
2021/1/22 10:10 by さくらんぼ

家出して東京にやってきた帆高は、途中、ひょんなことから命の恩人になった大人から食事をたかられます。その後、東京で仕事が見つからない彼は、それが縁で、その大人のところに就職することにもなりました。

ハンバーガーショップでは、帆高を哀れに思ったバイトの陽菜からハンバーガーをおごってもらいます。後に、失業した陽菜が怪しげなバイトをしようとしているところを帆高が見つけ、恩返しとばかりに助けます。

このあたりのエピソードに主題が入っているように思いました。

陽菜には「晴れ女」という特殊な才能がありました。

東京では長雨が続いており、陽菜はその才能を使って助けますが、最終的には命と引き換えになってしまう事に気がつきます。

それでも陽菜は、命を投げ出して東京を救おうとしますが、陽菜に惚れた帆高が恋心で止めるのです。

二人は、東京よりも、二人の幸せを優先しました。

前段の主題のとおりであれば、二人は自分たちが幸せになる借りを、東京に返さなくてはなりません。

映画「天気の子」では象徴的にデフォルメされていますが、現実の世の中も「持ちつ持たれつ」でなりたっています。

例えば、コロナ過で注目をあつめた言葉に「エッセンシャルワーカー」があります(公務員もその中に)。日頃は陰に隠れて存在に気づかない事もありますが、「エッセンシャルワーカー」がいなければ、私たちの生活は成り立たないのです。

ですから、私たちはその借りを返さなくてはなりません。それは「労働」だと私は思います。労働にも色々ありますから、出来る範囲の、自分流の労働で返せば良いのです。

この映画はまた、人間の環境破壊にも触れているのでしょう、環境破壊で人類が繁栄した借りは、自然に返さなくてはなりません。

途中で拳銃も出てきました。

拳銃を使うことで強引に手に入れた幸せの借りは、使わない場合よりも大きいのです。

追記Ⅲ ( 「拳銃」と「晴れ女」 ) 
2021/1/22 10:46 by さくらんぼ

「拳銃」は「晴れ女の超能力」とイコールとして置かれたのかもしれません

東京が陽菜の命まで奪ってしまうと、東京の借りは大きくなりすぎます。

東京とて命までは返せません。

拳銃を使ってはいけないのなら、東京も陽菜の命を奪うべきではないのでしょう。

東京は他の方法を模索する必要があります。

映画の後半で老婦人が言っていたように、「もともと、ここら辺りは海だったのだから、元に戻っただけだ」という結論も、選択肢の一つかもしれません。

追記Ⅳ ( 浮力、あるいは浮遊する水 ) 
2021/1/22 15:15 by さくらんぼ

陽菜たちの周囲には、空気中なのに水中にいるような、あるいは巨大な水滴が浮遊するような、幻想的な映像がありました。

私は、それらを完全なる空想の産物だとは思いません。既視感とまでは言いませんが、見えなくとも体感的には似たような経験があるからです。

もしかしたら、作者は私と同じような経験をしているのかもしれないと思いました。それをモチーフにしているのではないのかと。

ご承知のように、私は時々、気功の「三円式たんとう法」(立禅)で生まれる、直径1m前後(ときに中に入れるほど)の大きな「気」のボールの話を書いています。

「気」の質量は大きいので、空気と比較すると、浮遊する水のような異質な存在ですし、高密度の「気」のボールには強い弾力もあり、又、中に入ると質量による浮力も発生するようです。

毎日立禅をするということは、毎日、そんな「気」のボールに接するという事です。特に珍しくもない日常風景なのです(ちなみに、私は浮遊できませんので念のため申し添えます)。

又、気功は「雷や嵐のような天気の悪い時にしてはならない」と言われています。天気が悪いとは、文字通り「天の気」が悪いようです。邪気など集めない方が良いです。

つまり個人的な気功と天気は繋がるのですが、この話をモチーフにして発展させれば、「立禅で天の『気』を集める」から、「祈ることで天気を変えられる」という、飛躍した空想のお話を創造できても不思議はありません。

追記Ⅴ 2022.5.3 ( お借りした画像は )

キーワード「傘」でご縁がありました。カラフルできれいですね。無加工です。ありがとうございました。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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