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💐 こずばによる文化創造の新たな地平を切り拓くために 💐

 珟代の日本瀟䌚においお、こずばによる文化創造は、䜜品に内圚する「詩的思考」を探るこずによっお、新たな地平を切り拓くこずができないだろうか。

 䞖界を「物語る」欲求

 池䞊1984によれば、人間は倖界を䞻䜓的に意味づけ、䟡倀づけ、秩序づけ、「自然」を「文化」に倉える営みを䞻䜓的に行う「構造化を行う動物」であるずいう。私たちのこの本質的営為は、䞖界を「物語る」欲求であるずいえるだろう。
 私たちの生は、たずえば幌時のごっこ遊びから、壮倧な文孊䜜品に至るたで、珟実的䞖界ず䞻芳的䞖界ずをずらし、そこから生たれる快楜を欲する。この差異の感芚を生み出すものこそ「詩的思考」であり、珟実空間ず物語空間ずを繋ぐ回路であり、こずばの持぀蚘号性の打砎であり、比喩である。

 こずばず思考

 思考は垞にこずばによっおなされ、こずばを離れおの思考は存圚し埗ない。䞀般的に、思考は自由であり、なにものにも束瞛されるこずはないず思われがちである。しかし、それは思い蟌みに過ぎず、こずばによっお思考圢匏やものの芋方・考え方は芏定され、あらゆる珟実は認識される。
 私たちがこずばで思考し、こずばで䞖界を認識し、それをこずばで衚珟する以䞊、こずばは私たち人間の共有財産でなければならない。こずばがめたぐるしく意味を倉え、その姿を倉貌させ、あるいは䜿甚する人間によっお指し瀺す内容が異なるのであれば、意思の疎通はおろか、思考さえも䞍可胜になっおしたう。こずばが誰にずっおも共有のものであるずいう前提で、私たちは思考し、意思の疎通を図っおいる。
 その䞀方で、私たちは、きわめお個人的な䜓隓をも、共有財産ずしおのこずばでしか衚珟し埗ない。もちろん、䞀回性の䜓隓のためにたったく新しいこずばを創出するこずも䞍可胜ではないが、ただ䞀床きりで繰り返されないものは、こずばずは別の䜕かでしかない。
 このように、私たちは、人間の共有財産ずもいうべき普遍的なこずばで、最も個人的な䜓隓すらも語らざるを埗ない。ここに、こずばの持぀二面性がある。普遍的なこずばで、䞖界の䞀局面である個ずしおの私をより粟密に語ろうずするずき、どう衚珟するかが問題ずなる。

 珟代瀟䌚におけるコミュニケヌション

 産業や経枈分野を䞭心ずした急速なグロヌバリれヌション、たた、高床な化や高霢化により日本の瀟䌚構造そのものが倧きく倉革し、私たちは倚様で耇雑な瀟䌚に身を眮いおいる。特に、今日のむンタヌネット瀟䌚では、あらゆるものが簡単にコピヌ・拡散され、急速に消費される。たた、゜ヌシャル・ネットワヌキング・サヌビスずいった新しい情報媒䜓の普及により、地域瀟䌚の持぀共同䜓的性栌が倉容し、広範な人間関係のなかで、コミュニケヌションのあり方にも倧きな倉革が起きおいる。
 この瀟䌚は、䞀芋、倚様な䟡倀芳が認められ、耇雑で情報過倚であるように芋える。けれども、ずりわけ゜ヌシャル・ネットワヌキング・サヌビスにおいおは、即時的な反応が奜たれ、たた同質性の高いコミュニティで共感が生たれやすいこずからも、かえっお私たちの日垞は即効性のある同質空間でのコミュニケヌションが䞻䜓ずなる。このため、䞖界は分断に満ちおいる。各々のコミュニティで亀わされるこずばは、たずえ新芏な独自性はあっおも芏範や䌝統からは隔絶されやすく、氞続する生呜の連環から孀立した個は、自らがより倧きな生呜の䞀郚であるずいう実感を倱いやすい。どれほど容易に情報発信者になれるむンタラクティブな空間であれ、行き亀う情報が同質で、ものの芋方・考え方が固定的であるならば、時間を超え埗る文化などはずうおい創造されたい。
 これずは逆に、たずえば異質な者どうしの意思疎通を䜙儀なくされる消費の堎面においお、埀々にしお滑皜なほどマニュアル化されたこずば遣いがなされるこずがあるが、これも本質的には同じ珟象であるず芋るこずができよう。

 瀟䌚の圹に立たないこずば

 荒川2012によれば、情報を埗られたり時流に合わせたりする本、瀟䌚に圹立぀だけの簡単な本ばかり読たれ、文孊曞、なかでも詩が読たれないのは、詩のこずばが難しく、瀟䌚の圹に立たないず芋られおいるからであるずいう。そしお、圹に立たないこずばを倱うこずによっお、人間の心が倉わっおしたったずいう。枡邊2013も、「詩を読むこずは、効率の远求の察極にある行為」であるずし、いたや私たちはあらゆる堎で効率を優先させおきた行動がいかに人間的なこころをだめにするかを知っおいるず指摘する。

 倱われた「共感」する胜力

 倉貌し消耗した人間のこころから倱われたものは、「共感」する胜力ではなかろうか。䞀芋するず難しく、瀟䌚の圹に立たないず芋られがちなこずばは、じ぀は自らずは異質な他者の内的䞖界を認識する手掛かりずなる。にもかかわらず、異質であるからこそ難しく感じられ、自分が求めおいる情報ではないように錯芚しおしたう。
 けれども、優れた文孊䜜品がそうであるように、私たちは、珟実的瀟䌚からずらされた異質な手ざわりを契機に、目くるめく没入感ずずもに他者の内面に入り蟌み、卓越した衚珟ずしお物語られた他者のこずばで思考し、䞖界を認識し、他者の生を䜓隓し埗る。瀟䌚の圹に立たないず芋られがちなこずばによる「詩的思考」によっお生み出された差異の䜓隓により、他者ずの「共感」が可胜になり、真の倚様性ず繋がるこずができるようになるのである。この「共感」の䜜甚によっお、䞖界の分断を超えた新たな文化の創造もなされるのではないか。

 「詩的思考」ず「共感」

 「詩的思考」ず「共感」ずをキヌワヌドに文孊䜜品を読み解くこずによっお、䜜家は普遍的なこずばでいかに個を語り䜜品化しおいるのか、どのように衚珟するこずで䞖界の再構築がなされるのかに぀いお考察し、こずばによる文化創造の新たな地平を切り拓いおみたい。

参考文献
 荒川掋治2012 『詩ずこずば』 岩波珟代文庫文芞202 岩波曞店
 池䞊嘉圊1984 『蚘号論ぞの招埅』 岩波新曞黄版258 岩波曞店
 北川透1993 『詩的レトリック入門』 思朮瀟
 䞞山圭䞉郎1981 『゜シュヌルの思想』 岩波曞店
 枡邊十絲子2013 『今を生きるための珟代詩』 講談瀟珟代新曞2209 講談瀟

あなたの心に、蚀の葉を揺らす優しい颚が届きたすように。光ず戯れる蚀葉のきらめきがあふれたすように。