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シン・現代詩レッスン72

鮎川信夫「私信」

『(続続) 鮎川信夫詩集』 (現代詩文庫 )から「私信」。この詩は「囲繞地」の書き換えであり「私信」というのが、Kuwahara Hideoに捧げられており(のちの「私信」には桑原英夫にと明確にしめされていた)、それは「荒地」の編集者だったかもと思える。それは6冊の雑誌を送ってきた6人の仲間ということで「荒地」のメンバーを指しているのだが「囲繞地」を詩ではなくエッセイと言っていること。またそれは自己韜晦的に卑下して書いたのは自分自身だとするのだが、当時の「荒地」メンバーが自分らのように思っていた(むしろそう読めるのは時代に活を入れるような詩だったからだろう。それが今回の詩は、いつまでもこうして生きている自分はどうなのかという反省である)というその反省の元に描かれたエッセイ(詩)だ。

私信

 To Kuwahara Hideo

二十歳になった年の秋に、
私は"囲繞地"というエッセイの中で、こんなことを書いた。
「彼は臆病なドン・ファンであった。
自ら韜晦することなくして、何事もすることが出来なかった。
六人の友達の彼に対する考え方は夫々まるで違ってゐた。
六人の意見が一致してゐるときは六人とも彼に騙されてゐる時であった。

鮎川信夫「私信」

この人は本当に面倒くさいというか、こういう言い訳をしなければならない人なのだと思う。それはMの死刑執行書の「死んだ男」で死んでいなければいけなかったのに「寝ていた男」として生き続け、さらにこのような弁明の私信まで書かねばならないのだ。まあ、廻りも面倒くさい人ばかりだと思うが(詩人という面倒くさい人たち)。「韜晦」するのは自分もそうだから鮎川信夫の詩が好きなのかもしれない。書いていることは間違ってないと思うがそういう生き方はこの社会や時代では無理なんだと思う。

ちょっとばかり以外だったのは、
自分の書いたものがまったくつまらなかったことである。
すこしはましかと思っていたその「すこし」が見当たらなくて、
年月のきびしさに苦笑するほかはなかったが、
何かが間違っていると感ぜざるえなかった。

鮎川信夫「私信」

ご謙遜でしょう。だって現に「死んだ男」も「繋船 ホテルの朝の歌」も「箸の上の男」も『一冊で読む日本の現代詩200』のアンソロジーに掲載されるほどの詩人なのだから。「囲繞地」はなかったけど、これも結構好きな詩で取り上げる人も多いと思う。だから「シン・現代詩レッスン」で取り上げたのだ。「何かが間違っていると感ぜざるえなかった。」というのが本心だろう。

文学の世界にとどまっている者は、私しかいない。
これは、私だけが「虚構の個性」をつらぬき、偽善の間道をくぐりぬけて、
うまうまと生きのびてきたということか。
虚構なるがゆえに傷つくことがすくなかったからか。

反面「文学の世界にとどまっている者は、私しかいない。」という自信を持っている。そのほとんどは戦争で死に、生き残った者も先に死んで残された者ということなのか。「生きのびてきた」という感覚はわかりすぎるほどわかるような気がする。

「本質的には我々が誇り得るものは生理意外に在り得ない、
又本質的に個性的なるものも」と言ったのは、
クラス委員にして落第生の竹内幹郎だった。
ずいぶん興醒めなくだらないことをいう奴だと思ったが、
今にしておもえば、真実を衝いた薄気味わるい言葉である。
少なくとも彼の自殺の真因が、
この中に隠されていたことはまちがいないだろう。
神を持たず、神の代替物も持たぬとすれば
最後の拠りどころは生理しかなく、
「誇り得るもの」を失ったとさとったとき、彼はこの世から転向していったのだ。

これも逆説的に自殺しなかったのは、生理に溺れなかったからであり、鮎川信夫には神に代わる信じられるものがあった。それが文学(詩)だったと思う。だからこの世から転向(あの世か)しないですんだのである。どっちがいいということでもなく、そういう生き方しかできないのなら仕方がないではないか?結びは普通の近況と天気の話で締めくくっているが、七月にストーヴを付けるというのは虚構かもしれない。彼の心がそんなに冷え冷えとしているのかもしれない。

詩信

 To Sister
toじゃなくTwoかもしれない。二人目の姉さんへ

「囲繞地」という漢字は読めないと思う。ぼくもそれまで知らなかったんだ。世の中には知らないことばかりで、姉さんが二人いたなんて、それをもう一人の姉さんは妄想呼ばわりするんだけど、本当はもう一人の姉さんが殺したんだけど、まだぼくの頭の中に巣食っているのは妄想姉さんなんだ
。ただ、これだけはもう一人の姉さんがなんと言おうとぼくの姉さんなんだ。だってこれはぼくの頭の中でのことだから。もう一人の姉さんから守っていく自信はあるよ(ずいぶん面倒くさい話なんだけど、このことを理解してくれるのは姉さんしかいないよ)。

神よりも神の代替物よりも姉さんが女神なんだ。もう一人の姉さんは泡姫 ミューズだけど。女神様は、誰にも必要なんだと思う。特にイエス・キリストみたいな弱っちい男には。そういうのは男の生理なのかな?生理はないから想像の生理かもしれない。修羅雪の姉さんだって、それは生理じゃなく姉さんの反り血だと言ったけど、それはぼくが復讐してやったのさ。ああ、これは虚構だからね。ときどきとんでもないことを言いたくなるんだ。

だからこれは秘密の私信で誰にも見せてはいけないよ。ぼくの頭の中の「囲繞地」ということなんだ。もう秋は絶滅したのかもしれない。こっちの世界は暑い夏が終わってもう冬になっているんだ。

やどかりの詩


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