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「黒猫」さんからお手紙着いた

『ポオ小説全集 3』エドガー・アラン・ポオ (著), 田中 西二郎 (翻訳)

アメリカ最大の文豪であり、怪奇と幻想、狂気と理性の中に美を追求したポオ。彼は類なき短編の名手である。推理小説を創造し、怪奇小説・SF・ユーモア小説の分野にも幾多の傑作を残した彼の小説世界を全四巻に完全収録した待望の全集! 収録作品 3 モルグ街の殺人 メエルシュトレエムに呑まれて 妖精の島 悪魔に首を賭けるな 週に三度の日曜日 楕円形の肖像 赤死病の仮面 庭園 マリー・ロジェの謎 エレオノーラ告げ口心臓 陥穽と振子 鋸山奇談 眼鏡 軽気球夢譚 催眠術の啓示 早まった埋葬(解説)佐伯彰一


『赤死病の仮面』

ある君主は疫病が蔓延したので城壁の中に健康な領民を入れて外界の接触を絶って毎日快楽的な日々を過ごしていた。その仮面舞踏会で赤死病の仮面を付けた男がいてパニックになる。君主は刺し殺すが彼も倒れ、仮面の下は赤死病そのものだったという話。疫病小説だというので読んでみた。今の状況を言い表しているのかもしれない。

『モルグ街の殺人』

結末がとんでも展開だな(今ではありえない)。でもこれが推理小説のはじまりなのか。殺人事件があったのだが、証言の積み重ねが最後に野獣にひっくり返さる。

『マリー・ロジェの謎』

『モルグ外の殺人』のデュパンが殺人事件を解決する続編。『モルグ外の殺人』のとんでも解決はなかったけどそれほど楽しめなかった。最初に手がかりが出てくる。それをゴシップ好きのマスコミがかき回し混乱させる。デュパンはそれに反論しながら最初に戻る。迂回するマスコミ批判とも取れる。素直に読めば自ずと答えは見つかるのに、マスコミの事実はよりもスキャンダラスな犯人像をでっち上げるというのは今もそうかもしれない。

『メエルシュトレエムに呑まれて』

怪奇現象に巻き込まれた人間の体験記。ポーのイメージは怪奇小説のこのあたりかな。心理的不安を掻き立てるストーリー。真っ直ぐに中心に飲み込まれていく完璧な渦巻(円環)小説か。そんな作家だと思っていたら『楕円形の肖像』という題の小説も。これも狂気の話。寄り道はなく真っ直ぐに狂気。

『黒猫』エドガー・アラン ポー

19世紀アメリカの小説家・詩人であるエドガー・アラン・ポーの短編小説(佐々木直次郎による訳)。「フィラデルフィア合衆国土曜郵便」1843年19日号に掲載された。主人公は妻と幸せに暮らし、飼い猫のプルートォを可愛がっていたが、酒におぼれるようになるうちに、次第にノイローゼになり、猫を殺したあげく、ついには妻まで殺してしまう。過度の飲酒がもたらす精神の荒廃を、黒猫に象徴させて描く。

エドゥアルド・ハルフォン『ポーランドのボクサー』を読んでいたら、最初の『彼方』という作品で、ポーの『黒猫』と『盗まれた手紙』の共通点をみつけてくるように宿題が出たのだ。『彼方』は大学教師の文学講義の私小説で、事実エドゥアルド・ハルフォンの分身というべきハルフォン先生が語り手。ハルフォン先生は信頼できると思ったのは、文章が素晴らしいから(騙されやすいということか?)。

それぞれの短編小説は星で見えない線でつなげることによって星座になる

こういう文章が書けるようになりたい。おいおいエドゥアルド・ハルフォンの話は後にすることにして、まだ『ポーランドのボクサー』を読み終わってないのです。この短編集はすごくいいです。お勧めします。近日中に感想アップ予定。

では、話をポーの『黒猫』に戻して、信頼できない語り手は、推理小説などにあるけど、『黒猫』の語り手もアル中だった。最初の黒猫を殺し、木に吊るしさらし首にするが、火事になって死んだ黒猫の跡が残る。ここらへんの描写は酩酊してしまうぐらい複雑だ。火事になったので、隣人が死んだ猫を投げ入れた(知らせるために)のか生きていたのかよくわからない。そして、壁には死んだ猫の跡が残った。二匹目の猫を殺そうとした時に、止めた妻を殺してしまい、そして白壁に埋め込む。

語り手がアル中だということで信頼できない語り手であり、二番目の猫が偽の猫(最初の猫の偽物)であるけど、その境界が曖昧になる(錯乱している)。そして壁というのも境界だから、そこに生と死の境界があるのだった。これを信じるとすれば法が成り立つ。信じなければ迷宮入りだ。ただ語り手が壁を指し示すと壁が崩れて事実が明らかにされた。最初から捕まりたかったのかもしれない。(アル中という)罪の意識である。神の存在。黒猫は神の使者なのか?

『盗まれた手紙』エドガー・アラン・ポー

19世紀アメリカの小説家・詩人であるエドガー・アラン・ポーの短編小説。1845年、「ザ・ギフト」に掲載された。ある大臣が、政治的な目的で貴婦人の私的な手紙を盗み出す。貴婦人からの依頼を受けた警察が全力を尽くして捜しても見つからなかったが、警視総監から相談を受けたデュパンが難なく取り戻す。人の盲点をついた鮮やかなトリックで、デュパンが登場する三作の中では、最も評価の高い作品。

語り手の話を信じれば「灯台下暗し」ということなんだが、それだとあまりにも単純である。やっぱ「信頼できない語り手」だよなと考えてみる。大臣は反対勢力で権力を持つ貴族のスキャンダルを握っていた。しかし、逮捕される。手紙が証拠となる。それを探偵に見つけさせた。探偵は捜索料が入って得をする。権力はそのままで法は守られるわけだった。被告と被害者の境界の曖昧さ。ソースは権力側なのだから疑え!ということ。最近のマスコミ報道に言えること。「黒猫」との共通点。法=神。信を問う問題だったのは、デリダの本を最初に読んだから。デリダについて書かれた本だったか。日本の新人類の名前が出てこない。それともラカンかな。どっちかわからなくなっているのは、あまりにも複雑すぎて混乱するんだよね、現代思想は。

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