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グッチというスタイルではないレディー・ガガの鬼嫁

『ハウス・オブ・グッチ』(アメリカ/2021)監督リドリー・スコット 出演レディー・ガガ/アダム・ドライバー/アル・パチーノ/ジャレッド・レト

解説/あらすじ
1995 年 3 月 27 日ミラノで多くの目撃者がいる中、銃声が街に響き渡る。殺害されたのは、世界的なトップブランドの元祖と呼ばれる GUCCI 創業者グッチオ・グッチの孫にあたる 3 代目社長マウリツィオ・グッチ。犯人が特定できない状況が続く中、その実行犯の黒幕が明かされる。それは妻のパトリツィア・レッジャーニだった―。

ブランド戦略というのか、レディ・ガガにしてもアダムス・ドライバーにしてもリドリー・スコットにしてもハリウッド映画スターが出ているだけで満足しているだけならいいのだが、グッチのブランド崩壊を描きながらそういう映画になっていると思えば納得できるのだろうか?

いたずらに長いし、グッチやハリウッド映画ということ以外見るべきところはないように思える。先程上げたスターのブランドイメージがあるのだがそれはブラインドだった(オヤジギャク一発決めた)。例えば『ゴッドファーザー』というのは無理だとしても、もう少し見せ場をなんとかしてほしかった。

前半はドタバタ・コメディだからかな?レディー・ガガを全然知らなかったのだが、けっこうグラマーなおばちゃんになっていた。ミュージシャンとしての全盛期は過ぎているだろう。でもレディー・ガガの肉感的なパフォーマンスは良かったのかもしれない。アダムス・ドライバーもそれほどでもない。彼のイメージを超える新しい面が見られるわけでもなくベストでもなかった(ベストはやっぱジム・ジャームッシュ『パターソン』あたり)。

例えば飼っていた牛の肉を喰わせるにしても屠殺シーンからやるとか。演出が大人しいのだ。ファッション映画にしては、それほど鮮やかな演出もない。グッチだからか?グッチのデザインマークが付いているだけでいいのか?グッチがどのようにのし上がってきたきたのかは分かったが。レディー・ガガの肉感的演技が全てと言ってもいいかもしれない。

家族経営の中にとんでもない嫁が入ってきて、夫は言いなりになったがだんだん嫁がうざくなって追い出す。まあ家庭劇といえば家庭劇だった。でもそういう家庭劇でもシェイクスピアとか「ゴッドファーザー」とかもっと息を飲むようなシーンがあってもいいものなんだが。レディー・ガガにすべて持っていった。あとレディー・ガガはグッチというスタイルではない。それで鬼嫁という感じなのだが、そこは面白かった。

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