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「時代と寝た」短歌

『短歌と日本人VII 短歌の創造力と象徴性』岡井隆編

短歌の課題は何か.「主題」「文体」「表現」「創造」の4テーマについて,歌人と作家・詩人とによる連続討論.
短歌における現在の課題は何か.岡井隆を座長に,歌人と作家・詩人たちとによる連続討論を開催. ▼テーマI「主題」〈報告・篠弘,富岡多惠子〉佐藤通雅,樋口覚 ▼テーマII「文体」〈報告・北川透,小林恭二〉永田和宏,小池光 ▼テーマIII「表現」〈報告・見田宗介,三枝和子〉道浦母都子,三枝昂之 ▼テーマIV「創造」〈報告・島田修三,栗木京子〉奥村晃作,穂村弘


『短歌と日本人』テーマ「主題」

岡井隆編集『短歌と日本人〈7〉短歌の創造力と象徴性』は短歌の「主題」「文体」「表現」について、それぞれ討論しているのだが、「主題」のテーマで取り上げられるのが、小野十三郎「奴隷の韻律」論で短歌の抒情的なものが短歌に限らず日本のあらゆる文化に浸透しているから注意せよということなのだが、そこに歌の陶酔というものがあるような気がする。

それは和歌が口承文化から始まったこと、祝詞とか宴会芸的な歌合とかは口承の調べが重要なので、それが小野十三郎「奴隷の韻律」で言っていることで、これは日本人の歌の中にある叙情性なので、短歌に限らずに例えば今流行りの流行歌にもあるのである。

歌は別世界に連れ出してくれるが、それに陶酔してしまうと麻薬的に依存的になっていく世界であり、目覚めというのが困難になっていく。その世界から覚醒と目覚めたのがドラッグ使用の陶酔だったり、詩への陶酔もそのようなものがあるのではないのか?

一番わかり易いのはフォークソングの歌詞で、例えばさだまさしなどが日本の抒情を歌っているのはやはり「レモン哀歌」の世界なんだよな。

そしてそれに対抗していたのがマルキシズム的アジテーションの文字の世界観で、それは歌というよりも叫びだったわけだった。

岡井隆があの時代にほんとうに革命を信じていたというのは、今では大げさな言葉に聞こえるかもしれないが、当時の学生たちはマルキシズムを信じていたのだ。それは内面の声ではない書き言葉としての文字であり、漢詩の影響から和歌がもてはやされたのも文字としての声がない声だった。それが贈答歌(恋文としての和歌であり)、本来の祝詞や宴会芸的な共感を得るというのとは違う形として出てきた。それがまた宴会芸的な歌合となったりして、声の文化は滅びはしなかった。その女房たちの声から坊主たちの声は無音というような無常観になっていくのである。

そして戦後、小野十三郎「奴隷の韻律」で言われたのはそうした声としての叙情性で、それは戦後のマルキシズムの論理からは敵視されていく。ただそのマルキシズムに対しての反省がなく、岡井隆などがまた歌会始めに顔をだすものだから、そのへんがいい加減になってしまった。

その時に彗星のように現れたのが俵万智であり、彼女の短歌は口承性の復活だというのだが、その奥に文語的伝統もあるわけで取り扱い注意になっているのだと思う。

現代詩でその口承性に意識的だったのが、萩原朔太郎や中原中也で今も現代詩として影響力を持っている。たぶん口承性の文学というのはもう無理だと思ってしまうのは、これほど文字の文化が蔓延している中で声の文化が失われていくのは必然なんだと思う。小さな共同体のなかで声の文化というものは残るだろうが、それが表舞台に出たとたんに何かのイデオロギーのように感じてしまうのだと思う。実際に共同体はそうしたイデオロギーで生き続けてきたものだからだ。

小野十三郎「奴隷の韻律」で問われているはそういうことなのかもしれない。

『短歌と日本人VII 短歌の創造力と象徴性』テーマ「文体」

「小説の文体」というと小説家の個性だが「俳句の文体」というと俳句のルール(コード)のようなものをイメージする。「短歌の文体」はその両方を含んでいるのかな。なかなか示唆に富むテーマだった。

短歌の作中主体というのが、最初全然わからなかった。というかそんなもん必要なのかと。短歌でも虚構性を詠む場合もあり、そのときも主体となる文学でなければいけないのかと。その主体となる文学に反旗を翻している文学はあるのに(シュールレアリスムとか)。短歌だとそのシステムの中にある天皇制を考えてしまうからか。天皇が神として中心でありあとは従者のような感じか?下々の者みたいな主体性かな。割りと卑下して詠うような感じ。だから日本だけの内輪意識が強く、世界へ広がっていかない。まあ世界にもヨーロッパにはキリスト教と言った確固な伝統がある。それでキリスト教文化を詠むと革新っぽく感じるのか?

日本語の音楽性を考えると七五調とか有効だと朔太郎や中也が言ったとか。

石川啄木の歌論は短歌を一行や五行詩ではなく三行詩にして啄木特有のリズムを追求したこと。それだけでもリズムは変わる。

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

短歌というのは人が現れて何かを詠う。俳句は人がいなくてもいい。あと最近は物語性を歌集に求めるようになっている。短歌の敵はそうした物語性だという。俳句に近づくのか?詩だとシュールレアリスムの考え方。ロマンチシズムを否定する。短歌は結句が一番大事だが、俳句は上五で苦労する。

岡井隆編『短歌と日本人VII 短歌の創造力と象徴性』「テーマIII「表現」〈報告・見田宗介「愛の表現/ 自我の表現」〉

全共闘世代の歌人・道浦母都子の短歌。

明日あると信じて来たる屋上に旗となるまでたちつくすべし 道浦母都子

密かに愛唱せざる「無援の抒情」という一つの時代の歌物語として記憶されたという。しかし、それ以後も歌人は詠うのであり、個人の物語は愛の物語として続いていくのである。

燃ゆる夜は二度と来ぬゆえ幻の戦旗ひそかにたたみゆくべし 道浦母都子

その一方で愛の敗残者となる者の歌も鮮明に残されてた。

しかたなく洗面器に水を張りている今日もむごたらしき晴天なれば 花山多佳子

それはマンガの日常性とつながっていくものだという(岡崎京子あたりのマンガを指しているのではないか?)

その人生の優等生的歌人が栗木京子だという。

半開きのドアのむかうにいま一つ鎖(さ)されし扉(と)あり夫と暮らせり  栗木京子

マルクス主義・実存主義・構造主義・ポスト構造主義と重ねて、自身の歌をさぐるという林あまりは女の身体を詠う。

うしろからじりじり入ってくる物の正体不明の感覚をたのしむ 林あまり

ただ林あまりはクリスチャンとして、教会の教師もしているのだった。それは彼女自身の身体というよりは身代わりの身体なのかもしれない。彼女の歌で有名なのがなんと行っても坂本冬美に託した『夜桜お七』なのであるから。

それは演じることを学んだ女性性かもしれない。その最先端(80年代)が俵万智だったのだ。

陽のあたる壁にもたれて座りおり平行線の吾(あ)と君の足 俵万智

吾(あ)という古風な女性を演じながら君といる空間は映画のワンシーンのように感じる。「吾(あ)と君」という表現がおかしいというが昔と今の折衷である表現は文法のコードを乗り越えていくものなのかもしれない。これが90年代の感覚として一般化していくのである。フェミニズムから「女うた」へ。

短歌と日本人 テーマIII「表現」つづき

岡井隆編『短歌と日本人VII 短歌の創造力と象徴性』▼テーマIII「表現」の座談会。学生運動が盛んな時代の歌人として、男では岸上大作が討ち死にするような短歌を詠んで、それは戦時の短歌と同じなのではないかという、共同体と個人の問題で、女性ならば道浦母都子の歌は、

明日あると信じて来たる屋上に旗となるまでたちつくすべし 道浦母都子
燃ゆる夜は二度と来ぬゆえ幻の戦旗ひそかにたたみゆくべし 道浦母都子

共同体の歌から個人の恋愛の歌になっていく。そのへんの変遷が時代の流れとして、その時代がフェミニズムに重なって、次世代の林あまりの女うたになっていくという。

立て膝をゆっくり割ってくちづけるあなたをいつか産んだ気がする 林あまり

この歌は当時ポルノ的とされていたのだが、フェミニズム短歌の現れとして女性の身体が母性であるという、これは詩人の伊藤比呂美も一見ポルノ的な詩を詠んでいるのだがよく読むと女性性のフェミニズムの詩だとわかる。つまり個人のことを歌っていたと思ったら時代的なことで、そういうのを「時代と寝た歌」というのだそうだが、その後に俵万智の女うた(むしろフェミニズムとは逆行している)が出てきたのである。

俵万智は学生運動が挫折しての反動の保守化の流れなのだが、男たちの短歌は挫折の歌だったという、これも敗戦時と同じ流れのようで、男歌はむしろ挫折した方が味わい深いとか。そういう意味で女が全面に出る歌が俵万智が方向付けたということのようだ。そこの批評が出来ていないので、俵万智がやたらと勝ち組のようにもてはやされているのだった。

テーマIV「創造」〈報告・島田修三,栗木京子〉「奥村晃作,穂村弘、岡井隆」座談会

短歌の過渡期時代で、短歌が今の俳句のように若手に広がらないということだった。ただそれは結社によるもので、ちょうどこの頃にジャーナリズムの短歌として俵万智がスターになることで変化していったのだと思う。そのことを踏まえてみると旧派の人(島田修三)は時代を読みきれてなかったと思ってしまう。島田修造vs.穂村弘という感じか、確かにそれから短歌は和歌のように個人よりも共同体の歌になっていくのだが、短歌が共同体からの自我の確立ということだというのが、いつの間にか和歌的になってしまったんだな。「悲歌合唱」という抒情詩の系譜があるのだが、その部分で穂村弘はクールであって、たとえばそうした境涯歌的なものよりも言葉の感覚として新しさを捉えているようだった。だから「ただごと歌」にも存在を見出すという凡庸さはただごとでもないという蓮實重彦を読んでいるからポストモダンなのだと思う。いまだにそういう批評性を受け入れられない島田修造が餓鬼の短歌とか「ただこと歌」としか読めない違いはあると思う。今の短歌では穂村弘の方が圧倒的に正論に思える。「時代と寝た女」という短歌の在り方(女性短歌中心になっていく)?がそういう言葉が当時言われたのかと興味を持った。俵万智なんかがそうなのだと思うが、ただ俵万智を捉えそこなっていると思ったのは、女性短歌の見方として、巫女(処女)的なものと母性的な熟女しか存在せず、その中間の魔女的な歌人がいないということだったが、俵万智がまさに魔女的な歌人だったのだと今では思う。俵万智を批評できなかったのが今の短歌に通じるのだと思う(魔女裁判か?)。


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