6月1日のロロ「パクとラレ」
「芸術とは模倣からはじまる」と言っていたのは海原雄山でしたっけ……?
そんな感じでみんな最初は人のまねをして、そのうち自分のやり方を確立したり、人の作品を発展させた作品をつくったりして芸術というのは発展していくのだ、確かそんなような話でした。
だけれど、真似をしてはいけない「盗作」という考え方は古くからあったようです。
「本歌取り」というのは、古い和歌の一部(さいしょの5,7とか)をパクっ……同じにして、他をオリジナルにした和歌を作るというものだそうです。
これも「盗作ではないか?」みたいな議論は当初からあったようで、「いや、これも表現のひとつだ」の一派といろいろもめた結果、ある程度ルールができてきたみたいです。
細かいところは端折るとして、だいたい、
・本歌取りの対象とするのは、昔の歌に限る
・歌の主題や趣きは元の歌と変えること
これを調べて思ったのは、「これ、だいたい今と感覚が変わらないよね?」ということでした。
まず、「昔のものはパクりやすい」
文句を言う人が亡くなっていたりするのもありますし、パクられる方も正直、最新の歌なんかをパクられて自分より人気が出たりすると腹が立ちます。昔のものを模倣するほうが、もめ事になりにくいようです。
「テイストは変える」
両方とも見た人が「そっくり同じだ。どっちか一つでいいだろう」と思うような物を作ってはダメでしょう、ということですね。
これに加えて、近代だと「市場規模を考えてパクる」みたいなのがありますでしょうか。
昔のマンガを読んでいますと、「スーパーマン」とか「ウルトラマン」とか「ゴジラ」とか、映画やテレビのヒーローが普通に出てきて驚かされます。
時代背景もあるでしょうけれど、マンガと映画の市場規模が違ったからそういうことができたのではないかと思います。
力関係がちがいすぎるので、マンガの中でちょろっとスーパーマンやらミッキーマウスやらを出したところで、スーパーマン側は損害ではなかったのでしょう。
いまはお互いに市場も成熟しているので、「スーパーマン」が普通名詞のように使われていたマンガも、そんなことありましたっけ? みたいな顔をして「バードマン」とか別の単語に置き換えたりしていますね。
いまでも比較的自由なのは「ゲーム」とかでしょうか。電源あり、電源なしにかかわらず、市場規模の点から比較的ゆるやかに思えます。
「ストリートファイターII」のキャラクターの何人かは、映画とかマンガとか実在の人物とかをかなりパクっていることは有名ですよね。
これも市場が成熟してきたので、かつてのような好き勝手なことができなくなりつつあるようです。
「Fate Grand Order」なんかは元の出自が18禁ゲームなこともあって、市場規模のうえからわりと奔放な制作体制だったのではないかと思うのですが、
圧倒的に売れてしまうと「盗作」のハードルも上昇してしまい、なかなか大変なのではないかと思います。
このままハードルが上がり続けて、何ひとつ模倣ができなくなるのは本意ではないので、どうにかあまりコンプライアンスを増やさずにいたいのと、
模倣するのなら「盗作」ではなく「本歌取り」だと言われるようなのを心掛けたいですね。
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