古武道の極意(私見)ver.1

古武道を学んでいて、現時点で極意ではないか?と私が感じていることについてここに記す。ただし、私の流派について詳しく語ることは禁じられているので、具体的なことは書かず、一般的な考え方に終始している。また、今後、修行を進めるうちにこの内容は高確率で変更になる可能性がある。

古武道の世界は3年、言いつけられたことだけをやって入門が認められ、10年、同じ動きを繰り返し、その後、師匠からのお題をクリアできたら初心者脱出。そこから本当の修行が始まるというのが、そもそもの形だ。

師匠から弟子へ技を伝える際も、師匠は一度技を見せて、弟子が真似て「ちがう」「そう」としか言わない。どのように違うかなどは教えてくれない。

私が学ばさせてもらっている道場はここまで厳しいものではないが(師匠もとてもやさしく尊敬できる人)、私の実力はせいぜい初心者を脱出したかどうかである。そんな私が極意などと口に出すのはおこがましいことではあるが、常に極意とは何かということを頭に日々稽古をしている。その中で、気づいたことを以下の3点にまとめた。

1.すべての動きは一つになる。

私の流派に限らないかと思うが、古武術には様々な技がある。技を型という形で学ぶのであるが、やっと初心者脱出程度の私が教えていただいただけでも100個以上の技がある。

ただ、技が多彩であることは実はよくない。そもそもそんなに覚えていられないし、いざという時にどの技がいいか等と考えていると対処が遅れる。

実は技は少なければ少ない方が良いのである。したがって、いろんな技を教えてもらったと一喜一憂している段階はまだまだということである。

それでは、なぜ古武道で多くの技が伝わっているかというと、それらに共通している動きを帰納的に抽出するためなのである。多くの技の中に共通している部分。それが極意である。

私の流派では、入門ー>目録ー>師範代になるにつれて、技がどんどん減っていく。そして、最後の皆伝になると、ただ一つの技を伝授する(らしい)。

しかしその技は既に身についているものを取り立てて新しく学ぶということはなく、本当に大事なことはもう最初の段階で教えてある。それに気づくかどうかは本人次第ということである。

2.動きを合理化させる。

古武道は徹底して合理化されている。合気道などは円の動きが大切とされているが、実は円の動きは遅い。ある点からある点に行こうと思った時に一番早いのは円ではなく、直線である。

実は、一番早いのは”まっすぐ”の動きである。相手の懐に入るのもまっすぐ。相手の攻撃をよけるのもまっすぐ。当身もまっすぐ(フック、アッパーは遅い。また、やってみたらわかるがストレートパンチはまっすぐでない。下半身のねじれを手にどんどん伝えていくという動きである。)

ただ、この”まっすぐ”というのが難しい。実際、刀を振ってみたらわかるが刃筋をまっすぐに振るというのは至難の業である。宮本武蔵はまっすぐ剣を触れるようになったら免許皆伝と弟子に伝えたそうであるが、それもうなづける。では、どのようにすれば”まっすぐ”が身につくか。それは、剣なら剣に任せて、拳なら拳に任せて、体なら体に任せて動くことである。ただ歩くにしても後天的な動きにとらわれず、どうすれば一番楽か自分で試してみると言い。それが自分にとっての”まっすぐ”だ。

良い稽古法は棒を突くという稽古法である。棒を最短距離で突くように練習し、それをすべての動きに当てはめていけばよい。

3.加速度=0もしくは加速度=∞

黒田鉄山氏という古武道の大家がいる。氏の一般向けの講習会に参加させていただいたことがあるが、一番強調されていたのが等速度で動くということであった。等速度、つまり加速しない(加速度=0)ということである。加速度がない、動きの起こりが見えず相手が反応できないということである。

黒田氏の動きは非常に洗練されており、これを達成するのに先述の無駄を徹底的に廃した合理的な動きが必要になる。また、それに伴い常に冷静で脱力した状態でいなければならない。しかしながら、等速度というのは非常に難しい。もし斬りあいになった時に平静な心でいられるかというと、それは無理な話である。(少なくとも私には)。

私は、加速度=∞の動きも必要であると考えている。静から動へ一瞬で動く体さばきである。加速度は速度割る時間であるが、時間が0なので、加速度∞ということだ。

ただし、この加速は筋力を使うのではないということを注意してほしい。筋肉を使うのは遅いのである。感覚なのでこれは難しいのであるが、体の中を先に動かすのである。イメージといったらいいのか。。。。これは本当に伝えづらい。

やりたいことを先に一瞬で思い浮かべて、それにすっと重ねる感じである。

脱力をしてようと、体が力んでいようと一瞬で加速しなければならない。居つきが良くないと俗に言われるがそれも関係ない。居ついていようがどうであろうが一瞬で動くのである。

そのためには自分の体の状態が今どうなっているのか完全に理解しておかなければならない。指はどこにあるのか、髪の毛一本一本の重なりぐらいまで。。。

そして、その動きをどのようにでも持っていけるようにイメージする。髪の毛を動かすようにイメージするのである。

心の状態も同じである。それは、笑って談笑している次の状態から一瞬で相手を殺すモードになることができる、もしくは逆に相手を殺したいほど憎いと思っていても一瞬で笑って許せるモードになることができるようになることである。

ここで注意してほしいのが「なることができる」ということである。実際にそのような人間になれということではない。それはただの情緒不安定な人である。両極端に常に動くことができるからこそ常に真ん中をキープできるのである。冷静であるとは常に落ち着いているという状態と同様に、常にどのような状態にも移行できる状態ともいえるのである。心の完全コントロールである。


以上、私が常々考えていることを文章にしてみたが、以下に私独自の鍛錬法についても3点紹介しておく。私が極意に通じると勝手に信じてやってることなので他の方がやって効果があるかどうかはわからない。

1.自分の体が常にどこにあるのかミリ単位で把握する。安全なところで目をつぶり、耳をふさいで行動する。自分のイメージと同じ格好をしているかたまに確かめる。1時間くらいするとなんとなく分かる。

2.一本の棒になるイメージをもって行動する。人と会ってもただ、立っている一本の棒をイメージ、その中心をチョンとつつくようにする。

3.瞑想を行う。マインドフルネスなどではなく只管打座。何も考えない。ただただ座る。周りの空気に溶けるような感覚がいずれ得られる。


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