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DaiGo氏の発言を受けて考えた事。

DaiGo氏のホームレス差別発言を受けて色々考えた。

ネットニュースを見ていると、いろんな方面から叩かれている。多様性をうたったオリンピック開催直後というのもタイミングが悪かったのだろう。

彼の発言は、擁護できない発言である。私もこれはだめだと思う。日本社会の一員として、発言してよいラインを超えている。

しかし、youtuberやインフルエンサー、識者と言われる面々、またDaiGo氏に軽んじられていたマスコミが一斉にDaiGo氏を非難する表明をしているのを見ると、正直良い気持ちはしない。

批判すれば批判するだけ、自分の株を高めることができるわけで、ある意味ボーナスステージだ。彼らは、自身に漲る正義感から意見を表明しているのではあるが、申し訳ないが私の眼には絶対に負けない喧嘩を手出しできない相手に吹っ掛けているように見える。

彼らの「自分たちは自分達は正しい!あいつは間違っている!」と思って口角泡を飛ばしDaiGo氏を批判する無邪気さに少々危うさを感じる。「今までに一度も罪を犯したことがない者から石を投げなさい。」とは言わないが、一歩間違えれば自分もこうなるということに気づいていないのだろうか?私はこの記事を書くことも少々躊躇した。私ごとき小物の意見は誰も気にしないと思うが、DaiGo氏を擁護していると言われて一緒に叩かれる可能性がゼロではない(擁護するつもりはないが)。

ただ、主張したいのは、彼の発言があまりに擁護できないものであるがゆえに、一つ見落とされていることがあるのではないか?ということだ。

それは、「ある思想を持つことは悪か否か」ということである。「DaiGo氏は優勢思想を持っているのでけしからん!」という論調があるが、思想を持つことは悪なのだろうか?

日本国憲法では表現の自由が保障されているが、これは建前だと私は思う。ある表現をして、他人を傷つけることがあるのであれば、その表現は非難されてしかるべきである。今回の件もこれに当たる。

しかしながら、個人の考えを批判する構造というのは非常に危険である。「むかつくから~を殺してやりたい!」と考えたことがある人は多いだろう。しかしどんな危険思想であれ、表に出さずに考えている時点で何らかの罪にとらわれるというのは間違っているのではないかということだ。

それを言葉にしたり、行動にうつしたりすると、もちろんアウトである。態度の端々にそれが表に出ていて、例えば目つきから相手が危険を感じたからアウトといのは微妙なラインだろう。(これはハラスメント問題とも関係して長くなるのでここではこれ以上は延べない。)

しかしながら、考えた時点で逮捕する!という時代は当分来ないのではないか?なぜなら、ある人が考えていることなんて他人が知ることはほぼほぼ不可能なのだから。ある人が何気なく言った一言が誰かを傷つけたり救ったりする。逆に明確な悪意を持って発した言葉をさらっと受け流したりもする。

自分の考えを誰かに伝えるコミニュケーションの主体は、実は話者でなく受け取り側にある。自分の考えを正確に伝えようとするには無限の時間と言葉がいる。そういった不確かな基盤に載っているが故、思想で人を非難するというのはとても危険である。部下の指導の時もそうであるが、その人の内面を責めるのはだめだ。やったことに対して注意しなければならない。(逆に武道的には身体でなく、相手をとりまく気を攻撃すると、とんでもないダメージを与えるということができるのだがそれはまた別の話。危ないので多分一生話さない。)

私がこのように考えるに至ったのは、実は妄想性パーソナリティ障害の知り合いがいるからだ。彼女は「○○だよね?」と私が言ったことを、拡大解釈し、自分への攻撃ととらえて過剰な防御反応に出る。(例えば、「暑いね」と何気なくいったことに対して、「暑いー>薄着ー>薄いというのは自分が影が薄いことを暗に批判しているー>そういえば前もスーパーで暑いねと言われたー>あの時自分をつけまわっていたに違いない。。。」という回路が一瞬にして出来上がり、こちらをいきなり攻撃してきたりする。正直、付き合うのはめちゃくちゃしんどい。こちらも疲れるので、普段は用事がない限りはあまりコミニュケーションを取らないようにしている。

自分の考えいてることを言われるのは当たっていても当たっていなくてもいい気がしない。コミニュケーションをする時は注意したほうが良い。「あなたは~なひとだから」というのは、たとえ良い意味で行ったとしても相手から反感を得てしまう可能性がある。「あなたはいつもポジティブでうらやましいね。」「俺のこと何もわかってないくせに。。。」ってな具合で。

話がだいぶそれた。DaiGo氏の今回の炎上は、ある程度計算してやったところもあるのではないかと思う。ただ、それが思いのほか燃え広がって手が付けられなくなったというのが現状だろう。彼はyoutubeを導入として、有料の会員制サイトでも発言していたようであるが、過激な発言は後者にとどめておいたほうが良かっただろう。思想をオープンにするのは信頼関係が築かれてある程度共通の土台がある仲間内に限っ他方が良い。youtube等の万人が見ているメディアでは言わないのが得策だ。

これからのDaiGo氏であるが、しばらくほとぼりが冷めるまで活動休止をするというのが個人的には良いのではないかと思う。たとえ、寄付金をしようが、実際に慈善活動に目覚めてそれを発信しようが、正義に燃える方々からの目から見るとそれは全て裏目に出る。謝罪を重ねても彼ら(我ら?)は決して許さない。一度火が付いたらそれは自分で消すことはできない。ある程度、燃えつくすか、さらに大きな火が対岸で起こらなければ炎上は続く。

しばらく休暇を取ってその間に色んなことを学んでバージョンアップした彼の姿を見てみたい。色んなことを学んできた彼がこれをばねにしてどのように成長するのかとても興味がある。



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